プレイリスト
2020.11.22
おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—第22回

「おお永遠、それは雷の言葉」BWV60——三位一体後第24主日

音楽の父ヨハン・ゼバスティアン・バッハが生涯に約200曲残したカンタータ。教会の礼拝で、特定の日を祝うために作曲されました。
「おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—」では、キリスト教会暦で掲載日に初演された作品を、その日がもつ意味や曲のもととなった聖書の聖句とあわせて那須田務さんが紹介します。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

19世期ロシア帝国の画家イリヤ・レーピン作「ヤイロの娘の復活」。

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本日は教会暦において、今年最後の日曜日。先々週のカンタータ115番でもお話ししたように、この時期、バッハのカンタータは眠りや死、最後の審判などを主題にしたものが多くなります。

本日お聴きいただくカンタータ第60番「おお永遠、それは雷の言葉」も同様です。1723年11月7日にライプツィヒの教会で初演されました。

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その際の礼拝で朗読されたのは「マタイによる福音書」第9章の18から26。ユダヤの指導者の亡くなった娘を生き返らせ、イエスの服に触れた女の病が癒されたという場面です。

09:18イエスがこのようなことを話しておられると、ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言った。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」 09:19そこで、イエスは立ち上がり、彼について行かれた。弟子たちも一緒だった。 09:20すると、そこへ十二年間も患って出血が続いている女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れた。 09:21「この方の服に触れさえすれば治してもらえる」と思ったからである。 09:22イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」そのとき、彼女は治った。 09:23イエスは指導者の家に行き、笛を吹く者たちや騒いでいる群衆を御覧になって、 09:24言われた。「あちらへ行きなさい。少女は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。 09:25群衆を外に出すと、イエスは家の中に入り、少女の手をお取りになった。すると、少女は起き上がった。 09:26このうわさはその地方一帯に広まった。

新共同訳聖書より「マタイによる福音書」9章18〜26節

バッハのカンタータはイエスが癒された女に言った「あなたの信仰があなたを救った」をもとに、死を前にした人の恐れと葛藤と信仰ゆえの希望を、あたかもオペラやオラトリオのような対話形式で聴かせます。

そこでバッハは楽譜の冒頭に「恐れと希望の対話」と記し、「恐れ」をアルトが、「希望」をテノール、「キリスト」をバスが演じます。編成はアルト、テノール、バスに合唱、ホルンとオーボエ・ダモーレ(愛のオーボエ)2、弦楽と通奏低音。

なお、曲中のコラール(賛美歌)は、第1曲にはJ.リストのカンタータと同名のもの。終曲にはブールマイスターの「もはや十分、主よ、私の霊を取ってください」が用いられています。

第1曲はアルトとテノール(アリアとコラール)。どこか騒然とした趣のオーケストラに続いてアルト(恐れ)が、コラールの一節「おお永遠よ、汝、雷の子よ、魂を貫く剣よ、おお終わりなき始まり、永遠よ、時なき時よ、私はあまりの悲しみに、どちらを向いたらいいのか分からない」と歌う一方でテノール(希望)が「主よ、私はあなたの救い主を待ちます」と歌います。

第2曲はアルトとテノールのレチタティーヴォ。アルト(恐れ)とテノール(希望)の対話が以下のように交わされます。

(恐れ)おお、最後の戦いに向かう足取りはなんて重いのでしょう」→(希望)「私の救い主は慰めとともに私の傍に立っておられるから大丈夫」→(恐れ)「死への恐怖や罪に対する苦しみに襲われる」→(希望)「私は自分の身体を神の御前に捧げます。その火がどれほど熱くとも、神の栄光と私の身体を浄めるのなら満足です」→(恐れ)「罪の大きな負い目が目前にある」→(希望)「神はその罪によって死の判決を申し渡すことはない。試練の責め苦を終わらせ、忍耐力を与えてくださるだけ」。

第3曲はアルトとテノールの二重唱。二人の対話は迫真に満ちたバッハの音楽とともにさらに高まります。恐れが「最期の寝場所が怖い」と歌えば、希望が「救い主の御手が私を覆ってくださるのですよ」と言い、その後も「いえ、私の信仰は弱まり、沈んでいく」(恐れ)、「そんなことはありません。私のイエスは苦しみを共に担ってくださるのだから」(希望)、「空いている墓が恐ろしい」(恐れ)、「私には平安の住まいとなる」(希望)と、いつまでも2人の会話は平行線を辿ります。

第4曲はアルトとバスのレチタティーヴォとアリオーソ。いつまでも「やはり死は人間にとって憎むべきものです。すべての希望を引き裂き地面に埋めてしまうから」と悲しむ(恐れ)に、キリストが「死ぬ人は幸い」と優しく語り掛けます。それでも(恐れ)は納得しません。「そうでしょうか。どれほどの危険が待ち受けていることでしょう。魂が地獄に飲み込まれるのも恐ろしい。魂は呪われ、永遠に滅んでしまうかもしれません」。

でもキリストが再度「今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである」と言うと、(恐れ)は「わかりました。私が祝福されるのなら、希望よ、どうかもう一度ここに来てください」と、死を受け入れます。

最後にコラールを合唱して幕となります。「満ちたれり、主よ、もし御心ならば、私を解放してください。わたしのイエスが来る。さようならこの世よ」。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

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