
チューリヒ歌劇場で《タンホイザー》新演出 ソヒエフ指揮で洗練されたワーグナーの響き

海外のクラシック界のニュースやコンサート、オペラ公演の様子を、現地在住の筆者がいちはやくお届け。今回はスイスの6月の音楽シーンから、オペラとコンサートをレポートします。
6月21日、チューリヒ歌劇場は10作目の新演出となるワーグナー《タンホイザー》で今季を締めくくった。トゥガン・ソヒエフの指揮はオーケストラ・ピットから香り立つような響きを貫き、モダンでシンプルな演出に合う洗練されたワーグナーだった。高揚感は抜群だが、重厚さはない。テンポが速すぎる箇所も多く、合唱とは完全にずれてしまったが、実力派の歌手たちはその要求に沿う歌唱技術で応えた。
とくに題名役のエリック・カトラーは初役だが、ヘルデンテノールのパートを最大限にフレキシブルに歌いきった。クリスティーナ・ニルソンは若々しい理想的なエリーザベトだった。ヴォルフラムのクリスティアン・ゲルハーヘルは、ドイツ歌曲のように歌詞を立たせる歌いかたで深みがあるが、それが音楽的レガートを損なわせる傾向に進んでいる。母音を大切に発音するため、各母音の音色も統一されない。アリア〈夕星の歌〉は始終弱音で、オーケストラは1度も自由に歌えなかった。フォルテではまだ声量が十分にあるので、息を流す筋力の衰えか、嗜好的傾向なのか。ヴェーヌス役のレイチェル・ウィルソンも初役で、充実した声と歌唱技術を見せたが、声にヴェーヌスの豊満さが欠けていた。
トールレイヴル・エール・アルナルションの演出はミニマリズムが効果的で、並べたワイングラスが美しい舞台美術に変身したり、エリーザベトの固く閉ざした心を白い塗料で表したりする。しかし、それがニルソンのみずみずしい声や若い容姿も殺してしまった。また、ヴォルフラムの人物像がたわけ過ぎて、感動が生まれない。最後はヴェーヌスの持っていた斧で、タンホイザーがエリーザベトの像を壊し、救いはないが劇的な幕切れとなった。
ヤルヴィ&チューリヒ・トーンハレ管がイゴール・レヴィットと3晩連続公演

日本から戻ってきたパーヴォ・ヤルヴィとチューリヒ・トーンハレ管弦楽団は、イゴール・レヴィットと今季最後のプログラムで3晩連続公演をはたした。その2日目にあたる6月18日の公演を聴いた。
ブラームス「ピアノ協奏曲第2番」は出だしから濃厚なオーケストラが心地よい。ツアーで得た経験が熟しているのか。少々暴力的に入ったレヴィットのピアノは、そのうちオーケストラに調和されていく。レヴィットだからこそ可能なダイナミックな演奏と、軽やかさを両立させた。途中誰かの補聴器の雑音や携帯の着信音に邪魔されたが、レヴィットはそれにもユーモアをもって対処していた。ルツェルン音楽祭のピアノ・フェスティヴァルを3年間任されていたころに確立したスイスの聴衆との関係性は、いまでも健在だ。これだけの大曲もサロン的雰囲気をもって演奏する姿勢は、コロナ禍中の動画配信でも学んだのかもしれない。聴衆と共に創り上げた音楽的空間は、満足感が高かった。
アンコールはショスタコーヴィチ《人形の踊り》から「第5番〈おどけたワルツ〉」で締めくくった。後半のシューマン「交響曲第1番《春》」は、若々しい活気に満ちていた。
フアン=ディエゴ・フローレスのリサイタル~聴衆との密な対話
6月15日はフアン=ディエゴ・フローレスのリサイタルだったが、意外なことに空席が目立った。モーツァルトから始め、コンサート・アリア〈不幸な男!ああ夢か〜私の周りをそよぐ風よ〉と《皇帝ティートの慈悲》からアリア2曲を歌ったが、どこか調子が乗らない。ロッシーニに移ると声が鳴り出した。《老いの過ち》と《試金石》のアリアで高音まで輝かしくきめ、そのままフランソワ=アドリアン・ボワエルデューの《白い貴婦人》のアリアでも聴衆を沸かせた。
休憩後はサルスエラに移り、ルペルト・チャピ《聖母の奇跡》、アマデウ・ヴィヴェス《ドニャ・フランシスキータ》、アグスティン・ペレス=ソリアーノ《小さなギター》で聴衆と親密な関係を構築した。最後に続くマスネ《ウェルテル》、グノー《ロミオとジュリエット》、ヴェルディ《十字軍のロンバルディア人》のオペラ・アリアが頂点となった。その後はギター片手にスペイン語のリクエスト合戦が始まり、最後は《連隊の娘》の連続する高音Cを軽々と歌った。





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