24の前奏曲 Op.28――サンドと滞在したマヨルカ島、バッハへの敬意
ショパンの作品を全曲聴いてみよう! ショパン自身がつけた作品番号順に聴くことで、ショパンの“設計図”が見えてきます。
東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...
24の前奏曲 Op.28
1836年10月の末に、ジョルジュ・サンドとショパンは出会います。リストとその愛人ダグー伯爵夫人が滞在していたフランス館でのことでした。
サンドはショパンの姿、そしてピアノの才能に心奪われたようですが、ショパンのほうは「その表情には共感できない何かがあります。近寄りがたい人です」と、サンドの第一印象はよくなかった模様。
しかし、早くも12月にはショパンのほうからサンドを自宅に招いたりと交流が始まり、1838年の5月ごろには交際が始まったようです。
この肖像画はショパンと交際していた1838年に描かれた。
1838年の冬、息子と咳き込みがちなショパンのため、サンドは温暖で空気が綺麗なマヨルカ島への旅を決意します。ショパンは旅費の足しとして、まだ完成していない「前奏曲集」の出版権をフランスのプレイエル、ドイツの銀行家に売り、前金を受け取っています。
治安が悪く、島民も歓迎してくれなかったマヨルカでの生活はショパンには耐えがたいものであったよう。そして、「血の海に溺れないようにしないと」と手紙に書くほど吐血するようになっていました。
手配していたピアノがやっと到着したのは島に着いた約2ヶ月後。荒れ果てた修道院の、簡易ベッドの横にある薄汚れた机で、「前奏曲集」が完成したのは翌年1839年1月のことでした。
ショパンはほかのロマン派の音楽家と同じく、バッハの作曲法から多くを学んでいた。(中略)24曲それぞれが示す主題の簡潔性や調性的関係にバッハへの傾倒が感じられる。演奏時間は1分から最も長いものでも5分ほどなのに、ひとつひとつの曲が示す独自の美の世界はほんとうに感動的だ。
——小坂裕子著 作曲家◎人と作品シリーズ『ショパン』(音楽之友社)194ページより
オクターヴ12音を主音とする24の長・短調すべてを網羅した「前奏曲とフーガ」をまとめたバッハの大作「平均律クラヴィーア曲集」。ショパンはこの曲集を勉強、練習していたようで、書き込みが入った楽譜も残されています。
「前奏曲集」は、フランスで出版されたものはピアニストであり、ピアノメイカーと出版社を運営するカミーユ・プレイエルに献呈。ショパンがマヨルカ島で弾いていたのは、プレイエル社のアップライト型ピアノでした。
ドイツで出版されたものは、ワルシャワ時代に出会い、大いに影響を受けたドイツ人作曲家ヨーゼフ・クリストフ・ケスラーに献呈されました。ケスラーは以前、自身が作曲した「24の前奏曲」をショパンに捧げていましたので、返礼の意味もあったのかもしれません。
24の前奏曲 Op.28
作曲年代:1838-39(ショパン28-29歳)
出版:1839年
献呈:Camille Pleyel (French edition); Joseph Christoph Kessler (German edition)
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