「ピアノ・ソナタ第26番 変ホ長調《告別・不在・再会》」——生涯唯一の作曲の弟子へ贈った作品
生誕250年にあたる2020年、ベートーヴェン研究の第一人者である平野昭さん監修のもと、1日1曲ベートーヴェン作品を作曲年順に紹介する日めくり企画!
仕事終わりや寝る前のひと時に、楽聖ベートーヴェンの成長・進化を感じましょう。
1800年、30歳になったベートーヴェン。音楽の都ウィーンで着実に大作曲家としての地位を築きます。【作曲家デビュー・傑作の森】では、現代でもお馴染みの名作を連発。作曲家ベートーヴェンの躍進劇に、ご期待ください!
東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...
生涯唯一の作曲の弟子へ贈った作品「ピアノ・ソナタ第26番 変ホ長調《告別・不在・再会》」
1809年4月、ウィーンはナポレオン軍の侵攻に脅かされ、帝室一家は疎開を始めます。
前年にピアノ協奏曲第4番作品58を献呈したことで急速に親交を深めていたルドルフ大公も皇室の一員として疎開していった。ベートーヴェンはルドルフ大公を生涯唯一の作曲の弟子として受け入れたばかりであり、1808年中にも折に触れて何度か作曲理論を教えたりしていたが、この3月の年金契約以降に本格的な作曲指導のレッスンを始めようと準備していた矢先のことであった。1年後に大公に献呈されることになるピアノ・ソナタ《告別》作品81aの第1楽章自筆草稿には「告別Das Lebewohl 1809年5月4日、ウィーンにて、尊敬するルドルフ大公殿下の出発に際し」と記されている。第2楽章に「不在Abwesenheit」、第3楽章に「再会Das Wiedersehen」と標題されたこのソナタをルドルフ大公の疎開直後から作曲し始めたことが窺える。また、やはりルドルフ大公に献呈されることになるピアノ協奏曲第5番「変ホ長調」作品73(後年の愛称《皇帝》」もこの時期に完成されている。
——平野昭著 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』(音楽之友社)107、108ページより
この作品は、《告別》ソナタとして一括りにされることが多いですが、正確には1楽章ごとに標題が付けられていました。
ベートーヴェンは、生涯唯一の作曲の弟子であるルドルフ大公に大きな信頼を置いていたに違いありません。当時の戦況や2人の関係を思いながらこの作品を聴くと、また違った印象を受けるかもしれませんね。
「ピアノ・ソナタ第26番 変ホ長調《告別・不在・再会》」Op.81a
作曲年代:1809年〜10年(ベートーヴェン38歳〜39歳)
出版:1811年7月ブライトコップフ&ヘルテル社
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