「カンタータ《栄光の瞬間》」——ウィーン会議の締めくくり、そしてラズモフスキー家の大火
生誕250年にあたる2020年、ベートーヴェン研究の第一人者である平野昭さん監修のもと、1日1曲ベートーヴェン作品を作曲年順に紹介する日めくり企画!
仕事終わりや寝る前のひと時に、楽聖ベートーヴェンの成長・進化を感じましょう。
ウィーン会議、ナポレオンの没落......激動のウィーンで43歳になったベートーヴェン。「不滅の恋人」との別れを経て、スランプ期と言われる時期を迎えますが、実態はどうだったのでしょう。
東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...
ウィーン会議の締めくくり、そしてラズモフスキー家の大火「カンタータ《栄光の瞬間》」
《フィデリオ》の大成功のあと、ベートーヴェンは来たるウィーン会議に向けて、大カンタータの作曲を進めました。
ウィーンの女神ヴィエンナ、女預言者、民衆の指導者、守護神の4人と合唱(混声、女声、男声、児童)というオラトリオ風の構成で、全6曲からなる。(中略)最後に「冠を戴くもの」でハプスブルグ家オーストリア皇帝フランツ1世を謳って「バーベンベルクの力をふるい、ドイツに楽園を築く」と締めくくっている。要するにヨーロッパに冠たるハプスブルクの皇帝の力を誇示したものだ。
——平野昭著 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』(音楽之友社)147ページより
1814年11月29日、宮廷大舞踏会場で交響曲第7番や《ウェリントンの勝利》などの演奏と同時に行なわれた初演は大成功。12月にも同じプログラムが2回繰り返し上演され、ベートーヴェンも大いに満足していたようです。そんなウィーン会議も終焉を迎えます。
舞踏会と音楽会に明け暮れた「ウィーン会議」という名のお祭り広場を締めくくった大晦日は、ジルヴェスターの花火ならぬラズモフスキー伯爵邸の大火で幕を下ろすことになった。ロシア皇帝を招いての祝宴を催すために増築された木造建物から31日未明に出火し、本館に燃え移った火は貴重な図書室や芸術品のコレクションをも呑み込んでしまったのである。
——平野昭著 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』(音楽之友社)147ページより
「カンタータ《栄光の瞬間》」
作曲年代:1814年(ベートーヴェン44歳)
出版:1836年
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