ピアノ・ソナタ第1番Op.4――作曲と文学や歴史の勉強に打ち込む少年ショパン
ショパンの作品を全曲聴いてみよう! ショパン自身がつけた作品番号順に聴くことで、ショパンの“設計図”が見えてきます。
東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...
作曲と文学や歴史の勉強に打ち込む少年ショパン ピアノ・ソナタ第1番Op.4
前回紹介した「モーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》の主題による変奏曲」に続き、ワルシャワの中央音楽学校で校長のエルスネル先生に師事していた頃、ショパンは初めてソナタの作曲に挑戦します。古典的様式に精通した先生に習った成果を出そうと躍起になっていたため、ぎこちなさがあり、評価は思わしくなかったそう。
このようなショパンの様子をエルスネルは見守っていた。ソナタという大規模な古典的形式がまだ手に余ることはあっても、やがて自分のものとするだろう。ピアノという楽器から離れないかぎり、ショパンの才能は確かな手ごたえを示しながら、実り豊かに作品を生み出す、そうエルスネルは確信していたにちがいない。だからショパンに、学生の習作としてピアノ・ソナタの作曲はさせても、ほかの生徒にたいしてのようにオーケストラ作品作曲を必修だと無理強いしようとはしなかった。
——小坂裕子著 作曲家◎人と作品シリーズ『ショパン』(音楽之友社)26ページより
エルスネル先生はショパンのことをよく理解したうえで指導していたのですね。また、この時期のショパンは音楽以外も好奇心旺盛に学びます。
ヴロツワフとウィーンで学んだのち、ヴァイオリニストや指揮者として活躍。初のポーランド語オペラを作曲。1821年にワルシャワに中央音楽校を創設した。
《ソナタ》ハ短調・作品4を手がけながら、ショパンの興味は音楽だけにとどまらず、大学で文学と歴史の講義も受けていた。そこで出会ったカジミエシュ・ブロジンスキの講義は、ショパンの知識欲を刺激した。ブロジンスキは、ロマン主義について説き、創造は「霊感によるもの」だとした。感情のおもむくままに創造にとりかかり、そこから冷酷なさばき手となって感情を遠ざけ、形式を与え推敲する、それが芸術創造というものだ。熱くこのようなことを語るブロジンスキの講義に、ショパンは熱心に耳を傾けていた。
——小坂裕子著 作曲家◎人と作品シリーズ『ショパン』(音楽之友社)24ページより
ピアノ・ソナタ第1番Op.4
作曲年代:1827~28年(ショパン17~18歳)
出版:1851年
献呈:Józef Elsner
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