
ムーティがザルツブルク音楽祭で聴かせた、ウィーン・フィルとの究極のヴェルディ「レクイエム」

欧州で行われた、2026年夏の音楽祭から、オーストリアのザルツブルク音楽祭(8月18日)で行われた、リッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルによる演奏のもようをお届けします。

1961年生まれ、兵庫県神戸市出身。1986年渡仏。パリ第8大学でベアトリス・ディディエ、パリ国立高等音楽院=高等師範=トゥール大学合同音楽学課程でデイヴィッド・チャ...
リッカルド・ムーティは、1971年にカラヤンから招かれてドニゼッティ《ドン・パスクアーレ》を指揮して以来、1978年を除いて、毎夏ザルツブルク音楽祭の指揮台に立ってきた。今夏は3回、ヴェルディ「レクイエム」を振ったが、最終日の8月18日に祝祭大劇場に入ることができた。
ちなみに、ムーティによるザルツブルクでの「レクイエム」は、1989年のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を例外として、2002年、2011年、2013年、2019年、2026年の5回とも、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との共演だった。
舞台袖にムーティが現れたとたんに沸き起こった大きな拍手がぴたりと止むと、弱音器を付けたチェロの澄み切ったppの音がゆったりと、静かに下降しはじめた。半世紀以上にわたり、ウィーン・フィル独自の音を次代の奏者たちに伝えることに腐心してきただけに、両者の一体感は比類がない。やがてウィーン国立歌劇場合唱団の男声が「Requiem aeterna」(永遠の休息)とささやくように歌い始めた。弱音でありながら、確信に満ちた言葉が、オーケストラにぴたりと重ね合わさって聴こえてきた。
作曲家が畏敬していたマンゾーニへの追悼の念から生まれた曲が、じつにきめ細やかに、しかも全体を俯瞰する視点を持って織り上げられていった。穏やかに語りかけるような箇所と「怒りの日」の、壁を揺るがすトゥッティとの音量の広い幅からは、ヴェルディが望んだ壮大なスケールがおのずと生まれた。そして、1時間半の大作は、あたかも一筆書きで書かれたかのようだった。この曲では急に雰囲気が変わる箇所が多いが、それでいながら、じつになめらかなに曲が流れていった。
メゾソプラノの陰影に富んだ声のマリアンヌ・クレバッサ(Ms)を筆頭に、イヴォナ・ソボトカ(S)、マイケル・スパイアーズ(T)、マハラム・フセイノフ(Bs)と、ソリストにも適役がそろった。4人を指揮台のすぐ前に配置したムーティは、抑えるべきところではきっちりと抑えるべく、常に鋭い視線を注いでいた。ソロ歌手でも曲の枠からはみ出ることを許さない独自の厳格さは、ここでも顕著だった。
85歳のムーティが「これが生涯最後」と明言した演奏には、なによりも死と最後の審判に対する人間の根源的な畏怖が感じられた。演奏が終わったとき、ふと思い出されたのはかつてムーティがインタビューで語ってくれた言葉だった。
「私たちはヴェルディを誇張してはいけません。彼の真実を表現しなければなりません。ヴェルディは安直な効果をねらうような音楽家ではなく、真実を描いた作曲家です」
この言葉が結晶したかのような究極の演奏に立ち会えた喜びを胸に、会場を後にした(8月18日、祝祭大劇場)。






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