田中彩子のコロラトゥーラの声を素材に音楽をつくり出した異色のコラボ、映像を配信「Music of the Beginning —はじまりの音楽—」
サステナブルな明るい未来のために活動されている方と対談し、音楽の未来を考えていくソプラノ歌手の田中彩子さんの対談連載「明日へのレジリエンス」。
番外編となる今回は、この対談をきっかけに異色のコラボレーションが実現したコンサート&映像配信「Music of the Beginning —はじまりの音楽—」のリハーサルを取材しました。挑戦することを厭わない田中さんが、本当に行動して突き進んだ姿を連載中に披露できて、感慨深い編集部です!
ONTOMOの連載からはじまった新しいコラボレーション
2021年も押し迫った12月26日、クリスマスの翌日に「Music of the Beginning —はじまりの音楽—」と題するコンサートが開催された。場所は神奈川工科大学のKAIT広場。
ウィーン在住で世界的に活躍するソプラノの田中彩子、初音ミクによるボーカロイド・オペラ『THE END』や新国立劇場で行なわれたアンドロイド・オペラ『Super Angels』などで知られる音楽家の渋谷慶一郎、そして“インビジブル・シネマ(耳で視る映画)”をコンセプトにした作品によって文化庁メディア芸術祭優秀賞を受賞するなど、独自の音楽活動を展開するサウンドアーティストのevalaの3人が集結。歌・ピアノ・エレクトロニクスに照明を組み合わせた、これまでにない独自の世界は、大きな話題を呼んだ。
「Music of the Beginning —はじまりの音楽—」本番映像
「夜11時ごろに告知を解禁したんですが、翌朝にはチケットはソールドアウトしていました」と語るのは、全体のクリエイティブ・ディレクションを行なったムラカミカイエ。そもそも、田中彩子がONTOMOで連載している対談「明日へのレリジエンス」でムラカミカイエと出会ったのが、この企画のきっかけとなったそう。
田中「私は常に自分がドキドキすることをしたいと思っているんですが、ムラカミさんなら私が想像もできないことをしてくれるだろう! と思いご相談したところ、じゃあ渋谷慶一郎も巻き込もう、となりました」
ムラカミ「コロラトゥーラという田中さんの特性を現代の音楽と組み合わせたときに、どういう表現があるのか、というところにチャレンジしてみたかったんです。そこで思いついたのが、クラシックの教育を受けながら現代音楽やエレクトロニクスで活躍している渋谷でした」
ムラカミとは10年来の知己という渋谷は、基本的にはあまりコラボレーションはやりたくないそうだが、田中のコロラトゥーラ・ヴォイスを聴いて「声に尋常ではない透明感と伸びがあり、耳に心地よかった」ことが決め手となって、この企画を引き受けたのだという。
渋谷「ただ僕がピアノを弾いて彩子さんが歌うだけではつまらないので、声を加工して空間を埋めていくようなことを考えたときに思いついたのが、evalaくんでした。彼とは20年近く前から一緒に仕事をしているんですが、最近の映画『ホリック xxxHOLiC』(監督:蜷川実花)でエレクトロニックの音楽を一緒に作ったときの感触がとても良かったので、今回関わってほしいと思って声をかけました」
声や曲を素材に音楽を作る
コンサートでは、ジェイムス・ブレイク「Overgrown」、リゲティ「The Secret Police ( from Grand Macabre)」、渋谷慶一郎「Ida」「Blue」「Scary Beauty」(アンドロイド以外がこの曲を歌うのはこれが初めて!)、アデル「Chasing Pavements」、ドビュッシー「月の光」、バッハ「ゴルトベルク変奏曲」の合計8曲が取り上げられた。
渋谷のピアノに合わせて田中が歌っていくのだが、evalaがその声をリアルタイムで加工した音声が同時に鳴り響いていく。
evala「今回はあらかじめ準備した音源は一切なくて、今その場で歌っている彩子さんの声を、マイクを通してコンピュータに取り込み、それを引き伸ばして減衰しない残響を作ったり、ある時間をバラバラに切り刻んで再構成したり、ということをしています」
田中の歌唱も、オペラ風のコロラトゥーラから、ノン・ヴィブラートだったり、ウィスパーを混ぜたり、と通常とは違う工夫が施されているが、そうした生の歌声があり、それを加工して生まれた響きがあり、さらにそれに生の音を合わせていくという何重にも重なった音響(evalaは「万華鏡のような」と評した)が提示されている。
田中も「次に何が来るのかわからないので、通常のクラシックの楽曲の場合とはまったく違う音の捉え方をしないといけなかった」と語っており、そのライブ感はある意味で「曲」というもののあり方を問い直すことにもつながっていたのではないだろうか。
渋谷はそれを「曲を素材に音楽を作る」と語ったが、たとえばバロック時代における通奏低音の扱いや、あるいはそれ以前、まだ楽譜が整理されていなかった時代の音楽のつくり方にも通じるオーセンティシティ(真実性)すら感じさせるところが、たいへん面白いと思った。
天井も床も湾曲したKAIT広場は声帯のよう?
会場となったKAIT広場は、石上純也設計によるもの。半地下になった白い空間は壁も地面も天井も湾曲していて、柱は一本もない。低くとった天井には合計58個の長方形を開孔があり、そこから自然光が差し込む。
石上によると、天井は鉄板1枚できていて、夏と冬で60cmくらい天井高が変化するそう。コロナ禍以降初のイベントであり、またここで行なわれる初めてのコンサートでもあったそうだ。
天井の低さは巨大なスピーカーの中にいるようでもあるが、開孔があることでそこから音が抜けていく。「密だけれども風通しがいい」という特徴は、コンサートホールとはまったく異なる音の反射や響きを生み出す。evalaはそれを「まるで声帯の中にいるよう」と語っていたが、確かにどこか有機的な感触、いってみれば見知らぬ生物の中にいるような空間であり、そこに座っていると多層的な「音」に体を包まれているような感覚を覚えた。
最悪な状況からの「はじまりの音楽」
「Music of the Beginning —はじまりの音楽—」というタイトルは渋谷慶一郎の発案。KAIT広場の地下から何かが芽吹いていくようなイメージに、音の種が地上に向かって飛んでいくようなイメージが重なった。
渋谷「僕は10年前に『終わりの音楽』というテクストを書いたんですが、それは、東日本大震災以降、急速に世界が終末に向かっていく中で、そうした現実に拮抗できるような音楽やアートは生まれ得るのか、という危機感を描いたものです。しかし終わりについて考えることはもう定常化してしまっていて、状況はますます最悪になっているんですが、それなら逆に“はじまり”というものを考えみるのもいいんじゃないかと考えたんです」
コロナ禍の中で、私たちは痛切に「音楽」というものの必要性を実感したが、この日、この場所で生まれたこの「はじまりの音楽」は、私たちを優しく包み込みながらも、どこか別の場所へと運んでくれるのかもしれないと思った。
コンサートは13時半から約1時間。その模様はカメラに収められ、同日の19時から渋谷のDOMMUNEで、出演者3人にムラカミカイエ、石上純也を加えたメンバーによるトークライブ「時代の無意識と音楽、建築、カルチャー、etc 」の配信が行なわれた。
また現在は、YouTubeの田中彩子のチャンネルで完成版の動画が無料配信されている。
「Music of the Beginning —はじまりの音楽—」完成版
日時: 2021年12月26日(日)13:30開演 (公演時間 60分予定)
会場: 神奈川工科大学 KAIT広場
チケット料金: 5,000円
出演: 田中彩子、渋谷慶一郎、evala
クリエイティブディレクター: ムラカミカイエ(SIMONE)
総合プロデュース: 田中彩子
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