インタビュー
2019.04.17
林田直樹のレジェンドに聞け! 第5回:ヴァレリー・アファナシエフ

ピアニスト・アファナシエフが現代社会に憂えて“遺言”に込めた希望

第5回の「レジェンドに聞け!」は、作家としても多くの作品を出しているピアニスト、ヴァレリー・アファナシエフ。
「現代社会は悲惨」と話すアファナシエフの怒りや哀しみは、「テスタメント(遺言)」と銘打った6枚組CDをはじめとする音楽へのエネルギーになっているかもしれません。哲学にも傾倒するアファナシエフの言葉を、ONTOMOエディトリアル・アドバイザーの林田直樹さんが引き出しています。

聞き手・文
林田直樹
聞き手・文
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

写真:弘田充

この記事をシェアする
Twiter
Facebook

挑戦的な6枚組CDに込められた想い

ロシア・ピアニズムの伝統を現代に継承する鬼才ピアニストであり、作家としても旺盛な活動を続けるヴァレリー・アファナシエフが、「テスタメント(遺言)」と題された6枚組ボックスをソニークラシカルからリリースした。

たった6日間のセッションで、ハイドン、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ビゼー、フランク、ドビュッシー、プロコフィエフの作品を一気に録音したその集中力にも驚かされるが、132ページのブックレットには日本語翻訳にして42000字もの本人執筆のライナーノーツが掲載されている。

表紙の絵はパウル・クレー「エイドラ かつてのピアニスト」(1940年)。

別冊解説書表紙に使われているパウル・クレー「エイドラ かつてのピアニスト」。
スイスの画家、パウル・クレー(1879–1940)。音楽一家に生まれ、自身も幼少期からヴァイオリンを弾き、画題に音楽用語が用いられているものもある。

ネット音楽配信が主流のこの時代、音楽がますます手軽になっていくなかで、これほどボリュームのあるボックスセットを新録音で世に出すこと自体、挑戦的である。

以下の取材は、昨年10月に来日した際のもので、そのときの段階では、パウル・クレーの絵ではなく、ドイツのアウグスブルクで16世紀に刊行された『奇跡の書』という画集からブックレットに使うことが検討されていた。結局そのアイディアは実現されなかったが、話題はそこから始まる。

希望をもつことから始めたい

林田 『奇跡の書』を私も初めて知ったのですが、この世の終わりのしるしについて描かれた、不気味ですが美しい、衝撃的な画集ですね。こうした16世紀ドイツの美術を、なぜ近代のピアノ音楽に結び付けようと思われたのですか。

アファナシエ 『奇跡の書』に触発されて演奏をしたわけではありませんが、この世の中に対する自分の気持ちを反映しているということは言えるでしょうね。現代社会はかなり悲惨だと私は思っています。汚染や環境破壊の問題ひとつとってみても、悲劇的な状況にあるこの地上に、私たちはどうやら生きている。

希望が必要です。もうダメだと思ったら自死しかないじゃないですか。しかし、誰だって死にたくはない……。

文学者として、『失跡』や『バビロン没落』、『ルートヴィヒ二世』などの小説を発表。フランス、ドイツ、ロシアでの出版に加えて、日本でも2001年、エッセイ集『音楽と文学の間〜ドッペルゲンガーの鏡像』、2009年、詩集『乾いた沈黙』、2011年、現代思想集『天空の沈黙 音楽とは何か』、2012年エッセイ集『ピアニストのノート』、2014年には、短編集『妙なるテンポ』が出版された。

林田 ヨーロッパでも日本でも中世からずっとそうですが、世界の終末が近づいている、という考え方は、昔からありましたよね?

アファナシエフ 確かにね。昔と今と、ひとつ違いがあるとすれば、今は、この世の中の終わりが予期できると言われていることでしょう。このままでは2050年までに環境破壊によって珊瑚礁がなくなるとか、異常気象で洪水が起こるとか、そういう世界になると言われていますが、別に地球がなくなるわけではない。彗星が衝突するとか、火山の破局的噴火があるとか、そういうことではない。その中で私たちの解決法といったら、まず希望を持つことから始めなければいけない。

私は生きたいです。そして50年後になっても、私の書いた本を読んでもらいたい。自己中心的な考え方かもしれませんが、皆さんも、自分の子どもが生き延びて、さらにその子どもたちが繁栄して欲しいと願うものではないですか?

私には子どもはいないので、自分の本やレコーディングが、今後も生き延びてもらいたいと考えてしまうわけです。

この世の終わり、つまり私たち人間のせいで、この文明と生態系が終わりを迎えてしまうかもしれない。非常に恥ずかしいことです。人間の誇りとはまったく無縁の、終わり方というのが、私には許せない。

林田 おっしゃる通りですね。

アファナシエフ (笑)

時間と空間のなかにパルスさえあれば見失わない

林田 昨夜(2018年10月9日)のシューベルトを聴きました。変ロ長調D960、あの最後のソナタは、昔、同じサントリーホールで体験して以来(1991年11月6日)、ずっと同じ曲をあなたの演奏で聴きたいと願っていたので、とても幸せな時間でした。

アファナシエフ ああ、最後の3つのソナタをまとめて弾いたときの……。

林田 もう一度聴きたいと思っていたのは、あの異様に長い間の取り方、そして第1楽章の主題のトリルのあの不気味な余韻です。従来シューベルトというと、ウィーンの小市民的な家庭音楽のイメージがどうしても付きまといがちでした。けれどアファナシエフさんの演奏は、絶望の深みを限りなくクローズアップしたような解釈です。なぜあのようなシューベルトになるのでしょうか。

アファナシエフ どうしても私はそのような音楽として感じてしまうのです。エッセイにも書いたことがありますが、シューベルトは地獄の表現をする人間だと思っています。

シューベルトにとって、人生の最後の2年間は地獄だった。病気のこともありましたが、成功できなかったということも、一つの要因でした。彼の作品を演奏するコンサートがあったから、やっとピアノが買える……といった状態でしたから。

死の間際に彼が兄弟に言った言葉で、「なぜ私はこんな洞穴のようなところにいるんだ、早く家に連れて行ってくれ」というのがあります。「だって、ここがあなたの家ですよ」というと、「いや、ここは違う。ベートーヴェンがいないじゃないか」と。

シューベルトが言いたかったのは、自分もベートーヴェンは天才だ、けれど誰もそれを理解してくれない、というのが、彼にとっての地獄だった——そういうことだと思います。

林田 アファナシエフさんのシューベルトの演奏で、音楽が途切れそうなくらいのパウゼ、つまり長い間がしばしばありますね。それはなぜでしょうか。

アファナシエフ 好き嫌いは人ぞれぞれですが、ある時期から確信が持てるようになってきたのです。ストラクチャー(構造)さえしっかりしていれば、何をやってもいいとさえ私は思っています。ひとつひとつのフレーズの形というものを全部考えながら演奏を編成していくと、パルス(波動)というものが生まれ、そのパルスさえ貫いてさえいれば、聴き手を失うことはない。2分間も音楽が止んだら危険かもしれませんが、20秒くらいなら全然大丈夫だと思っています。

音楽には時間と空間があります。その中にパルスさえあれば、全体を失うことはない。それによって、自由が生まれてくるのです。ある時点まで、私もこの変ロ長調のソナタで悩んだことがあります。そして気が付いた。それは、時間というものがなくなって、空間だけになるということ。その空間を壊すことはできないということ。

考えてごらんなさい。目を閉じたとしても、夢の中で空間はあり続けるのです。しかし時間を取り除くことはできる。

自己が完全に孤立すると、時間というものはどうでもいい存在になってしまいます。その感覚を経験できれば、このシューベルトの最後のソナタは演奏できるのです。

前衛音楽など冒険的なものが消えていく

林田 以前アファナシエフさんは、アルゼンチンの現代作曲家マウリシオ・カーゲル(1931-2008)の曲を扱ったレクチャー・コンサートをされました(1994年7月12日、津田ホール)。メトロノームを横に置きながら演奏する「MM51」という前衛的な曲で、作曲者の指定通りに不気味に笑いながらピアノを弾いたり、悲痛に叫んで倒れる迫真の演技が、いまでも脳裏に焼き付いています。あのときにあなたはピアニストなだけじゃなくて、稀有の演技者でもあるのだと思いましたよ。

アファナシエフ ありがとう(笑)。カーゲルといえば、1960年代、私がまだモスクワにいたころですね。当時自分では想像もできなかったのですが、ロストロポーヴィチやオイストラフのコンサートがあっても、「まあ行かなくとも、そのうち他の人も出てくるし……」と思って聴かずにいたことも多かったのを覚えています。けれど、そういう本物の巨匠たちは、その後まったく出てこなかった。今になって後悔していますが、そういうパフォーマンスはたくさんあったのです。

カーゲルもそうでした。カーゲルの作品がパリで上演されたときは、もちろんわざわざ出かけて行きました。150の機械がステージに置かれていて、2人の人物がそこに座っていて、儀式的にいろいろと音を出していく。それが1時間半の作品です。かなり挑戦的な儀式といいましょうか、2回も観てしまいました。

今日では、そういう現代音楽が上演されることはありえないです。たとえば、シュトックハウゼンの音楽にベジャールが振付をしたバレエ。そんな冒険的なものを観ることはもうないでしょう。シェーンベルクの作品ですら、コンサートホールでは聴くことができないものがたくさんある。彼が心血を注いだオペラ《モーゼとアロン》だって、舞台上演として聴くことはまずできない。

こういうものが、我々の周りからだんだん消えていく。そういう事態を当時は想像もしていなかったのだと、今にして思いますよ。

世の中の興味はクオリティからストーリーへ

林田 かけがえのないものが、どんどん私たちの周りから消えていっている。そういう感覚は、多くの人が持っていると思うのです。アファナシエフさんも、失われた偉大な過去、という考え方をお持ちですか? いまのこのインターネット社会は、どんどん堕落しているのでしょうか。

アファナシエフ 私だってアマゾンで買い物くらいはしますよ(笑)。決して現代のテクノロジーに反対しているわけではありません。いい意味で使うのなら賛成なのですが。

いまの世の中には天才を必要としていないということは、言えるのではないですか。人々がなぜコンサートに行くかと言えば、一番名前が売れていて、一番若いアーティストを観に行く傾向が強まっている。でも、そこで音楽は聴かれているのでしょうか。一番若いということに、どんな意味があるのですか。

やはりクオリティがもっとも重要だと私は考えるのです。たとえそのアーティストが月からやって来た人であっても、ひどい演奏だったら全然意味はない。

いま人々が興味を抱くのは、ストーリーだけではないですか。そう、面白い話ばかりではなく、苦しい話も、とても好まれる傾向がある。

そういう意味では、私も苦しんでいるから、次はみんなサントリーホールに来てくれるでしょうかね(皮肉そうに笑う)

林田 では、いまの若い人たちは、本当のクオリティをどうやって知ったらいいのでしょうか。あるいは、若い人たちに何を伝えたいと思っておられますか。

アファナシエフ 実際に若い人に何かを教えようとします。すると、音楽の中でどうやってミニストラクチャーを、構成を作っていくかという話をしても、みんな家に帰ったら、他の音楽を……自分の感情を前面にやたら出すような、めちゃくちゃな音楽を聴いて、それでもいいと思っている。

感情を露わにすることは、最悪の音楽を招きかねない。そうなっても、誰も気にしないのは悲しいことです。

林田 最後に、作家でもいらっしゃるアファナシエフさんから、常に立ち返るべき作家、哲学者を誰かご紹介いただけますか。若い人たちへのガイドを兼ねてお願いします。

アファナシエフ 常にとは言えませんが、プラトンですね。しかし、10年くらい前から特に尊敬するようになったスピノザの名前をここでは挙げておきましょう。

スピノザの有名な言葉で、「神は自然」というのがあります。その二つは同じだと。神はすべてに存在している。その発想が素晴らしい。何か仲介が入るのではなく、ずばりそのもの……私の大好きな、直接的な考え方です。

オランダの哲学者、バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)。
取材を終えて

現代の若い音楽家の置かれた状況について、アファナシエフはこう嘆いていた。「いいアーティストであるばかりでなく、いい人であることも要求される」と。そして「私はいい人なんかじゃない」とも。

これはとてもわかる気がした。「ものわかりのいい人」になりすぎてはいけない。クリエイターとしての良心を貫きたいと思う人なら、多くの方々が同意してくださるはずである。若い人がそういう状況に置かれていることを、アファナシエフは心配していた。

今回リリースされた6枚組「テスタメント(遺言)」は、期待以上の素晴らしさで、独特の透徹したピアノの響き、浮き彫りになる音楽の構造の美しさを、多くの人々にじっくりと味わっていただければと思う。

ちなみに、アファナシエフは別にこれを最後に演奏をやめると表明しているわけではない。それほど強い思いが込められている、というほどの意味である。「いい人」であろうとしたら、こんな仕事は決してできなかったはずである。

——林田直樹

「テスタメント/私の愛する音楽 ~ハイドンからプロコフィエフへ~」

完全生産限定盤 ハイブリッドディスク6枚組
ソニークラシカル SICC-19034~39(SACD層は2ch)

価格: 16,500円(税抜)

ピアノ: ベーゼンドルファー・インペリアル

録音: 2017年4月24日~26日(DISC1, 2, 5)、7月3日~5日(DISC3, 4, 6)、ドイツ、フィアゼン、フェストハレ (DSDレコーディング)

聞き手・文
林田直樹
聞き手・文
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

ONTOMOの更新情報を1~2週間に1度まとめてお知らせします!

更新情報をSNSでチェック
ページのトップへ