ブーイング考~音楽史、上演史を変えた「ブー!」と、今どきの作法
演出家や演奏家に向けて、時に起ることがあるブーイング。日本ではまだ少ないですが、本場ヨーロッパでは、名曲誕生や、オペラ演出の新時代にも大いに関わりがありました。そして現代のブーイングは、さらに多様化している? ヨーロッパでたくさんの舞台を見てきた音楽評論家の堀内修さんに、「ブラボー!」と「ブー!」の過去と現在について教えてもらいました。
東京生まれ。『音楽の友』誌『レコード芸術』誌にニュースや演奏会の評を書き始めたのは1975年だった。以後音楽評論家として活動し、新聞や雑誌に記事を書くほか、テレビやF...
幕がおりるとすぐ「ブー!」の声がかかった。すぐに「ブラボー!」が続く。《影のない女》が活気づいた。10月に東京文化会館で上演された、演出家コンヴィチュニーの舞台への客席の反応だった。
いつもこうはいきません。「ブラボー!」は稀ではなくなったけれど、「ブー!」はさすがに少ない。コンサートが終った後は皆無だし、オペラでも珍しい。ついうれしくなるのは昔の、新しい作品の登場で起った騒動を羨ましく思っているせいだろう。
《タンホイザー》《春の祭典》……音楽史を変えたブーイング
1815年、ローマでの《セビリャの理髪師》初演は、罵声が飛び嘲笑が起る、挙げ句に猫が舞台に放たれると、てんやわんやだった。1861年にパリで《タンホイザー》が上演された時の妨害も大変で、ワーグナーはすぐに作品を引っ込める破目になった。
▼ロッシーニ《セビリャの理髪師》
▼ワーグナー《タンホイザー》
《セビリャの理髪師》は結局ロッシーニの代表作になって作曲家の名声確立に一役買い、《タンホイザー》の失敗は結局世紀末パリのワーグナー・ブームにつながった。
パリでは1913年の《春の祭典》初演の大騒動も今や神話になっている。シャンゼリゼ劇場の怒号から《春の祭典》の栄光が生まれ、新しい20世紀音楽の時代が始まったのだ。
▼ストラヴィンスキー《春の祭典》
バイロイトでのブーイングで オペラ上演の新時代が幕開け
残念ながら1913年のシャンゼリゼ劇場には行けなかったけれど、1976年のバイロイトには行った。音楽祭開始100年の《ニーベルングの指環》だ。ピエール・ブーレーズが指揮し、パトリス・シェローが演出した《指環》は、その後のオペラ上演を変えることになる。
始まる前から、とんでもない舞台だぞ、ライン川にダムができた、などという情報が飛びかっていた。序夜《ラインの黄金》が終った時には口笛とブーイングがよく響く音響の祝祭劇場に響きわたった。
騒ぎは次の《ワルキューレ》《ジークフリート》と進むにつれ、収まるどころか強化されていく。口笛じゃ収まらず、本物の笛を持ち込む者もガラガラ音が鳴るおもちゃを持ってくる者もいる。幕がおりてからならいいが、上演中に声を出す者までいて、大変な騒ぎだ。神話の世界が19世紀のリアルな物語になっただけでも、当時は大事件だったのだ。
この《指環》が演出を重視するオペラ上演の時代の幕を開け、「ブー!」と「ブラボー!」の騒ぎをもたらした。
実はこれ以前にバイロイトでは新たな時代が始まっていた。戦後、ワーグナーの孫で演出家のヴィーラント・ワーグナーによる「新バイロイト様式」を広めた音楽祭が、1972年にゲッツ・フリードリヒ演出の《タンホイザー》で、「レジー・テアター」=演劇的上演を持ち込んだからだ。
これが当方の最初のバイロイト体験だったもので、清浄なはずの騎士たちがナチ風の制服を着てヴァルトブルク体制を維持していたのに面くらったのを、いまでもよく憶えている。
これまで経験したもっとも激しいブーイングは……
確かに演出に対する異議申し立てでブーイングする例が多いのだが、背後に別の理由がある場合も多い。
これまで経験したとくに激しいブーイングは、2004年にウィーン国立歌劇場で行なわれた《パルジファル》新制作上演の後だった。クリスティーネ・ミーリッツが演出した上演では、最後にパルジファルが聖杯を投げ捨てる。
カトリックの街ウィーンで、復活祭に、重要なプレミエとして上演された《パルジファル》だったから、皆さんの怒りは並じゃなかった。つい最近まで拍手さえ禁じられていた神聖な作品が汚されたとばかり、怒りが演出家に浴びせられる。
ミーリッツはカーテン・コールには出ず、自分の桟敷席に立ち上がって、にこやかに手を振った。たまたま隣の桟敷だったもので、平土間の人たちが皆こちらを向いて指さし、罵声を浴びせるのにはあわてた。ブーイングを最高の賞賛のように笑顔で受けとるドレス姿のミーリッツの、いやさっそうとしていたこと!
▼ワーグナー《パルジファル》
ブーイング 今どきの作法
演奏に感動して「ブラボー!」、腹にすえかねて「ブー!」を叫ぶとは限らない。
最近ではアンナ・ネトレプコへの「ブー!」が、報道されていた。それはウクライナ問題に関してのブーイングだった。
しくじった演奏家や歌い損ねた歌手へのブーイングは、最近聞かない。昔は専門のサクラがいて、金をもらったら「ブラボー!」でもらわなかったら「ブー!」という、実に分かり易い悪習があったのだが、いまはまずなさそうだ。
ヘンな体験としては、ウィーンでのオーケストラのコンサートで、聴衆が皆オーケストラを気に入り、指揮者が気に入らないのを、かけ声や拍手で表現したのがある。指揮者がいる時にはまばらな拍手しか起らず、指揮者が引っ込むと盛大に拍手するという技だった。
*
演出家や演奏家が時にブーイングを喜ぶのは、それが「私はちゃんと聴いたんだぞ」という意思表示でもあると知っているからだ。困るのは途中であるいは終わってすぐ、客が帰っていなくなる事態だろう。さて、冒頭に書いた《影のない女》は失敗したのか、それとも成功したのだろうか?
▼R.シュトラウス《影のない女》
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