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2020.12.01
おやすみベートーヴェン 第352夜【最後の10年】

「交響曲第9番ニ短調《合唱付き》」第3楽章——ウィーンでのロッシーニ旋風、波乱の初演準備

生誕250年にあたる2020年、ベートーヴェン研究の第一人者である平野昭さん監修のもと、1日1曲ベートーヴェン作品を作曲年順に紹介する日めくり企画!
仕事終わりや寝る前のひと時に、楽聖ベートーヴェンの成長・進化を感じましょう。

48歳となったベートーヴェン。作品数自体は、これまでのハイペースが嘘のように少なくなります。しかし、そこに並ぶのは各ジャンルの最高峰と呼ばれる作品ばかり。楽聖の「最後の10年」とは、どんなものだったのでしょう。

ONTOMO編集部
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東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...

監修:平野昭
イラスト:本間ちひろ

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ウィーンでのロッシーニ旋風、波乱の初演準備「交響曲第9番ニ短調《合唱付き》」第3楽章

4日間連続で紹介している「交響曲第9番ニ短調《合唱付き》」。今日は第3楽章とともに、初演までの道のりを見てみましょう。

作曲も大詰めに差し掛かると、「筆談帳」には初演の日程や、会場、出演者の話題もあがるようになります。初演に参加した2人の女性歌手もたびたび訪れて、ベートーヴェンも「(彼女たちは)どうしても私の手にキスさせてほしいとせがむんだ。本当に彼女たちは可愛くて、私は彼女たちに、手より口にキスしてもらった方がもっと素晴らしいんだけど、ね、と言ったんだ」と上機嫌。

しかし、ウィーンにはベートーヴェンの新作交響曲が“ウィーン以外で”初演されるのでは、と噂されていました。その噂の証拠は残っていませんが、ベートーヴェンがウィーンの音楽界に辟易としていたのは事実のようです。その理由のひとつは、イタリアからやってきたジョアキーノ・ロッシーニの人気でした。

1822年にバルバイアが仕掛けた「ロッシーニ・フェスティバル」以来、ウィーンの劇場はどこも競ってロッシーニのオペラを上演し聴衆確保に躍起になっていた。事実このロッシーニ旋風のためにフランツ・シューベルト(1797~1828)のいくつかのオペラ上演が反故にされたし、ベートーヴェンの《フィデリオ》の上演機会なども奪われていたのである。

——平野昭著 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』(音楽之友社)184ページより

結局、ウィーンの名士30名の署名付き嘆願書まで用意された請願活動によって、「第九」のウィーン初演が決定されました。アン・デア・ウィーン劇場はベートーヴェンが望んだ演奏者を受け入れず、要望を呑んだケルントナートーア劇場が初演場所に選ばれました。

歌手問題も波乱の展開。テノール歌手は2回変わり、初演に参加したハイツィンガーは練習不足で本番に臨みました。バス歌手のプライジンガーは、初演3日前に急遽出演辞退。ベートーヴェンの信頼をもって交代したザイペルトは、アン・デア・ウィーン劇場の専属であったので、興行主パルフィー伯爵からの妨害に遭うも、伯爵からの仕打ちを示す手紙を公開すると脅迫してなんとか出演に漕ぎ着けました。

当初、1824年4月27日に予定されていた初演は、日程調整や楽譜の準備で5月7日まで延期。ベートーヴェンは皇帝一家の臨席を望んでいましたが、初演の2日前に保養のためウィーンを離れていたため、かないませんでした。

作品紹介

交響曲第9番ニ短調《合唱付き》

作曲年代:1818年、22~24年2月(ベートーヴェン48歳、51〜53歳)

出版:1826年8月ショット社(マインツ、パリ、アントワープ)

平野昭著 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』(音楽之友社)
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東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...

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