権力欲に溺れたシェイクスピアのマクベス夫人にヴェルディが求めた歌声とは?
文豪シェイクスピアの作品を、原作・絵画・音楽の3つの方向から紹介する連載。
第2回は、悲劇『マクベス』の登場人物であるマクベス夫人に着目! 夫以上に野心的な彼女は、影の主役で良き妻? ヴェルディのオペラと、パリやロンドンで活躍したアメリカ人画家・サージェントの絵画では、どのように表現されているでしょうか?
上智大学大学院文学研究科講師。早稲田大学および同大学エクステンションセンター講師。専門領域は近代イギリスの詩と絵画。著作にシェイクスピアのソネット(十四行詩)を取り上...
王位に目がくらんだマクベス夫人
本当だったら、一生かかっても手に入らないもの。それを何が何でも、力づくでも手に入れたいと願うのは、夢や希望をいつかはるかに通り越した、ただの野心——。よせばいいのに、そんな身のほど知らずの野心を持ったばっかりに、ものの見事に身を滅ぼす話が、シェイクスピアの悲劇『マクベス』である。
主人公のマクベスは、「いずれ王になる」という魔女の予言にそそのかされ、従兄のダンカン王を殺し、スコットランドの王位を手に入れる。実行犯はマクベス本人ではあるけれど、どこの馬の骨とも知れない(失礼!)魔女の予言を真に受けて、当初ためらっていた彼の背中をやたらと強く押したのが、妻のマクベス夫人。
夫が手紙で知らせてきた予言の内容に狂喜乱舞し、いそいそと暗殺計画を企て、尻込みする夫のお尻をビシバシ叩いて計画を実行に移させたその内助の功(?)は、まさに殺人教唆。彼女は間違いなく共犯者だ。
マクベス夫人は力強い言葉で夫を鼓舞する
しかし、いかなる意味でも夫人なくして王の暗殺は成功せず(足がつかないよう凶器の短剣を殺害現場に戻したのも彼女)、結果マクベスの即位もありえなかったことを思えば、真の主犯は実行犯の夫ではなく、むしろマクベス夫人のほう。いわば、彼女は『マクベス』という悪のドラマの影の主役にほかならない。
そして影だろうと日なただろうと、すべからく主役には、ここ一番の「見せ場」というものがやってくる。血に塗れて生きる辛さに耐えきれず、中盤から心を病み、最後は夫をおいて狂死してしまうマクベス夫人の場合、それは芝居の序盤、第1幕のこのシーンだろう。
わたしの勇気をあなたの耳に注ぎ込んであげましょう。
黄金の冠からあなたを遠ざける全ての者を
わたしの雄弁でねじ伏せてあげましょう、
運命と目に見えない神秘の力が
あなたに王冠を授けようとしているのです。
妻として夫の強さ以上に、優しさを、つまりは人間的脆さという弱点を知り抜いているマクベス夫人は、その弱さ脆さのすべてを自分が補い、夫に必ずや「王冠」を授けてみせると豪語する。
要は、あなたのことはわたしが何とかする! と、彼女はそういっているのであって、これは妻の愛の言葉として、たぶん最上級。気持ちひとつでくっついたり離れたりできる恋人なら、スキスキ、アイシテルで済むことも、夫婦という運命共同体ともなると、もっと地に足のついた力強い言葉でなければ、カバーしきれないこともしばしばだから……。
ヴェルディは音楽でマクベス夫人の激しさを描く
それにしても、このマクベス夫人のセリフほど胸に心に、そして耳に響き渡る力強い言葉もそうはない。だからだろうか。シェイクスピアの原典に基づき、ジュゼッペ・ヴェルディ(1813〜1901)が作曲したオペラ《マクベス》でも、先の引用部分は第1幕における最大の見せ場、ソプラノのアリアとして焼き直されている。
夫からの手紙を読み終えたあと、「野心的な人ね/マクベス、あなたは」と、いきなり畳み掛けるように始まる強烈なレチタティーヴォは効果絶大。さあ、ここからが聴かせどころですよ、と誰もがはっきりわかる仕組みで、続く「早くここへいらっしゃい」のアリアへの劇的な導入となっている。
ヴェルディ:《マクベス》第1幕よりアリア「早くここへいらっしゃい」
アンナ・ネトレプコ、バイエルン州立歌劇場(2014年)
この有名なアリアの最高の歌い手が、かのマリア・カラス(ヴィクトル・デ・サバタ指揮の1952年スカラ座のライブ録音)であるのはよく知られた話。先だって来日し「東京・春・音楽祭2021」で《マクベス》を振ったリッカルド・ムーティもそう断言しているが、それは彼女の今にもキレそうなほどキリキリと張り詰めた独特の声が、マクベス夫人の激しさを的確に表現しているから。
ムーティの指揮でマクベス夫人のアリアを歌ったアナスタシア・バルトリの若い美声もいいけれど、かつて作曲者ヴェルディ自身が求めたという「とげとげしくて、息詰まるような暗い声」、すなわち暗い野心の響きをしかと持ち合わせているのが、今は亡きカラスの声だ。
マリア・カラスによる《マクベス》第1幕マクベス夫人のアリア
絵画では原作にない場面でマクベス夫人の野心を表現
事実、マクベス夫人は夫以上に野心的。それを目に見える形で如実に表現しているのが、ジョン・シンガー・サージェント(1856~1925)の描いた《マクベス夫人に扮するエレン・テリー》である。
現代と違い、女性が個としての権利を持ちえなかった(その証拠にマクベス夫人にはファーストネームすらない)昔にあって、夫の栄光は妻の栄光。ゆえに夫を王位に就けようと気炎を上げるマクベス夫人は、実のところ当の夫以上に野心にとらわれているのであって、画家はそれを19世紀当時の大女優をモデルに、原作にはないマクベス夫人自らが「黄金の冠」を被らんとする場面として描いた。
ただし、ただの野心を「運命と目に見えない神秘の力」と思い込み、本来その器でない男を王にしてみせると決め込んだマクベス夫人は、初めから何もかも間違えていた。それに気づきながらも強がって、「勇気」をあげると、それもただの勇気(英:courage、伊:coraggio)ではなく、戦うための勇気(英:
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