経済学者・小島武仁〜社会と音楽家、子どもと楽器…マーケットデザインで幸せな形に?
サステナブルな明るい未来のために活動されている方と対談し、音楽の未来を考えていくソプラノ歌手の田中彩子さんの対談連載「明日へのレジリエンス」。
第10回のゲストは、マッチング理論やマーケットデザインが専門の経済学者、小島武仁さん。スタンフォード大学教授などを経て2020年から東京大学大学院経済学研究科教授、東京大学マーケットデザインセンター(UTMD)センター長という輝かしい経歴をもち、待機児童問題を改善する方法を発明するなど、実社会をよくする仕組みづくりを大学内外と連携しながら行なっています。音楽の分野で人・モノ・サービスをよりよく結びつけるためには、どうしたらよいのでしょうか。
経済学で社会をよくする仕組みづくりを
田中 まずは、経済学者とはどういうことをされているのか? ということからお聞きしたいと思います。小島さんのご専門はマーケットデザインということですが、素人目線だと、それが経済学の中のものだということがまず意外でした。
小島 実は、経済学ってなに? という質問は、答えるのが難しいんです。一般の方がイメージするのは、財政政策とか金融政策かと思いますが、まったく違うことを研究している人もいます。
私が専門としているマーケットデザインでは、たとえば、より多くのお子さんを希望の保育園に入れるにはどうしたらいいか、そのための公的な仕組みをつくる研究を行なっています。
前職のスタンフォード大学の同僚には、臓器移植を受けたい患者さんとドナーの方をうまくひきあわせるネットワークの研究をしている人もいました。
これらに共通で使われているのは、「ゲーム理論」です。人々は自分が幸せになろうと考えて行動するけれど、そればかりを重視してみんなが動いていると、世の中がうまく回らなくなることもある。ゲーム理論では、そこを調整するにはどうしたらいいかを考え、これを、いろいろな対象に当てはめて仕組みをつくっていきます。
田中 かっこいいですね。人がよりよく生活できる環境をつくるための研究なのですね。
小島 ありがとうございます(笑)。まずは、現在の仕組みにおいて、そこで何が起きているのかを理解したいという、理学的、科学的な興味からスタートします。それがわかってきたら、その情報を使って、世の中をよくするためにどんなデザインを提供したらいいかということを研究していきます。エンジニアや大工さんのような面もありますね。
保育園の待機児童問題にマッチング理論を実装する
田中 小島さんが今取り組んでいらっしゃるという、保育園の待機児童問題を解決するためのシステムは、今どのような状況にあるのですか?
小島 日本の認可保育園においては、お子さんがどの保育園に行くかを決めるにあたってのシステムが、お店でモノを買うような形と違います。まずは親御さんがどの保育園に入れたいかの希望を自治体に申し込み、それから自治体の職員が、管轄する保育園のどこに誰が入るかを決めていきます。
職員は、なるべく多くの保護者の希望にあうよう作業を進めますが、これが簡単ではなく、また時に我々の目から見ると、もう少しうまくやる方法があるのではないかと思えることもあります。たとえば、職員が申込書と保育園のリストのファイルを見比べながら、手作業をしているケースなど、どうしても見落としが起きがちです。
私たちは、そういうことが起きない方法を研究し、論文で発表するわけですが、今はそれを自治体にご提案し、システムを導入することでどれくらい待機児童が減るかを説明して、採用していただけるように働きかけるという活動をしています。
田中 そのご提案とは、具体的にどういうものなのですか?
小島 一例を挙げると、認可保育園では年齢ごとにクラスが分かれていますが、一つの園内で、ある年齢のクラスはいっぱいなのに、他は余裕だということもあります。その場合、現状だとそのまま保育士が余った状態になりがちです。二次募集をかけることもできますが、また手作業ですから大変です。こうして、定員の空きを振り替えたくてもうまくいかず、無駄ができることが多々あります。
そこで、あらかじめマッチングのアルゴリズムを活用すると無駄がなくなるというのが、私たちの提案です。事前に自治体が保護者から集めた希望をコンピュータで処理することで、自動的に、定員の振り替えの必要を割り出しておきます。すると割り振りが効率よく行なわれ、貴重なスペースや人材を余らせることもなくなるのです。自治体によっては、待機児童が約半分になるという効果が出ています。
——マッチング理論で構築したシステムを実社会に落とし込んだとき、思った通りにならなかったり、予想外のことが起きたりすることはありませんか?
小島 そうですね、そこは気をつけないといけないところです。幸い、今までマッチングの文脈で大きな失敗はあまりありません。
小島 しかし、社会科学の分野では、そういうことがたまにあるようです。これも保育園の例でいうと、子どものお迎えに遅れてくる保護者がいるからと、経済学者のアドバイスで罰金の制度を導入したら、逆に、遅れてくる人が増えてしまった。つまり、保護者たちが「延長料金を払えばいいんだ」という考えになってしまったのですね。仕組みをつくるときには、そういった予想外の反応にも気をつけないといけません。
ただ最近は、新しい仕組みを実社会に落とし込む際には、事前にたくさん実験をします。データの検証はもちろん、仮想的に集めてきた人たちを対象に、保育園に子どもを入れたい親御さんの気持ちになってもらって実験を行なうなど、さまざまな方法があります。薬の臨床試験のようなものを、経済的な政策の影響を検証する際にも導入しています。
研究して論文を書くことも自己表現のようなもの
田中 ところで小島さんは、キャリアだけを拝見すると、挫折を知らない天才のイメージですが、インタビューなどを読ませていただくと、いろいろおもしろいお話がありますよね。たとえば、大学生のときにボーカルトレーニングをされていたとか、インラインスケートに挑戦された時期があったとか。
小島 本職の音楽家の方の前でこのお話をするのはお恥ずかしいのですが(笑)。もともと音楽自体はすごく好きで、子どもの頃はピアノを習っていましたし、小学校、高校ではブラスバンド部に入っていました。
大学生の頃、大学に入ったはいいけれどなにをやればいいかわからないと思うようになった時期があって、そのときにいろいろ挑戦するなか、若気の至りで、ロックシンガーを目指そうと思ってしまったんです(笑)。それでボイストレーニングのクラスに通いはじめたのですが、ただ歌が好きだというだけですぐにできるようになるはずもなく、すぐにやめてしまいました。
それで今度は何をやろうかと思っていたら、友人がインランスケートをやっているというので連れていってもらいました。そこで出会った友人がたまたま経済学をやっていて、いろいろ教えてもらううちにおもしろいと思うようになり、この道に進みました。
田中 インラインスケートからの経済学だったのですね。小島さんは、たくさんの論文が世界の経済学誌で掲載されている実績をお持ちです。論文というものは、どういうお気持ちでお書きになるものなのですか?
小島 研究の論文を書くということは、アイデアを思いついたら検証し、論証し、それを人に伝えるまでの一連の業務です。
そのなかで私としては、どこか自分を表現している感覚が少しあるんですね。どういう問題に注目するかのセンス、そのおもしろさをどう感じてほしいのか。ある意味で、自己表現のようなところがあります。
私の東大の同僚で、絵を描くことが好きな先生がいるのですが、最近描いているか聞いたら、「昔はよく描いていたけど、論文を書くようになったら、そちらで表現する欲が満たされて絵を描かなくなった」とおっしゃっていて。面白いなと思いました。
自分を出すということは人間の根源的な欲求だと思いますが、その点については、音楽と研究で共通している気がしますね。
逆にお聞きすると、田中さんは歌をどのような感覚で歌っていらっしゃるのですか?
田中 普段とは違う自分になっている感覚です。普段は使っていない脳が、舞台に立ったときだけ起きているみたいな。
小島 確かに、歌っていらっしゃる映像を見ると、普段と表情が違いますもんね。
田中 無意識に押し殺している感情を、音として出しているんだと思います。ただ、作品に入っているので、そこに自分自身の存在はないんです。それでも出ているのは自分の感情ではあるので、自己表現の部分もあるのですけれど。
小島 なるほど、役に入っていると、自分ではなくなるのですね。私も研究は自己表現だといいながら、その一方で、科学的であり、誰が見ても納得できるようでないといけないという意識はあるので、自分ではないんだけれど、少し自分が出ているという不思議な感覚なんです。それは研究の分野ならではのことかと思っていましたが、今田中さんのお話を聞いて、ちょっと似ているなと思いました。
田中 そうですね、論文には芸術的な側面もあるのですね。
小島 そうありたいとは思っています。
社会と音楽家のマッチングは情報の共有から
田中 少し話は変わりますが、たとえば、保育園と高齢者施設を一緒に運営することで、高齢者と子どもが交流しやすい環境をつくり、さらにそこに演奏の場を求めている音楽家を常駐させる、などというマッチングは考えられないでしょうか。お年寄り、子どもの両方にとって、音楽は脳の活性化にもいいでしょうし、音楽を通した新しいつながりが生まれ、それぞれメリットがありますよね。
小島 それ、すごくおもしろいですね。いいアイデアをいただきました(笑)。
小島 現状では、保育園も高齢者施設も、それぞれの中でのマッチングの問題が解決できていないために、次の段階に進めていないのかもしれません。さらに、どんなところにお年寄りや子どもに音楽を届けたいと思っている音楽家がいるのかがわからないので、つながらないのでしょう。
田中 双方が模索中という感じですね。音楽大学を出たけれど、都会で生計を立てるのは難しいと地元に帰る演奏家もいます。彼らが地方でその能力を活かすことができたら、演奏会が大都市に集中する状況も変わり、日本の音楽全体の活性化にもつながると思うのです。
小島 まずは情報の共有が必要かもしれませんね。先ほど例に出した臓器移植の問題でも、最初は、患者と提供者の細かい条件のマッチングのアルゴリズムの部分ばかり考えていたのですが、いざ話を進めてみると、それ以前に、両者の情報がそれぞれの医師のところで止まっていることが、そもそもの問題だとわかりました。遠く離れた街で適合する人たちがいるのに、情報が共有されていないがために、いいマッチを見つけられない。とにかく、まずはみんなが集まれる広場、データベースをつくることが第一のステップだったのです。
音楽家と、音楽を聴きたい人のマッチングも、そこがまず大事かもしれません。
田中 なるほど。まずは音楽家の情報を集めることからですね。
子どもに合う楽器を見つける仕組みはつくれる?
田中 今、解決していきたいと思っている問題やテーマはありますか?
小島 私のテーマは、出会えていない人たちをつなぐために、なにができるかということ。テクノロジーを使って、その問題を解決していきたい。たとえば、企業の人事の問題で、社員が希望している部署に行けなくて退職してしまうことを減らすためのマッチングのシステムの研究も、そのひとつです。
——ご本人の好き嫌いと、得手不得手が必ずしも一致しないこともあるのではないかと思いますが、その食い違いは、アルゴリズムによるマッチングを使うと、軽減されやすいのでしょうか。
小島 それはすごく重要な問題で、両方を突き合わせて考えることは必須です。
今、私も自分が小学生の頃のブラスバンド部の経験を思い出しました。担当する楽器を決めるとき、私はアニメで見てかっこいいと思っていたフルートを希望したのですが、先生は、当時、太っていて体が大きかった私に、君はバスの楽器がいいと、チューバをやるようにとおっしゃったのです。希望は叶わなかったわけですが、でも最終的に好きになって、高校でもチューバを吹いていたので、よかったのですけれど。
その意味で、プロの道に進む音楽家は、どうやって専門を決めるのだろうと思いますが……。
田中 たとえばウィーンの音楽家には、ご両親も音楽関係の方が多いので、まずピアノをやって、そこから他の楽器に移っていくケースが多いですね。
一方、ベネズエラのエル・システマというジュニアオーケストラの場合は特殊で、研究に基づいて、子どもたちの性格や体つきから考慮するとこの楽器が合うだろうということから、楽器を与える方法を試しているようです。
小島 それはおもしろいですね。私の周りでも、お子さんが、人気のピアノとヴァイオリンを勉強していたけれど、結局はスクールオーケストラでそのポジションには空きがなく、続けられなかったという話をよく聴きます。もうちょっといろいろな楽器に触れられる機会があると、可能性が開けていいですよね。
リベラルアーツの考え方に通じるかもしれませんが、最初は広いところを見て一番合うものを見つけるほうがいいこともあります。そこをサポートできる仕組みはあったほうがいいでしょうね。
田中 マッチングというのは、人が技術でつながる、とても現代的なシステムでおもしろいですね。私は経済学者さんとお話をするのは今日が初めてでしたが、新しいアイデアをたくさんいただきました。どうもありがとうございました。
マーケットデザインやマッチングのアルゴリズムなどは、日頃から耳にする機会が少なからずありましたが、
田中彩子
対談の一部を動画でご覧ください!
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