読みもの
2021.04.29
連載「1行の音楽から物語は始まる」第11回

貴族と庶民と「音楽家」が生きる東京——山内マリコ『あのこは貴族』

かげはら史帆さんが「非音楽小説」を「音楽」から読み解く連載。第11回は、山内マリコ『あのこは貴族』を取りあげます。男性を巡る、ふたりのヒロインという、一見ありがちなストーリーに意外性を与えるのは、主人公の友人であるヴァイオリニスト。長く深い関係にあった「貴族」と「音楽家」。21世紀の東京を舞台に、その新しい関係性を考えます。

音楽から本を読み解く人
かげはら史帆
音楽から本を読み解く人
かげはら史帆 ライター

東京郊外生まれ。著書『ベートーヴェンの愛弟子 – フェルディナント・リースの数奇なる運命』(春秋社)、『ベートーヴェン捏造 – 名プロデューサ...

この記事をシェアする
Twiter
Facebook

あたしもそういう扱いされることあります! 男同士で飲んでるところに、緩衝材役に呼ばれて愛想振りまいたり、空気なごませるように仕向けられたこと。飲み会でも、音楽系のパーティーなんかでも、そんなのばっか!

山内マリコ『あのこは貴族』集英社、2016年(文庫版:2019年)(以下、すべて本書が引用元)

音楽家は生き延びたが、貴族もまた生き延びた

続きを読む

音楽家は長らく宮廷や貴族の被雇用者だった。そうではない生計の立て方——いわゆるフリーランス音楽家が世の主流になってからは、すでに200年が経つ。表向きには人間の権利は平等になり、音楽家は出版、実演、録音、教育などの多彩な産業に携わり、可能性を模索しながら新しい時代を生き延びてきた。

21世紀現在、「音楽家」は存在し続けている。

しかし同様に、「貴族」もまた——存在し続けている。

Wヒロインをつなぐ音楽家、相楽逸子

東京・松濤出身の女性、華子。

地方都市出身の女性、美紀。

『あのこは貴族』は、2010年代後半を生きるふたりの女性をWヒロインとして描いた小説である。

東京に生きる若者の格差を描いた物語として話題になった作品ではあるが、彼女たちの対照性は決して単純ではない。天然でかよわい都会の貴族令嬢と、雑草のように強くたくましい地方生まれの庶民の娘——という先入観をもって読み始めると、さまざまな部分で裏切られる。

彼女たちは、生まれもった環境こそ違うが、性格はむしろ似ている。どちらもある部分では野心家だ。「貴族」の華子は、友人や家族のツテに食らいついてガツガツと婚活に励み、自分よりさらに上流に属する青木幸一郎との玉の輿婚をゲットする。「庶民」の美紀は、故郷からの仕送りがストップしても、ラウンジやクラブで必死になって働いて都会で生き残ろうとする。

その一方、彼女たちはある部分では押しが弱く不器用で、諦めることに慣れている。華子は、幸一郎の一家が興信所を使って自分の身辺調査をしていたと知り、ショックを受けつつも、抗議できないまま押し黙ってしまう。美紀は、社会にはびこる旧態依然としたジェンダー観を嫌悪しながらも、パーティーの席で愛想良く立ち回る「女の役目」を従順にこなす。そして、大学時代の元同級生である幸一郎とのセックスフレンドめいた関係を甘んじて受け入れている。

よりアグレッシブに彼女たちの先をゆくのは、それぞれの親友だ。

華子の親友——相楽逸子は、ドイツと日本を行き来して活動するヴァイオリニストである。

もちろん華子の長年の友人なのだから、彼女もまた「貴族」の一員だ。東京に生まれ、小学校から私立に通い、ドイツで悠々自適な音楽留学ライフを送り、友人とのお茶にホテル椿山荘のロビーラウンジを気軽に使う。

しかし彼女は、実家の基盤こそが自分の生活やキャリアを形作っていると自覚しつつも、そこに息苦しさを感じ、つねに「遠く」を求めて生きている。東京出身の裕福な男性と結婚する気楽さを知りながら、その生き方を拒み、「男の人に、経済的にも精神的にも依存したくない」と語る。セレブたちが集う華やかなパーティーでも演奏するが、『山の音楽会』と題された地方の音楽フェスにも参加し、「こういうところで弾けるなんて最高じゃん」と喜ぶ。クラシック音楽の公共的な価値を彼女は知っており、それを尊んでいる。

地方の古ぼけた電車や閑散とした景色にはしゃぐ彼女の姿は、スラムツーリズムを無邪気に楽しむような危うさがないでもない。それに、地方には地方の政治があり、経済があり、権力の構造がある(実際のところ、フェスの開催地は、青木幸一郎の一族の政治的な地盤でもある)。ただ、「貴族」の世界からいかに逃れるかという彼女の課題が、過去200年にわたって音楽家たちが繰り広げてきた悪戦苦闘の延長にあることは間違いない。

貴族と庶民に「音楽家」が提案したこと

逸子は友情に厚い人でもある。結婚して家庭の話ばかりに興じる友人に呆れながらも、華子の婚活が実ったと知ると「いやぁ~良かったよ。」と素直に喜ぶ。そして、華子の婚約者であるはずの幸一郎が、あるパーティーの席で別の女性——美紀と恋人のように親しげに接しているのをたまたま目撃すると、居ても経ってもいられなくなり、自ら仲介役をつとめる決意をして、華子と美紀ふたりを日本橋のホテルのラウンジに呼び出す。

ひとりの男をめぐって、境遇のまったく違うふたりの女が対峙する。昼ドラや、通俗小説のワンシーンのような、この危険な状況を自ら導いた逸子は、読者の予想を大きく裏切り、この小説の最大の要ともいえる決定的な一言を放つ。

最初に断っておきたいんですけど、あたし別に、二人のキャットファイトが見たくてこの場をセッティングしたわけじゃないんです。」「むしろその逆で、ケンカしてほしくないっていうか、二人に変な風に揉めてほしくなかったんです

どう考えても悪いのは、そのあたりのモラルコードがゆるゆるな青木幸一郎の方なんで

腐れ縁の関係だった幸一郎に、いつの間にか婚約者がいた。その事実に当初はショックを受けていた美紀だったが、逸子のあけすけな発言に思わずプスッと吹き出してしまう。「そのとおりだ」「悪いのは男なのに、どうしていつも女同士が喧嘩しなくちゃいけないのか」「女の人って、女同士で仲良くできないようにされてる」……

同時に、これまで幸一郎から受けた不愉快な扱いが胸によぎる。「こないだのパーティーに幸一郎があたしを呼んだのだって、只でホステスやってくれるから声かけてるだけでしょ

思わず鬱憤を口にする美紀を前に、逸子もヒートアップしてこう叫ぶ。

あたしもそういう扱いされることあります! 男同士で飲んでるところに、緩衝材役に呼ばれて愛想振りまいたり、空気なごませるように仕向けられたこと。飲み会でも、音楽系のパーティーなんかでも、そんなのばっか!

貴族は音楽家のパワーを借りて

逸子によって引き合わせられた華子と美紀が、それから意気投合して大親友になるかというと、必ずしもそうはならない。それもまたこの小説の新鮮かつリアルな部分だ。彼女たちは互いに敵意がないことを確認し合い、手を振りあって、おのおのの人生のステージへと戻っていく。

ヒロインふたりの人生を後押しするのは、それぞれの親友だ。美紀は同郷の佳代と、そして華子は逸子とタッグを組む。華子は、逸子の音楽の仕事により深い形でかかわる道を選んだ。200年来、可能性を模索しながら新しい時代を生き延びてきた「音楽家」という職業。その職に就いた友のパワーを借りて、彼女もまた少しずつ「貴族」の世界から解き放たれていく。

自分は「誰かの世話をし、支え、尽くすことでその人が輝くと、得も言われぬ喜びを感じる性分」なのだ、と華子は気づく。彼女であれば、実家や婚家の資産を使って音楽家を潤すという人生もありえただろう。いうまでもなく、それはそれで社会的に重要な使命を負う仕事である。だが、彼女は気前の良いパトロンとして振る舞うよりも、自ら地味な労働をこなして音楽家の活動を助けることに喜びを感じ、これを自分がやりたかったのだと思い至る。

芸術の世界の経済的な厳しさを思えば、華子の選択をもったいないと感じる人も多いだろう。身も蓋もないことをいってしまえば、人ひとりの労働力よりも貴族一家がもつ莫大な富のほうが業界にとっては有り難いのだから。けれど、華子も逸子も、先祖代々の階級よりも自分自身の適性にしたがう人生を選ぶ。「子どもの頃から生まれ育った世界がどうにも息苦しくて、ここではないどこかに自分の真の居場所がある気がしてならなかった」逸子は自分自身をそう振り返る。その違和感こそが、彼女の音楽人生の出発点であり、『あのこは貴族』という小説に欠かせざる奥行きを与えている。

音楽から本を読み解く人
かげはら史帆
音楽から本を読み解く人
かげはら史帆 ライター

東京郊外生まれ。著書『ベートーヴェンの愛弟子 – フェルディナント・リースの数奇なる運命』(春秋社)、『ベートーヴェン捏造 – 名プロデューサ...

ONTOMOの更新情報を1~2週間に1度まとめてお知らせします!

更新情報をSNSでチェック
ページのトップへ