カンタータ《海の凪と成功した航海》——ゲーテが描いた海の様子を音楽で表現!
生誕250年にあたる2020年、ベートーヴェン研究の第一人者である平野昭さん監修のもと、1日1曲ベートーヴェン作品を作曲年順に紹介する日めくり企画!
仕事終わりや寝る前のひと時に、楽聖ベートーヴェンの成長・進化を感じましょう。
ウィーン会議、ナポレオンの没落......激動のウィーンで43歳になったベートーヴェン。「不滅の恋人」との別れを経て、スランプ期と言われる時期を迎えますが、実態はどうだったのでしょう。
東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...
ゲーテが描いた海の様子を音楽で表現! カンタータ《海の凪と成功した航海》
1813年に金銭的困難に陥っていたベートーヴェン(参考:「交響曲第7番 イ長調 第3楽章」)。交響曲第7番と第8番を披露するための受益コンサートを予定していたこの時期に、《静かな海と幸運の航海》は着手されました。
弟一家の経済的援助もしなければならなくなり、ベートーヴェンは4月に受益コンサートを開催する計画を立てた。そのためにまだ出版されていない新作の2曲の交響曲(第7番と第8番)のパート譜を急ぎ作成させる一方で、ゲーテの詩によるカンタータ《海の凪と成功した航海》作品112の作曲に着手していた。このカンタータの完成はかなり遅れることになるが、2曲の交響曲は公開演奏を目指してルドルフ大公の邸宅で練習と試演も済ませていた。
一方、1808年暮れに交響曲第5番、6番やピアノ協奏曲第4番などと一緒に初演された《合唱幻想曲》と、作曲時期は「ウィーン会議」期間の1814年から翌15年にかけての成立となる《海の凪と成功した航海》はオーケストラ演奏会の最後を飾るレパートリーとして書かれたものであり、プログラムの1曲として十分個性的な表現が追求されている。(中略)後者は文豪ゲーテの詩への付曲であるが、ベートーヴェン自ら「(前編・後編の)2つの詩内容の対比を音楽で表現しても、その効果は損なわれないと考えている」と語っているように、海の凪の様子と風が吹き始めて船が帆走しだす光景が描写的に表現されている。
——平野昭著 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』(音楽之友社)136、258ページより
最終的に、この作品の完成は2つの交響曲より大きく遅れることとなりました。
演奏会の大トリを飾ることを想定して書かれたというこの作品。元となったゲーテの詩は「静かな海」と「幸運の航海」の2つに分かれています。ベートーヴェンは、この詩の世界観を見事に表現しました。ゲーテに宛てた手紙にもその旨が書かれていますね。
カンタータ《海の凪と成功した航海》Op.112
作曲年代:1814年末〜15年夏(ベートーヴェン44歳)
出版:1822年
テキスト:ゲーテ
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