音楽小説の顔をした「エセ音楽」小説──カレル・チャペック『ある作曲家の生涯』
かげはら史帆さんが「非音楽小説」を「音楽」から読み解く連載。第10回に取り上げるのは、チェコの作家カレル・チャペックの絶筆『ある作曲家の生涯』。ハンサムな作曲家である主人公のとんでもない秘密、嘘に嘘を重ねて創りあげられたオペラ。第二次世界大戦前夜、チャペックが作品に込めた意味とは?
東京郊外生まれ。著書『ベートーヴェンの愛弟子 – フェルディナント・リースの数奇なる運命』(春秋社)、『ベートーヴェン捏造 – 名プロデューサ...
あの人も、きっと大音楽家だったのかもしれませんね。ひょっとしたら、天才だったのかも……
カレル・チャペック『ある作曲家の生涯』田才益生訳、青土社、2016年(以下、すべて本書が引用元)
正統派の音楽小説のように見える、が......
ぱらぱらとページをめくる限りは、正統派の音楽小説のように見える。
物語の舞台は、本作の執筆時期とおそらく同じ1930年代。主人公は音楽家ベダ・フォルティーン。生まれは貧しく、音楽院での専門教育を受けたことはないものの、少年時代にピアノと作曲を独学でマスター。やがて芸術家として世に知られるようになる。
「すらりとして背も高く」「ウェーブのかかった芸術家風の髪」をもつ細身のハンサムで、その美貌と芸術家然としたムードに惚れこんだ令嬢と結婚。妻の実家からの手厚い支援を受け、何ひとつ不自由ない人生をおくるなか、ついに悲願であったオペラの制作にとりかかる……。
しかし、フォルティーンとかかわった誰もが、ひそかに違和感を抱いていた。
ギムナジウム(ヨーロッパの中等教育機関)時代のガールフレンドは、彼が自作の曲をちっとも弾いてくれないのを不満に思っていた。無理やりピアノの前に座らせても、彼は「まだ完成していないのだ」「今日は弾けない」としどろもどろに弁解するばかりだ。
とある美学者の博士は、フォルティーン宅の「音楽の夕べ」に招かれ、不快な気分を味わった。フォルティーンは夫人とともに「王侯夫妻然として、ホール中央のソファーに」でんと座り、愛想よくおしゃべりに興じるばかり。実際に演奏するのは、彼の取り巻きとおぼしき若い音楽家だけだ。彼らの演奏は決して悪くはない。しかし、このうさん臭いサロンはいったい何なんだ?
彼らの違和感は正しかった。
フォルティーンは、作曲能力などまるでないエセ音楽家だったのだ。
「オペラ」を夢見た嘘つき男
本作の構成は、芥川龍之介の『藪の中』に似ている。証言者たちが入れ替わり立ち替わり登場し、彼らの回想によって、フォルティーンの本性がだんだんと暴かれていく。1890年生まれのチェコの大作家カレル・チャペックの筆は、他の作品とおなじくシニカルで諷刺的だ。疑惑の目を四方八方から差し向け、われこそは音楽家であり芸術家だとふんぞり返るこの男を追い詰めていく。
しかもこのエセ音楽家・フォルティーンが制作を宣言したのは、旧約聖書の外伝をベースとした壮大な全5幕のオペラだった。音楽だけではなく、リブレットも自身で手がけるという。リヒャルト・ワーグナーの楽劇さながらの巨大プロジェクトだ。
なぜあえて「オペラ」を選んだのか? なぜ取り組みやすい小品や器楽作品を選ばず、わざわざもっとも困難な冒険に乗り出そうとするのか? 当然ながら、彼ひとりの力ではどうにもならない。彼はコネを駆使して、ありとあらゆる学者や詩人や音楽家のもとを訪ね、こっそりと協力を依頼する。
オーケストレーションを相談されたある音楽家は、こんな慰めとともにフォルティーンの無茶を止めようとする。
「もともと、オペラなんてものは純粋芸術ではありません。それは、何もかもごっちゃ混ぜにしたバカ騒ぎの見世物に過ぎません」
リブレットのゴーストライターを引き受けさせられた詩人のひとりは、フォルティーンの企画をこう皮肉る。
「まさに、総合芸術作品(ゲザンムト・クンストヴェルク)だ!おれのにらんだところでは、少なくとも五人の手がかかっている!」
どう見ても困難なプロジェクトだ。だが驚くべきことに、作品は完成し、「初演」に向けて動きはじめる。しかもそれを後押ししたのは、フォルティーンに疑いをかけた人びとだった。愉快な茶番を見せてもらおうとばかりに、人びとは彼をけしかけ、あとに引けなくなるところまで追い詰めてしまう。その結果、彼が生み出したのは、およそ見るに堪えない「剽窃や贋作、さらには芸術的横領とから成る惨憺たる失敗作、音楽の奇形的怪物」だった。
未完の小説と、完成されたオペラ
本作は、第二次世界大戦勃発の前年1938年に亡くなった作家カレル・チャペックの絶筆である。
彼は女優であり作家の妻オルガにあらすじを最後まで語って聞かせたが、それを自らの筆で書きあげることができなかった。フォルティーンのオペラは、曲がりなりに完成されたにもかかわらず、この小説は未完のまま終わった。
チャペックは民衆派のジャーナリストとしても活躍し、ナチス・ドイツから敵視される立場にあった。死から数ヶ月後、彼の死を知らなかったナチスの親衛隊が家に押しかけ、妻が「あら、みなさま、少し遅かったようですわね」と怒りをおさえて微笑んだというエピソードが伝えられている。小説のクライマックスとなるフォルティーンのオペラの初演シーンは、彼女が証言者としてふたたび口を開くまで伏せられた。
この未完の作品には、ひとつ見逃せない部分がある。フォルティーンの周辺の人びとが、彼の音楽的才能を疑いながらも、その疑いに対してもさらに疑いをかけている点だ。
「本当は才能はあったのかもしれませんが」
「あの方は確かに芸術家でした」
「あの人も、きっと大音楽家だったのかもしれませんね。ひょっとしたら、天才だったのかも……」
うさん臭い。けれど、ひょっとしたら本物なのかもしれない……。その期待こそが当時のファシズムを暴走させ、大戦の悲劇を生んだ。フォルティーンがなぜあえてオペラを選んだのか、という謎の答えもここにある。総合芸術であるオペラは、誇大な夢でもって人びとを撹乱させるのにうってつけのジャンルだ。フォルティーンが生み出した「音楽の奇形的怪物」は、ときのファシストが生み出そうとした社会の地獄絵に他ならなかった。
1930年代。音楽小説の顔をした「エセ音楽」小説を通じて、チャペックは、大戦前夜の世界へ警鐘を鳴らそうとしたのかもしれない。
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