《マタイ受難曲》を聴く喜び——キリスト教の受難週に演奏される「受難曲」とは?
音楽の父ヨハン・ゼバスティアン・バッハが生涯に約200曲残したカンタータ。教会の礼拝で、特定の日を祝うために作曲されました。
「おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—」では、キリスト教会暦で掲載日に初演された作品を、その日がもつ意味や曲のもととなった聖書の聖句とあわせて那須田務さんが紹介します。
ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...
神と、自分と向き合う「受難曲」の上演
おはようございます。バッハの時代、ライプツィヒの教会では四旬節(レント)のあいだ、教会カンタータは演奏されなかったので「おはようバッハ」もお休みをしていましたが、キリストが十字架刑にかけられた受難日(受苦日とも)である聖金曜日(2021年は4月2日)が近づいてきました。
古くからキリスト教会では、イエスの受難を記念し、追想する礼拝が行なわれていました。最初は「マタイ」や「ヨハネ」などの福音書の受難記事を助祭が詠唱していました。13世紀頃になると、語り手、イエス、他の登場人物を分担して演じる受難劇が生まれ、その後さまざまな時代の音楽様式を取り入れた受難曲(Passion/パッション)へと発展。
17世紀後半には、主にルター派の教会で福音書の記事に、新たに自由作詞されたオペラ風のレチタティーヴォやアリア、重唱、合唱などを加えたオラトリオ風の受難曲が生まれました。
バッハが亡くなったとき、息子のカール・フィリップ・エマニュエルらによって書かれた『故人略伝』によれば、バッハはこのような新しいタイプの受難曲を全部で5つ作曲したそうです。でも現在では歌詞のみが残っているヴァイマール時代の《マルコ受難曲》、ライプツィヒ時代の《マタイ受難曲》と《ヨハネ受難曲》、他者の作品にいくつかの楽曲を加筆作曲した《ルカ受難曲》が知られるのみです。
いずれにせよ、今日完全な形で上演できるのは、「マタイ」と「ヨハネ」の2つですが、いずれも受難曲の最高峰として、今日でもドイツやオランダ等プロテスタント系のキリスト教国で聖金曜日や、受難週(イエスがエルサレムに入場した「棕櫚(しゅろ)の主日」から聖金曜日までの6日間)に、さかんに演奏されています。
明日からの「おはようバッハ」では、SNSで行なった読者アンケートの結果から、「マタイ」を取り上げることにしました。
たとえば、筆者が長年暮らしたドイツのケルンは、大聖堂を始めとしてたくさんの教会が林立することから「百塔の街」と言われていますが、毎年、受難週になると聖金曜日に向けて町中の教会やホールで受難曲が演奏されます。今日は現代オーケストラの「ヨハネ」、明日は古楽器による「マタイ」と毎日のように聴くことができるのです。
筆者も毎日のように通いましたが、渡独したばかりの頃は日本語の聖書を片手に出掛けたものでした。というのは、バッハの受難曲は福音書記者(ラテン語でエヴァンゲリストといいます)が語る部分やイエスや登場人物が詠唱する部分は、すべて福音書の受難の記事だからです。
「マタイ」なら、およそ2時間半のあいだ、バッハの音楽とともに聴き手も演奏者も自分自身と向き合う。人類のために十字架にかけられたイエスへの想いと自分の人生のさまざまな出来事が重なって、中には感極まり泣いている人もいます。そして最後のコラールを胸に家路につく。受難曲とはそういう音楽です。
キリストの受難は、教会の成立に必要な事績なので喜ばしいのですが、同時に悲しみは深い。ですから、ドイツやオランダ等のプロテスタント諸国では、終演後の拍手は控えめか、まったくしません。
バッハが二群の大編成で書き上げた大作《マタイ受難曲》
J.S.バッハの《マタイ受難曲》は1727年の聖金曜日にライプツィヒの教会で初演されました。その後何度か再演され、その度に改訂の手が加えられています。また、1736年にバッハ自身が浄書した美しい総譜が伝えられています。
全2部で68曲(現代の楽譜の版によって78曲)。福音書記者らが詠唱する聖書の個所は、「マタイによる福音書」第26と27章。それに自由に作詞されたレチタティーヴォやアリア、重唱、合唱。コラール等からなり、自由詩のテキストは、ライプツィヒの詩人ピカンダーが担当しました(バッハも関わったとも考えられています)。
「マタイ」の音楽上の大きな特徴は合唱とオーケストラを二群に分けた二重合唱編成を採用していることでしょう。これは教会のいくつかの合唱席に合唱や器楽奏者を配置した17世紀初頭のヴェネツィア楽派の習慣に由来しています。第1群は主にイエスの十字架刑に立ち会った人々たちによる受難の出来事の報告や感想。彼らのことを、しばしば神都エルサレムの詩的な表現である「シオンの娘」ということもあります。第2群では主にそれを聴いた後世の信者たちの想いが表現されます。
そして物語の進行は、テノールの福音書記者(エヴァンゲリスト)がレチタティーヴォで担い、バスⅠのイエスの他に、ユダ、ペトロ、ピラト、大祭司、証人たち、召使の女、ピラトの妻などの言葉はさまざまな独唱者が、弟子たちや群衆の言葉は合唱が受け持ち、さらに自由に作詞されたアリアや重唱を歌うソプラノ、アルト、テノール、バスの独唱者で構成されます。
それぞれの解説では、聖書の言葉のみ全文を引用します。なお、聖書は新共同訳『聖書』日本聖書協会1987年を参照しました。
そういうわけで、明日の「棕櫚の主日」から聖金曜日まで、6回に分けてバッハの《マタイ受難曲》を全曲お聴きいただきます。どうぞお楽しみに!
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