レポート
2018.02.02
~「ミヨーが認めてくれたんですよ」~

【連載】プレスラー追っかけ記 No.8
<インタビュー編:その1>

94歳の伝説的ピアニスト、メナヘム・プレスラー。これは、音楽界の至宝と讃えられる彼の2017年の来日を誰よりも待ちわび、その際の公演に合わせて書籍を訳した瀧川淳さんによる、来日期間中のプレスラー追っかけ記です。

追っかけた人
瀧川淳
追っかけた人
瀧川淳 翻訳者・国立音楽大学准教授・音楽教育学者

『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』(ウィリアム・ブラウン著)訳者。 音楽教育学者。音楽授業やレッスンで教師が見せるワザの解明を研究のテーマにしている。東京芸術...

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 前回までの記事の日時と前後するけれども10/12、サントリーホールのリハーサル室でマスタークラス(「追っかけ記」No.1No.2)を終えたプレスラーさんと、僕は初めての対面を果たしたのです。

 会場には、静寂と緊張感漂う中で進められた白熱した指導の余熱がまだ残り、また収録のための非日常な雰囲気もありました。受講生や聴講した人たちは、たった今、目の当たりにしたハイドンから綿々とつながる“伝統”を各々興奮気味に語り合い、またプレスラーさんと旧交のある人たちが順々にプレスラーさんとの再会を喜び合う中、担当編集者さんに手渡された(出来立てホヤホヤの)『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』を持って、プレスラーさんの前へと向かいました。

「この本に見覚えはありませんか?」。
彼の前に膝をついて本を差し出すと、プレスラーさんは静かに「あぁ、『Artistry of Piano Teaching』じゃないか(注:『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』の原題)」と。

そう思われるのも無理ありません。実は、訳書の表紙の写真は原書と同じなのです。

本書を手渡すと、この嬉しそうな笑顔! 感動していただけたようです。

「私が日本語に訳させていただきました。プレスラーさんの来日に合わせて出版されたのですよ」。

そう伝えて1冊差し上げると、茶目っ気たっぷりに驚いてみせ「ありがとう! 君が訳してくれたのですか。日本語版が出版されるなんて知らなかった(注:本書は弟子のブラウン氏執筆なのでプレスラーさんまで話が届いていなかったのかもしれないし、そもそも翻訳の承諾をもらったのは数年前のことだからお忘れなのかもしれない)」と嬉しそうにページをめくってくださり、掲載されている写真を見ては「ダリウス・ミヨー(注: プレスラーが優勝した1946年のドビュッシー・コンクールで審査員を務めた。p.29)が、私を認めてくれたんですよ」などと、柔和な微笑みを浮かべながら述懐しはじめたのです。

また弟子たちの名前(p.6-7)を見つけると、ひときわ優しい眼差しを向け「all of my students(私の生徒たちが……)」と静かに呟かれたのです。

僕は、この時の眼差しと愛情深いつぶやきを今でも忘れることはできません。なぜならプレスラーさんが、これまで教えてきた生徒たちにどれほどまでに愛情を注ぎ、また今も愛し続けているのかをしっかりと受け止めることができたのですから。自分も教育者の端くれとして、こうありたいと感ぜずにはいられませんでした。

◇ ◇ ◇

実は、これは事前にセッティングされてはいない面会でした(いわばサプライズです)。ひとときの面会でしたが、プレスラーさんは「この本はね、インディアナ大学出版部で出版されたのだけど、とてもよく売れたんですよ(「International Piano Book Award,2009」準グランプリも受賞しています)。実は2冊目がもうすぐ出版されますよ」と述べられ、続けてこうおっしゃったのです。

「ところで、君とはインタビューでまた会えるのかな?」と。

ことのほか、この本に興味を持ってくださったのだと思います。

予想だにしなかったプレスラーさんからのオファーに、僕は「もちろんです!」と即答。ですが、この時点では、まだプレスラーさんとのインタビューは予定されておらず……。しかし、訳書にいただいたサイン(写真)の通り、担当編集者さんと招聘先(AMATI)さんの尽力で、すぐに再会を果たすことができたのです。

つづく

多くの幸運と再会を願っています。 メナヘム・プレスラー 2017年10月12日


サインをお願いすると、即座に本に顔を寄せ、真剣な表情でこのメッセージを書いてくださいました。

プレスラー氏とのツーショット。

メナヘム・プレスラー Menahem Pressler

1923年、ドイツ生まれ。ナチスから逃れて家族とともに移住したパレスチナで音楽教育を受け、1946年、ドビュッシー国際コンクールで優勝して本格的なキャリアをスタートさせる。1955年、ダニエル・ギレ(vn.)、バーナード・グリーンハウス(vc.)とともにボザール・トリオを結成。世界中で名声を博しながら半世紀以上にわたって活動を続け2008年、ピリオドを打つ。その後ソリストとして本格的に活動を始め、2014年には90歳でベルリン・フィルとの初共演を果たし、同年末にはジルベスターコンサートにも出演。ドイツ、フランス国家からは、民間人に与えられる最高位の勲章も授与されている。また教育にも熱心で、これまで数百人もの後進を輩出してきた。世界各国でマスタークラスを展開し、またインディアナ大学ジェイコブズ音楽院では1955年から教えており、現在は卓越教授(ディスティングイッシュト・プロフェッサー)の地位を与えられている。

ウィリアム・ブラウン William Brown

『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン(原題:Menahem Pressler : Artistry in Piano Teaching)』著者。
インディアナ大学でメナヘム・プレスラーに師事し、その間、ピアノ演奏で修士号と博士号を取得。ソリスト、室内楽奏者として活躍するかたわら、アメリカ・ミズーリ州にあるサウスウエスト・バプティスト大学の名誉学部長ならびにピアノ科名誉教授でもある。ミズーリ州音楽教師連盟前会長、パークウェイ優秀教師賞受賞。『ピアノ・ギルド・マガジン』や『ペダルポイント』誌などへの寄稿も多数。

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瀧川淳
追っかけた人
瀧川淳 翻訳者・国立音楽大学准教授・音楽教育学者

『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』(ウィリアム・ブラウン著)訳者。 音楽教育学者。音楽授業やレッスンで教師が見せるワザの解明を研究のテーマにしている。東京芸術...

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