プレイリスト
2020.11.15
おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—第21回

「幸いなるかな、わたしの神に」BWV139——三位一体後第23主日

音楽の父ヨハン・ゼバスティアン・バッハが生涯に約200曲残したカンタータ。教会の礼拝で、特定の日を祝うために作曲されました。
「おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—」では、キリスト教会暦で掲載日に初演された作品を、その日がもつ意味や曲のもととなった聖書の聖句とあわせて那須田務さんが紹介します。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

ポルトガル王ジョアン6世の宮廷に仕えた画家ドミンゴス・セルグエイラ作「皇帝の硬貨(皇帝のものは皇帝に)」。

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おはようございます。本日は1724年11月12日にライプツィヒの教会で初演されたカンタータ139番「幸いなるかな、わたしの神に」をお聴きいただきます。

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この日の礼拝で朗読されたのはマタイによる福音書第22章の15~22節「皇帝への税金」。

律法の実践に熱心なファリサイ派の人たちがイエスを試そうとして、ローマの皇帝に税金を納めるのは律法にかなっているかと訊ねました。当時のユダヤ社会はローマの支配下にありました。

貧しい人たちの出身者が多かったファリサイ派の人々は、イエスに反ローマ的な発言をしてほしかったのかもしれません。けれどもイエスの答えは「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ」というものでした。

22:15それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。 22:16そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。 22:17ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」 22:18イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。 22:19税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、 22:20イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。 22:21彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」 22:22彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。

新共同訳聖書より「マタイによる福音書」22章15〜22節

バッハのカンタータはコラール(賛美歌)「幸いなるかな、わたしの神に身を委ねる人は」を基にしたコラール・カンタータで編成はソプラノ、アルト、テノール、バスに合唱、オーボエ・ダモーレ(愛のオーボエ)2、弦楽と通奏低音。

歌詞の内容は税金のことには触れずに、神のものは神に返しなさい、という言葉に焦点をあてて、神のもの、すなわち神の属するものとは何かが語られます。

第1曲はコラール合唱。器楽と3声の合唱がしめやかに歌います。「幸いなるかな、私の神に身を委ねる人は子どものよう! たとえ罪や死、あらゆる悪から憎まれようが、神だけを友とすれば満ち足りている」。

するとテノール(アリア)が協奏曲のようなヴァイオリンのパートとともに「神は私の友。どれほどの困難に襲われようがそれが何であろう。どんな嫉妬や憎しみにあっても慰めがある真実を語らない敵の嘲る者など怖れることはない」と歌います。

続いてアルト(レチタティーヴォ)が、「主は主の者たち(弟子たち)を狼たちの中に送られる。主は怒りに満ちた暴徒たちに囲まれ、傷つき、あざけられるが、いつも主の口からは賢い言葉が出てこの悪しき世から私たちを守ってくれる」とイエスの受難と迫害を予告します。

でも、神への信頼があればどんなことも乗り越えられる。バス(アリア)がオーボエ・ダモーレと弦楽とともに神への想いを力強く歌いあげます。「あらゆる方角から不運が私たちに襲い掛かり、わたしを重い枷につなごうとするが、そこに突然神の助けの御手が現れて、遠くから慰めに満ちた光が降り注ぐ。わたしは神だけが人間の最高の友であることを知る」。

そこで音楽は一変して柔らかな情感になり、ソプラノ(レチタティーヴォ)が「たとえわたしが、みずからのうちに罪の重荷という敵を抱えていても、わたしの主は安らぎを与えて下さる。だからわたしは神に、神に属するものをお返しするのです。それはわたしの内なる魂。神がそれを選んでくださるのでわたしの罪は消え、サタンの策略は滅びる」。

そして最後に合唱が「だからたとえ地獄の主だろうが、死の復讐だろうが、どんな攻撃にも嘆くことはない。神こそわたしの心の支えであり、助けであり、よき言葉なのだから」と一曲目のコラールの詩節を歌って曲を閉じます。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

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