バーンスタイン『ウエスト・サイド・ストーリー』~スピルバーグが音楽の魅力を再燃!
音楽の観点からミュージカルの魅力に迫る連載「音楽ファンのためのミュージカル教室」。
第24回は、バーンスタイン作曲『ウエスト・サイド・ストーリー』。バーンスタインの傑作を、誕生秘話から2月11日公開のスピルバーグ監督映画まで、一挙に解説します! 観どころと聴きどころ、そして1961年の映画との違いをおさえておきましょう。
1964年京都市生まれ。1987年、慶應義塾大学経済学部卒業。1990年から音楽に関する執筆活動を行う。著書に、小澤征爾の評伝である「音楽の旅人 -ある日本人指揮者の...
オリジナルのブロードウェイミュージカル誕生の背景
『ウエスト・サイド・ストーリー』(以下WSSと略す)は、
ロビンスとバーンスタインが初めて会ったのは、1943年10月。ロビンスがバーンスタインに新作バレエの作曲を依頼したのであった。同い年の二人はすぐに意気投合し、それは1944年4月に初演されたバレエ《ファンシー・フリー》となる。バーンスタインは、その間、1943年11月に指揮者としてセンセーショナルなニューヨーク・フィル・デビューを飾っていた。《ファンシー・フリー》は1944年12月に開幕したミュージカル『オン・ザ・タウン』へと発展し、これも成功を収め、二人はブロードウェイ・デビューを飾った。
2018年にパリ・オペラ座で上演されたバレエ《ファンシー・フリー》
ロビンスは『ロミオとジュリエット』の現代版のアイデアを1949年頃から温めていた。1955年、ロビンス、バーンスタイン、ローレンツの共同制作が具体的に動き出す。脚本のローレンツは、まだ25歳のソンドハイムに声をかけた。ソンドハイムは、のちに作曲も手掛け、むしろ作曲家として名を残すようことになるが、『WSS』では作詞を担った。バーンスタインはソンドハイムの一言一句に注文をつけたという。
プロデューサーは最初、シェリル・クロフォードが引き受けたが、
多様な音楽を統合したバーンスタインの集大成
バーンスタインは、1956年11月に、1957年秋からニューヨーク・フィルの共同首席指揮者をディミトリ・ミトロプーロスとともに務めることが発表され、同年12月には作曲を担当したミュージカル『キャンディード』がブロードウェイで開幕される、という忙しさだった。
それでも、1957年夏の約2か月にわたる合宿のような『WSS』のリハーサルでは、自らピアノを弾いて出演者の音楽指導を行なった。完璧主義者ロビンスの厳しい指導に傷ついた出演者たちの心をバーンスタインは優しく癒したという。またロビンスの楽曲の書き直しの要求にも嫌がることなく応じた。
ワシントンとフィラデルフィアでのトライアウト(プレビュー公演)を経て、1957年9月26日、『WSS』はブロードウェイのウィンター・ガーデン劇場で開幕し、大ヒットを収める。1959年6月27日まで732公演のロングランとなった。
『WSS』の成功の理由には、まず、ロビンスの振り付けた斬新なダンス・シーンがあげられる。もちろん、バーンスタインの音楽の素晴らしさもある。オペラ、クラシック、現代音楽、ラテン、ジャズ、ブルースなど多様な音楽を統合した、彼のミュージカルの集大成というべき傑作である。脚本のローレンツは、シェイクスピアの原作を忠実になぞろうとしたが、エンディングだけは、ヒロインを生かすことにした。
『WSS』制作中の1957年夏、バーンスタインは、ニューヨーク・フィルからの次期音楽監督のオファーを受ける決意をした。そして、1958年9月に、アメリカ出身者としては初めてのニューヨーク・フィル音楽監督に就任するのであった。
オリジナルからの変更が多かった1961年版映画
ブロードウェイでの大成功を受けて、『WSS』が映画化されることになり、1960年2月から撮影が始まった。監督はロバート・ワイズとジェローム・ロビンス(ただし、ロビンスは、途中で監督を辞める)、脚本はアーネスト・レーマンが担った。1961年2月に撮影を終了し、その年の秋に公開され、世界的な大ヒットとなる。そしてアカデミー賞(オスカー)を10部門で受賞した。
マリアはナタリー・ウッド、トニーはリチャード・ベイマ―、リフはラス・タンブリン、アニータはリタ・モレノ、ベルナルドはジョージ・チャキリスが演じ、吹き替えでマリアをマーニ・ニクソンが、トニーをジム・ブライアントが歌った。
ユートピアを描く幻想的なシーンであった「サムウェア」が映画版ではトニーとマリアの二重唱となり、舞台版ではリフが歌った「クール」をリフの死後にアイスが歌い、「アイ・フィール・プリティ」を決闘よりも前に置くなど、映画版では、オリジナルの脚本や曲順に変更が加えられた。
スティーヴン・スピルバーグによる映画化
それから半世紀以上が経ち、『ジョーズ』、『E.T.』、『未知との遭遇』、『シンドラーのリスト』などを手掛け、現在、世界でもっとも著名な映画監督の一人であるスティーヴン・スピルバーグ(1946年生まれ)が、新たに『WSS』を映画化。撮影は、2019年7月から9月にかけて行なわれた。
トニー・クシュナーの脚本は、1961年版よりもオリジナルの舞台版に近づけ(曲順を戻し)ながらも、21世紀の観客にも理解しやすいような更新もなされている。つまり、のちにオペラや音楽の殿堂となるリンカン・センターが、まさにウエスト・サイドに建設されたことや、アメリカにおけるプエルトリコなどの時代背景を説明し、人種差別、貧困、ジェンダーなど現代に通じる問題に焦点を当てる。ジャスティン・ペックの振付は、ジェローム・ロビンスのオリジナルを基本としながらも、新たなシーンを生み出した。
また、1961年版のアニータ役を演じ、アカデミー賞助演女優賞を獲得した、リタ・モレノが、亡き夫ドクが経営したドラッグストアの女主人バレンティーナ(新たに作られた役)として、重要な役割を担っていることにも注目である。
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演奏は、グスターボ・ドゥダメルが指揮するニューヨーク・フィル。ご当地のオーケストラであるだけでなく、かつてバーンスタインが音楽監督を務めたオーケストラでもある。一部、ドゥダメルが音楽監督を務めるロサンジェルス・フィルも演奏している。
また、サウンドトラックのライナーノーツでは、
主要ナンバーでたどるあらすじ
第1幕
ここでの曲順は、舞台版(1957年オリジナル版)による。
「プロローグ」
オーケストラで演奏。不良たちのフィンガー・スナップのリズムが特徴的。最後に巡査の警笛。
「ジェット団の歌」
リフは、シャーク団と戦うために、今は団を離れて更生しているトニーを誘うことを提案し、ジェット団のメンバーが陽気にジェット団について歌う。
「何かが起こる」
トニーが何か出会いの予感を感じて歌う。
「体育館でのダンス」
体育館ではダンス・パーティがひらかれている、ブラスを中心とした「ブルース」のあと、ボンゴなどの強烈なリズムによって「マンボ」が始まる。マンボ!の掛け声。トニーとベルナルドの妹マリアの視線が合う。優美な「チャチャ」(後の「マリア」の変奏でもある)で二人は近づき、言葉を交わす。二人は互いに一目惚れする。
「マリア」
トニーは、マリアの住まいを捜し歩き、「マリア」を歌う。増4度の音程と完全5度での解決が特徴的
「トゥナイト」
非常階段でのマリアとのバルコニーのシーン。二人は、愛の言葉を交わして、翌日に会う約束をする。
「アメリカ」
アニタやロザリアら、プエルトリコ出身の女たちが、故郷よりも、自由で便利なアメリカの生活を讃える「アメリカ」。8分の6拍子と4分の3拍子(シンコペーション)が1小節ごとに入れ替わる特徴的なリズム。
「クール」
リフがジェット団のメンバーに冷静になれと「クール」を歌う。1961年版では映画の終盤、アイスによって歌われ、スピルバーグ版ではトニーがリフに歌う。
「ひとつの手、ひとつの心」
トニーとマリアは、結婚式の真似をして、「ひとつの手、ひとつの心」を歌って永遠の愛を誓い合う。
五重唱「トゥナイト」
決闘の夜。ジェット団、シャーク団、アニタ、マリア、トニーが五重唱「トゥナイト」でそれぞれの思いを歌う。ジェット団とシャーク団の戦闘的な歌声とマリアとトニーの愛の二重唱という正反対の性格の音楽が同時進行する、本作での一番の聴きどころ。
「決闘(ランブル)」はオーケストラで描かれる。リフがベルナルドに刺されて死に、それを見たトニーがベルナルドを殺してしまう。サイレンの音。不良たちは慌てて逃げ去り、二人の死体が横たわる。
第2幕
「アイ・フィール・プリティ」
マリアは「私ってきれい」と言って恋の幸せを歌う。1961年版では「決闘」の前に置かれたが、スピルバーグ版では「決闘」の後に戻された。
「サムウェア」
兄ベルナルドの死にショックを受けているマリアのもとにトニーが現れ、そんなつもりはなかった、警察に出頭する、という。マリアはトニーがそばにいることを願う。二人は遥か遠い場所へ行くことを夢見る。そして幻想的なダンス・シーン。夢の中では、誰もが敵味方なく踊っている。「サムウェア(どこかで)」の歌声が聴こえてきて、憎しみのないユートピアへの思いが歌われる。1961年版では「サムウェア」はトニーとマリアの二重唱になった。スピルバーグ版ではどうなのか、最大の注目点の一つ。
「まあ、クラプキー巡査」
ジェット団の少年たちが、巡査に対して、僕らが悪いのは、育ちのせい、社会のせいと皮肉を込めて歌う。スピルバーグ版では新たなシーンが作られた。
「あんな男に」
恋人を殺されたアニタとマリアのまるでヴェリズモ・オペラのような深刻な二重唱。アニタはマリアにトニーとの別れを強いる。
「私は愛している」
しかし、マリアは「私は愛している」と反論する(ワーグナーの《ニーベルングの指環》の救済の動機を想起させるフレーズが現れる)。
トニーとマリアは、二人で遠くの街へと旅立とうとするが……。
世代を超えて人々を魅了し続ける〈伝説のミュージカル〉を、巨匠スティーブン・スピルバーグが念願の映画化。「本作は私のキャリアの集大成」と語るほどの意気込みで挑んだ、自身のキャリア初のミュージカル作品。スピルバーグをも虜にした 1961 年版『ウエスト・サイド物語』では、圧倒的なダンスと名曲「Tonight(トゥナイト)」や「Somewhere(サムウェア)など感動的なナンバーとともに物語が紡がれ、アカデミー賞で作品賞を含む 10 部門を受賞、ゴールデン・グローブ賞でも作品賞を含む 3 部門を受賞し、ミュージカル映画史に名を残した伝説の作品として今もなお愛され続けている。
製作・監督:スティーブン・スピルバーグ 脚本:トニー・クシュナー
作曲:レナード・バーンスタイン 作詞:スティーブン・ソンドハイム
振付:ジャスティン・ペック 指揮:グスターボ・ドゥダメル
出演:アンセル・エルゴート、レイチェル・ゼグラー、アリアナ・デボーズ、マイク・ファイスト、デヴィッド・アルヴァレス、リタ・モレノ
2022年2月11日全国ロードショー
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