プレイリスト
2021.03.30
おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—第43回

《マタイ受難曲》第3日(イエスの捕縛)——受難週3日目

音楽の父ヨハン・ゼバスティアン・バッハが生涯に約200曲残したカンタータ。教会の礼拝で、特定の日を祝うために作曲されました。
「おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—」では、キリスト教会暦で掲載日に初演された作品を、その日がもつ意味や曲のもととなった聖書の聖句とあわせて那須田務さんが紹介します。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

バロック期の画家カラヴァッジョ作『イエスの捕縛』。

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おはようございます! 「棕櫚(しゅろ)の主日」から聖金曜日まで、6回にわたってお届けしているバッハの《マタイ受難曲》の第3回。

物語は先に進みます。イエスが弟子たちとともにエルサレム東部のオリーブ山(ゲツセマネの園)に赴き、父なる神に祈る場面です。十字架刑を前にしたイエスの心のうちが明かされます。

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福音書記者「それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て弟子たちに言われた」。イエス「わたしが向こうに行って祈っている間、ここに座っていなさい」。福音書記者「そしてペテロとゼベダイの二人の子を伴われたが、そのとき悲しみもだえ始められた。イエスは彼らに言われた」。イエス「私の魂は、悲しみのあまり死ぬほどである。ここに留まり、わたしと共に目を覚ましていなさい」(第18曲)

これから起こる十字架刑や弟子たちの裏切りを前にしたイエスの悲しみはいかばかりでしょう。そんなイエスの様子をテノールⅠ(レティタティーヴォ)が伝えます。合間に合唱Ⅱが入りますが、緊迫感に満ちたテノールと、後世の信者である穏やかな合唱Ⅱの劇的な対比。そして管弦楽のリコーダーとオーボエ・ダ・カッチャを加えたサウンドが相まって、非常に印象深い場面になっています。

テノール「おお苦痛! さいなまれた心が震えている。心は崩れ落ち、御顔は青ざめる」-合唱「この苦しみの基はいったい何なのでしょう」-テノールⅠ「裁き主が彼を法廷に引き出されたのだ。そこには慰めも助ける者もいない」-合唱「ああ、私の罪があなたを打ったのです」-「彼は地獄の苦しみを受けられる。身に覚えのない罪を償うために」―合唱「主イエスよ、私こそ責めを負うべきなのに。私の愛があなたの震えとおののきを少しでも減らし、助けることができるなら、喜んでここに留まろう」(第19曲)

ここから、テノールⅠの抒情的なアリアへと移行します。ここでも合唱Ⅱが加わります。テノールⅠ「私はイエスの傍で目覚めていよう」。合唱Ⅱ「そうすれば私たちの罪は眠りにつきます」-テノールI「イエスの魂の苦悶は私の死を贖い、イエスの悲しみが私を喜びに満たす」-合唱「だから彼の苦難は私たちにとって良きことであり、痛みは甘いのです」-テノールⅠ「私はイエスの傍で目覚めていよう」…(第20曲)。

福音書記者「イエスは少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた」。イエス「我が父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、私の願いどおりではなく、御心のままに」(第21曲)。

ここで後世の信者であるバスⅡが、「救い主は父の見前にひれ伏される。それによって、主は私と全ての人を堕落の淵からふたたび神の恵みへと高めて下さるのだ」と語り(第22曲)、ヴァイオリン群と通奏低音を伴奏に「私も喜んで十字架と苦い杯を受け入れ、主に従って飲み干そう。なぜなら主の口は乳と蜂蜜が流れていて、辛い辱めを甘くしてくださるのだから」とアリアを歌います(第23曲)。

再びオリーブ山の場面。イエスが祈っているあいだも、弟子たちは眠たくしたしかたがありません。福音書記者「それからイエスは弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らが眠っているので彼らに言われた」。イエス「おまえたちは、ただのひと時も私とともに目覚めていることができないのか。目覚めなさい、そして祈りなさい、誘惑に陥らないように。心は燃えていても、身体は弱い」。福音書記者「さらに二度目に向こうへ行き、祈って言われた」。イエス「私の父よ、この杯を私から去らせることができないのでしたら、私は飲み干しましょう。あなたの御心が成就しますように」(第24曲)。

合唱1・Ⅱによるコラールです。「神の御心は常に成就する。それこそが最善。神を信じ、神に堅固な土台を据える者を決してお見捨てにはならない」(第25曲)。

福音書記者イエスが再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。彼らはひどく眠たかったのである。そこで彼らを離れ、もう一度向こうへ行って、三度も同じ言葉で祈られた。それから、弟子たちのところに戻ってこられ言われた」。イエスああ!お前たちはまだ眠りたいのか。休みたいのか。見よ、時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。起きなさい。さあ行こう。見よ、私を裏切る者が来た」。福音書記者イエスがまだ話しておられると、見よ、十二人の弟子の一人のユダが来た。また、彼と共に、剣や棒を持った祭司長、民の長老の群衆も一緒だ。イエスを裏切ろうとしたユダは、前もって合図を決めていた。『私が接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ」。ユダごきげんよう、先生」。福音書記者「そして接吻した。イエスはしかし、彼に言われた」。イエス「わが友よ、あなたはなぜ来たのか」。福音書記者「すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕えた」(第26曲)。

ついにイエスは捕えられてしまいました。ソプラノⅠとアルトⅠが美しい二重唱でイエス捕縛の様子を描写します。ここでも、合唱Ⅱの鋭い「放せ!」という声が劇的な効果を高めます。

ソプラノⅠとアルトⅠの二重唱「こうして私のイエスは捕えられた。月の光もあまりの痛ましさに沈んでしまった。私のイエスが捕らえられたのだから。彼らはイエスを引いていく。イエスは網目につけられる」。合唱Ⅱ「放せ! 待て! 縛るな!」(第27a曲)。

これに畳み掛けるように合唱Ⅰ・Ⅱが「稲妻よ、雷よ、雲の中に隠れてしまったのか。奈落の炎よ、口を開け、地獄よ、打ち崩せ、吹き出す怒りとともにあの腹黒い裏切りものを、あの人殺しの血族を!」と管弦楽とともに力強く歌います。(第27b曲)

場面はさらに緊迫していきます。福音書記者そして見よ、イエスと一緒だった一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。そこでイエスは言われた」。イエス「剣を鞘に収めなさい。剣を取るものは、皆剣で命を失う。あるいは、私が父お願いできないとでも思うのか。お願いすれば、すぐにでも12軍団以上の天使の軍勢を今すぐにでも送ってくださるだろう。しかしそれでは聖書の言葉はどうして実現されよう。その言葉こそ成就しなければならないのだ」。福音書記者「またその時、イエスは人々に向かって言われた」。イエス「あなた達は、まるで人殺しにでも向かうように、剣や棒をもって、私を捕らえに来たのか。私を毎日あなた達と共に座り、神殿で教えていたのに、私を捕らえなかった。このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書いたことが実現するためである」。福音書記者「この時、弟子たちは皆イエスを見捨てて、逃げてしまった」。(以上第28曲)

合唱Ⅰ・Ⅱとソプラノのユニゾンが、第1部を締めくくるコラール(第29曲)を歌います。「おお人よ、あなたの罪の大きさを嘆くがよい。そのためにこそ、キリストは御父の懐を離れ、この地上に来られた。清く優しい処女より地上の私たちのために生まれ、執り成しの仲保者になろうとされた。死者に命を与え、すべての病を取り去られた。やがて時が来て、彼は私たちのために屠られ、私たちの重い罪を担い、十字架の長い苦しみにつかれた」。

本日はここまでにしましょう。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

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