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2020.09.21
おやすみベートーヴェン 第281夜【不滅の恋人との別れ】

「悲劇《タルペア》のための〈勝利の行進曲〉」——人気絶頂のベートーヴェンを襲った収入難。一体何があった?

生誕250年にあたる2020年、ベートーヴェン研究の第一人者である平野昭さん監修のもと、1日1曲ベートーヴェン作品を作曲年順に紹介する日めくり企画!
仕事終わりや寝る前のひと時に、楽聖ベートーヴェンの成長・進化を感じましょう。

ウィーン会議、ナポレオンの没落......激動のウィーンで43歳になったベートーヴェン。「不滅の恋人」との別れを経て、スランプ期と言われる時期を迎えますが、実態はどうだったのでしょう。

ONTOMO編集部
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東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...

監修:平野昭
イラスト:本間ちひろ
編集協力:水上純奈

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人気絶頂のベートーヴェンを襲った収入難。一体何があった?「悲劇《タルペア》のための〈勝利の行進曲〉」

1812年の暮れ、ベートーヴェンは収入に頭を悩ませることになります。彼の周りで何が起きていたのか見てみましょう。

1813年も前年の平価切下げによる異常なインフレーションが続いていた。物価高の中でベートーヴェンの主要な収入の一部をなしていた貴族3人からの年金のうち、前年不慮の事故で亡くなったキンスキー侯からの支給が滞っていた。弱り目に祟り目。この春ころから弟カールは病気が進行し始め、まともに働くことができなくなり職を失ってしまった。弟一家の経済的援助もしなければならなくなり、ベートーヴェンは4月に受益コンサートを開催する計画を立てた。

4月にウィーン大学講堂をはじめとするいくつかの劇場に受益コンサート開催計画書と使用申請を出していたが、どこからも許諾されず、コンサートの計画は流れてしまい、パート譜作成費の多大な出費だけが残った。ベートーヴェン作品の人気が落ちたからではなく、異常なインフレーションで演奏会の開催が難しくなっていたからである。

——平野昭著 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』(音楽之友社)136ページより

異常なインフレ、パトロンの訃報、弟の病気というトリプルパンチにより収入が減ってしまったベートーヴェン。受益コンサート開催に向けて2つの交響曲(第7番第8番)」のパート譜を急いで書いていたようですが、こちらもインフレの影響によって、開催を諦めなければなりませんでした。

そんななか、「悲劇《タルペア》のための〈勝利の行進曲〉」が3月26日に上演されたのです。さて、収入は元に戻ったのでしょうか。明日ご紹介します。

作品紹介

「悲劇《タルペア》のための〈勝利の行進曲〉」WoO2a

作曲年代:1813年3月(ベートーヴェン42歳)

初演:1813年3月26日

出版:1840年

Chr. クフナー原作の舞台劇への付曲

平野昭著 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』(音楽之友社)
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東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...

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