「交響曲第9番ニ短調《合唱付き》」第2楽章——音楽家たちとの交流、オペラへの関心、難聴の進行
生誕250年にあたる2020年、ベートーヴェン研究の第一人者である平野昭さん監修のもと、1日1曲ベートーヴェン作品を作曲年順に紹介する日めくり企画!
仕事終わりや寝る前のひと時に、楽聖ベートーヴェンの成長・進化を感じましょう。
48歳となったベートーヴェン。作品数自体は、これまでのハイペースが嘘のように少なくなります。しかし、そこに並ぶのは各ジャンルの最高峰と呼ばれる作品ばかり。楽聖の「最後の10年」とは、どんなものだったのでしょう。
東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...
音楽家たちとの交流、オペラへの関心、難聴の進行「交響曲第9番ニ短調《合唱付き》」第2楽章
昨日の第1楽章に続いて、本日は第2楽章をお聴きいただきます。
ベートーヴェンは1822年に作曲の依頼を受け、1823年には本腰を入れて作曲を進めていました。この時期に、2人の音楽家がベートーヴェンを訪ねています。
4月上旬の「筆談帳」への書き込みに「私は13日の日曜日に演奏会を開きますので、是非ともご来席いただけますようにお願いいたします」とある。この訪問者はシンドラーに案内されてやってきたリスト父子であり、11歳半のフランツ・リスト(1811〜86)の書き込みである。
——平野昭著 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』(音楽之友社)180ページより
ベートーヴェンの弟子ツェルニーにピアノを、師匠のサリエーリに作曲を師事していた若きリストと、ベートーヴェンはどのような会話をしたのでしょうか。リストは後年、ボンのベートーヴェン像建設の際に奔走していますから、これはきっと忘れられない思い出だったのではないでしょうか。
半年後、「第九」の第3楽章を書き終え、終楽章に着手していた10月頃、保養先のバーデンにカール・マリア・フォン・ウェーバーがやってきました。ウェーバーはベルリンで初演したオペラ《魔弾の射手》の成功で、押しも押されぬ人気作曲家となり、オペラ《オイリュアンテ》のウィーン初演のために滞在していました。
この時のことをウェーバーは妻に宛てた手紙で「私は感動的な愛情をもって迎えられた。少なくとも6回か7回もの心からの抱擁を受けた……午後もなかなか愉快で満足すべき時を過ごし……食卓では私を貴婦人のように接待してくれた。この偉大な天才から愛情あふれる処遇を受けて、私は感極まり、精神は高揚せずにはいられなかった」と述べている。
——平野昭著 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』(音楽之友社)181ページより
このときのもっぱらの話題は「オペラ」だったそうです。前年には《魔弾の射手》ウィーン初演が大成功していたウェーバーに大きな関心をもっていたベートーヴェン。実はオペラ作曲を目論んでおり、台本の選定にも入っていたようです。
しかし、バーデンからウィーンに戻ったベートーヴェンが、《オイリアンテ》の上演に姿を現すことはありませんでした。
バーデンの帰りが遅れたというより、おそらくこのころは補聴器や「筆談帳」を使うほどまで聴力が衰えていて、言葉が意味をもつオペラを鑑賞しようとする意欲はさすがに湧いてこなかったのではないだろうか。
——平野昭著 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』(音楽之友社)181ページより
交響曲第9番ニ短調《合唱付き》
作曲年代:1818年、22~24年2月(ベートーヴェン48歳、51〜53歳)
出版:1826年8月ショット社(マインツ、パリ、アントワープ)
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