
5月に来日したズヴェーデン&フランス放送フィルが、本拠地パリでシーズン閉幕公演

海外のクラシック界のニュースやコンサート、オペラ公演の様子を、現地在住の筆者がいちはやくお届け。今回はフランス・パリの6月の音楽シーンから、二つのオーケストラ・コンサートをレポートします。
5月に日本をふくむアジア・ツアーを行ったフランス放送フィルハーモニー管弦楽団が、9月に音楽監督となるヤープ・ヴァン・ズヴェーデンの指揮で、本拠地のフランス国立放送・音楽館においてシーズン最後の演奏会を行った(6月20日所見)。
フランスの女性作曲家ベッツィ・ジョラスは今年、99歳を迎えた。通常、女性の音楽家は奏者であれ、指揮者であれ作曲家であれ、自分の年齢がプログラムに記載されるのを嫌う。ところがジョラスは2006年に新作《B-Day》が初演された際に、自分は80歳だと公言した。《B-Day》のBにはバースデイとベッツィの頭文字が重ねられている。
14分の作品には、奏者たちがささやき合ったり、床を足でこすって音を出したり、といった新しい音が使われているが、曲の流れに沿っていて奇をてらった感じはしない。音楽学者のエレーヌ・カオによると、有名な《ハッピー・バースデー・トゥー・ユー》の旋律が、隠された主題として使われている。しかし実際に聴いてみると、スコアを目にしていない観客にとって、旋律の断片が聴き取れるのは曲の半ばを過ぎてからだ。遊び心と新しさの追求の両面がないまぜにされて、一つの作品に巧みにまとめられており、聴き手を飽きさせなかった。
次は一転してモーツァルト「交響曲第40番」。あまりにも有名な曲だが、クリストファー・ホグウッド、ニコラウス・アーノンクール、チャールズ・マッケラスといった指揮者による古楽器演奏が流布してからは、現代の楽器で聴く機会はパリではまれである。
誰もが聴いたことがある曲ながら、ズヴェーデンの指揮によって気づかされた点があった。まず、第3楽章の「メヌエット」はふつうなら軽めの舞曲である。同時代のサリエリの「メヌエット」がその典型だろう。しかしモーツァルトの手にかかると、同じリズムでありながら優美で気安い側面は影を潜め、エネルギーの横溢する楽想が対位法の駆使によって「荘重」といってもよいほどになっている。また、第4楽章アレグロ・アッサイの展開部冒頭にある、半音による12音の並びは、20世紀の十二音技法の先駆とされている。後代との違いは、全体としては調性によって構築されているなかに、「無調」の楽節が滑り込んでいて、注意しなければ聴き落としかねない隠し味として使われている点だろう。細部に留意した指揮は、こうしたことに光を当てていた。
最後はストラヴィンスキー《春の祭典》で締めくくられた。1913年5月29日、シャンゼリゼ劇場での初演が巻き起こしたスキャンダルは、いまだに忘れられていない。その前年に4手用のピアノ譜を、ストラヴィンスキーとドビュッシーが弾いている。弾き終わったとき、ドビュッシーは賛辞を述べることも、相手を抱擁することもなく、無言のままだった。この衝撃の強さは、初演から1世紀以上を経たいまでも変わっていない。何度聴いても嵐のなかで翻弄されるような感覚にとらわれ、息もつけないまま曲が終わった。
変化に富んだプログラムと、指揮者のわずかな指示も逃すまいとする奏者たちにより、シーズン閉幕にふさわしい夕べとなった。
なおズヴェーデンは、2015年から10年間音楽監督を務めたミッコ・フランクの後任として、今年9月に音楽監督に就任する。現在のところ団員との関係は良好で、来シーズンへの期待が高まっている。
フランス国立管の《大地の歌》 クレバッサが胸をつく歌唱

フランス国立管弦楽団はシャンゼリゼ劇場で、マーラー《大地の歌》を演奏した(6月4日所見)。
フランス人のメゾソプラノ、マリアンヌ・クレバッサがどんなドイツ語の歌唱を聴かせてくれるかと、パリにも数多いマーラー・ファンが客席を埋めた。いつもながらの暗めの音色、低音には深みがあり、歌詞をていねいに浮き彫りにした。最後に7度繰り返される「Ewig」(永遠に)の響きには誰もが胸を突かれた。いっぽう、テノールのダニエル・ベーレは鼻にかかった音が気になったものの、きれいな旋律線を描いてみせた。
ユライ・ヴァルチュハの指揮は、音色を前面に出した分析的なものだった。そのため現代音楽のように曲が感じられたものの、曲の持つ独自の緊張感は保たれ、楽想がなだらかに流れた。〈告別〉の部分では、オーケストラが室内楽的に扱われている点が明示されていた。





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