読みもの
2022.05.28
体感シェイクスピア! 第14回

『ヴェニスの商人』の真のテーマとは? フォーレが《シャイロック》組曲で表現

文豪シェイクスピアの作品を、原作・絵画・音楽の3つの方向から紹介する連載。
第14回は、『ヴェニスの商人』の主題を深堀り!今作をテーマにした フォーレの《シャイロック》組曲とバックリーの絵画《月は明るく輝いている》では、どのような部分に焦点が当てられているのでしょうか?

ナビゲーター
齊藤貴子
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齊藤貴子 イギリス文学・歴史文化研究者

上智大学大学院文学研究科講師。早稲田大学および同大学エクステンションセンター講師。専門領域は近代イギリスの詩と絵画。著作にシェイクスピアのソネット(十四行詩)を取り上...

ジョン・エドマンド・バックリー《月は明るく輝いている》
(1859年、フォルジャー・シェイクスピア図書館蔵)

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シェイクスピア「外見は実体とかけ離れていて、世間はうわべの飾りに騙されてばかり」

人や物は見かけによらない——こんな言いかた考えかたは、昨今あまり流行らない。ちょっと前に人間は外見や話しかたが〇割、といったベストセラーが出たかと思えば、逆にここ数年はルッキズムなる外見至上主義が世界中で問題視されているのである。あっちにもこっちにも価値観が振り切れるところまで振り切れて、見てくれについて何か述べるのはもちろん、もはや見た目から入って肝心の中身に言及することすら憚られる風潮だ。

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それでも、形ある肉体や物体に溢れかえったこの世界、臭いものならまだしも、見えるものに蓋をして生きていくわけにもいかない。おそらくわたしたちが心がけるべきは、やれ差別だ偏見だと騒がれぬよう外見にノータッチでいることじゃなく、21世紀の今さら好き好んで、うわべで人や物を判断し評価するような愚かな真似をくりかえさないことなのだろう。

何せシェイクスピアに言わせれば、16世紀の昔から「時に外見は実体とかけ離れていて、世間はうわべの飾りに騙されてばかり(So may the outward shows be least themselves. /The world is still deceived with ornament)」なのだから。

これは喜劇『ヴェニスの商人』第3幕第2場で、莫大な遺産を相続した令嬢ポーシャとの結婚を懸け、金・銀・鉛の3つの箱の中から青年バサーニオがみごと彼女の肖像画の入った鉛の箱を選び出し、求婚に成功する場面のセリフ。モロッコやアラゴンの大公など、並みいる大貴族たちが箱選びに失敗したのち、よく考えろ、世間はうわべに騙されてばかりなのだ……とバサーニオは独りごち、あえて一番みすぼらしい鉛の箱を選んで婿として認められる。

このバサーニオのように意識して自戒でもしないかぎり、見た目や上っ面、もしくは実体と異なるイメージにとかく踊らされがちなのが我ら人間。残念ながら、まずはそう諦めてかかったほうがいろいろと話が早いし、わかりやすい。

『ヴェニスの商人』の本筋は友情や愛情

実際、イメージと実体の乖離の問題は『ヴェニスの商人』という作品自体にもそのまま当てはまる。というのも、ヴェニスの商人といったら、まず誰もが思い浮べるのが登場人物のシャイロック。これは日本のみならず古今東西を問わないようで、シェイクスピアの原作に基づき19世紀末フランスの詩人エドモン・アロクールが翻案した戯曲も、その付随音楽を再編成したガブリエル・フォーレの組曲もともに《シャイロック》と名付けられているくらいだ。

しかしながら、シェイクスピアの『ヴェニスの商人』というタイトルは、ユダヤ人の金貸しシャイロックを指しているのではない。バサーニオの友人で、彼がポーシャの元に求婚に行く旅費を捻出するため、友情ゆえに悪名高い高利貸しシャイロックにわざわざ金を借りに行ったヴェネツィアの貿易商アントーニオこそが真の「ヴェニスの商人」である。

そのアントーニオの商船が沈没事故を起こし、シャイロックはもともと気に入らなかったうえに債務不履行となった彼をとことん追い詰めるべく、抵当としていたアントーニオの肉一ポンドを慈悲の欠片もかけず裁判で要求する。慈悲や正義とは何かを問う、非常に有名な「人肉裁判」と呼ばれるものだが、実はこれとて芝居のメインストーリーではない。

思いだすべきは、そもそもの事の発端がバサーニオによるポーシャへの求婚と、友人の結婚のため一肌脱ごうと金策に奔走したアントーニオの友情にあるということ。この意味で、『ヴェニスの商人』のプロットの本筋は、シャイロックの人肉裁判にあるではなく、むしろそれを含めた諸々の試練に立ち向かうことで深まってゆく友情や愛情にこそある。

文字どおり抵当として肉一ポンドを切り取ってもいいが、そのさい証文に記されていない血は一滴たりとも流してはならない——。男装し裁判官に扮したポーシャが、裁判の最後の最後で颯爽と法の掟を逆手にとって正論を突き付けて、シャイロックをぐうの音も出ないほどやりこめる。このシーンがあまりに痛快なものだから、話の本筋がつい見過ごされがちなだけだ。

フォーレも『ヴェニスの商人』の本筋をとらえて作曲

こうした世間一般のイメージとは異なる原作のプロット同様、フォーレの《シャイロック》組曲も、その名に反して実はシャイロック自身を表現したものではない。少なくとも、20分弱の曲のなかでひときわ華やかなオーケストレーションを誇り、聴く者の耳と心を確かにとらえるのは、「祝婚歌」と題された第4曲。ポーシャへの求婚にバサーニオが成功する場面を表現した部分である。

この男女の愛の表現部において、フォーレの《シャイロック》が穏やかながらも豊かな盛り上がりを見せる事実は、とりもなおさず作曲家が恋や愛の情感を創作上の主題としていることを意味する。そしてそれは、原作者シェイクスピアとて同じこと。

フォーレ:《シャイロック》組曲より第4曲「祝婚歌」

『ヴェニスの商人』には、ポーシャとバサーニオのほかにもう一組、愛し合う男女が登場する。それはシャイロックの娘ジェシカと、バサーニオとアントーニオのもうひとりの友人ロレンゾで、ある晩ふたりは駆け落ちしてポーシャの屋敷に身を寄せる。厳格なユダヤ教徒のシャイロックが、大事なひとり娘と見ず知らずのキリスト教徒との結婚など許すはずがないからだ。

駆け落ちの際、ジェシカが父シャイロックの金を持ち逃げして使いまくるなど面白いエピソードもあるが、このふたりの話はいわゆるサイドストーリーそのもの。ただし芝居の終わり近く、第5幕第1場になってから、裁判のために出かけたポーシャの帰りを待ちつつ、ふたりが夜の庭で愛を語り合う実に抒情的なシーンが登場する。

How sweet the moonlight sleeps upon this bank!

Here will we sit, and let the sounds of music

Creep in our ears; soft stillness and the night Become the touches of sweet harmony.

 

何とも美しく月明りがここに安らいでいる!

ここに座って、忍び寄る楽の音に

耳をすまそう。夜のやさしき静寂が

甘美なハーモニーに溶け合ってゆく。

ここでロレンゾが語る言葉は、劇全体をつうじて最も詩的かつロマンティックなもの。つまるところ、ここは作中随一かつ唯一のラブシーンなのだ。ゆえにシェイクスピア作品が盛んに絵画化された19世紀イギリスでも、例の人肉裁判ではなく、わざわざこの場面を選んで描いたジョン・エドマンド・バックリーの《月は明るく輝いている》といった作品が存在するほど。

ジョン・エドマンド・バックリー《月は明るく輝いている》
(1859年、フォルジャー・シェイクスピア図書館蔵)

すでに指摘したとおり、『ヴェニスの商人』の本来のテーマは友情や愛情。この種の作品において、主筋のバサーニオでもなくアントーニオでもなく、脇のまた脇ともいうべきロレンゾが、しかも芝居のエンディング間近になって唯一のラブシーンを担う所以——。それは向こう見ずな逃避行によりジェシカともども俗世間から切り離され、直前の第4幕で繰り広げられた人肉裁判の如何も知らないまま、男たちの中で彼ひとりだけが、ひたすら恋愛に打ち込める環境にあったからだ。

甘美な恋の時間と空間。シェイクスピアの言葉を借りれば、ポーシャの庭にただよう「夜のやさしき静寂」の「甘美なハーモニー」を、トラブル続きで常に生きるか死ぬかの瀬戸際だったバサーニオとアントーニオは、一度たりとも味わってはいない。味わいたくても味わう暇もなかったといっていい。それは同時に、彼らふたりが牽引してきた『ヴェニスの商人』の作品世界自体に、これまでいささか抒情性が希薄だったことをも意味する。

シェイクスピアは恋愛をテーマにした詩の名手

本連載の初回から繰り返してきたように、シェイクスピアは本質的に詩人。それも、恋愛を主たるテーマとするソネット(14行詩)の名手だ。その詩人たる彼が、みずからの書くものにおいて抒情性を欠くとなれば、ほとんど名折れに近い。それ以上に、求婚に端を発する喜劇におけるロマンティックな要素の欠如は、正直言って構造上の欠陥でしかない。

だからシェイクスピアは、最後の最後でようやく、というかいささか唐突気味に、第5幕冒頭で月明りの恋人たちのシーンを挿入したのだろう。しかも設定がポーシャの屋敷の庭である以上、ほどなく誰も彼もがそこに戻ってくるわけで、ロレンゾとジェシカのラブシーンは結果的に大団円の祝祭の伏線としても機能する。こうなると、構造上むしろ不可欠とすら思えてくるのが、「シェイクスピアの国」イギリスの画家バックリーが目ざとく絵にした、第5幕第1場の月の輝く夜のラブシーンである。

ただし、同じことを本場イギリスの画家よりはるかに巧みに、それこそ本家本元のシェイクスピアのお株を奪いかねないほどロマンティックに表現しているのが、フランスの作曲家フォーレだ。

これはある意味当然かもしれず、フォーレといえば「夜想曲」。恋人たちの切ない夜の調べは、彼の得意分野だ。実際、フォーレは晩年まで全部で13の夜想曲を作り続け、それらはどれもピアノの名曲として知られている。少なくとも、夜想曲といえばショパンの次に名前があがるのがフォーレであることは間違いない。

そんな彼が組曲《シャイロック》のために作ったのは、ピアノではなくヴァイオリンが主題を奏でる第5曲「夜想曲」。繊細な弦楽器が切なく重なり合って、恋人たちの「夜のやさしき静寂」を伝える楽章は、約2分40秒と短いながらも、楽曲全体のなかで最高に美しい部分となっている。フォーレは確かに、ポーシャの庭の場面から『ヴェニスの商人』に通底する人間の情愛というものを、ひいてはシェイクスピアの創作意図を汲み取っていた。

フォーレ:《シャイロック》組曲より第5曲「夜想曲」

強欲な金貸しシャイロックの名を持つ、世にも「甘美なハーモニー」。こんな素敵な音楽があるのだから、やはり人や物は見かけによらないとつくづく思う。

フォーレ:《シャイロック》組曲全曲

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齊藤貴子
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齊藤貴子 イギリス文学・歴史文化研究者

上智大学大学院文学研究科講師。早稲田大学および同大学エクステンションセンター講師。専門領域は近代イギリスの詩と絵画。著作にシェイクスピアのソネット(十四行詩)を取り上...

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