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2026.05.02
特集「アニバーサリー2026」|10月18日 没後50年記念コンサート開催

ヨーロッパとのはてしない距離──矢代秋雄の孤独

46歳の若さで急逝した作曲家の矢代秋雄は、2026年に没後50年を迎えました(4月9日が命日)。「アニバーサリー」特集で取り上げた伊福部昭(没後20年)とは、師弟関係でもありました。この記事では、矢代と交流のあった作曲家や代表作についてご紹介します!

沼野雄司
沼野雄司

東京藝術大学大学院博士課程修了。博士(音楽学)。現在、桐朋学園大学教授、神奈川芸術文化財団芸術参与。2008年度、2020度にハーバード大学客員研究員。著書に『現代音...

矢代秋雄(1929~1976)

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矢代秋雄(1929~1976)について考えるときに思い出されるのが、作曲家・西村朗(1953~2023)の語った、ある逸話だ。

西村が東京藝術大学で矢代に師事していた頃、矢代はしばしばレッスン室でピアノ科の学生たちと、半ば遊びのように音楽に興じていたという。オーケストラ総譜をひょいとピアノの前に立てて、協奏曲の独奏部と管弦楽部を学生と交替しながら自在に弾き分ける――その様子を目の当たりにして、西村は「これはとても自分にはできない」と強い衝撃を受けたという。このショックこそが西村を、「アジア」を主題とするきわめて個性的な作曲家へと導いたと言ってもよい。

この逸話は、矢代秋雄という作曲家の本質をよく物語っている。矢代は、日本の作曲家のなかでも例外的なほど高い水準で、ヨーロッパ音楽の教養と技術を身につけた人物であった。しかしこれは同時に、創作においては諸刃の剣ともいえる。この能力ゆえに彼は真正面からヨーロッパ音楽と対峙せざるを得なかったからだ。

矢代秋雄(やしろ・あきお)
1929年東京生まれ。
東京音楽学校研究科修了。1951年~1956年、フランス政府給費留学生としてパリ国立高等音楽院留学、ナディア・ブーランジェ、ジャック・ドゥ・ラ・プレール、オリヴィエ・メシアン他に師事。その後、東京藝術大学作曲科教授を務める。1976年急逝。

主要作品
「交響曲」、「チェロ協奏曲」(第9回尾高賞)、「ピアノ・ソナタ」、「ピアノ協奏曲」(1967年文化庁芸術祭奨励賞、第16回尾高賞)、他。

同じ時期にパリで学んだ黛敏郎

矢代は東京藝大を経てパリ音楽院に学ぶことになるが、彼と同時期にパリに滞在していた黛敏郎(1929~1997)は、音楽院の伝統的な教育にはほとんど関心を示さず、むしろ最先端であったミュジック・コンクレートの技法を学び、帰国後は時代の寵児として脚光を浴びることになる。いわば彼は、ヨーロッパの伝統を見切り、新しい音楽のフロンティアへと踏み出したわけだ。

ところが矢代は、まったく逆の道を選ぶ。彼は音楽院において、和声やフーガといった伝統的技法をあらためて徹底的に学び直した(やはり当時フランスに留学していた批評家の遠山一行は、そんな矢代の姿を見てひどく心配している)。

ヨーロッパと同じ土俵に立つためには、まず彼らと同じレベルで「基礎」ができなければならない──少なくとも若き日の矢代はそう考えていた。しかし、その努力の結晶としてパリで完成させた《弦楽四重奏曲》は、音楽院の教師たちから高い評価を得ることはなく、彼は深い失意を抱えながら、日本へ帰国する。

弦楽四重奏曲

当然といえば当然だろう。そもそも彼が自らに課した課題は、一人の作曲家が達成できるような性質のものではない。ヨーロッパの音楽文化は数世紀にわたる歴史と無数の作曲家の蓄積によって形づくられた巨大な体系であり、それを一個人が短期間で体得しようとすることは、無謀な試みなのだ。

しかし矢代は、この日本という国にあって、たった一人でその無理難題を背負い続けた。そして苦闘の末にわずかな数の作品を残し、1976年、46歳という若さで世を去ってしまった。

その作品群は、当時の日本の作曲界のなかではたしかに際立った完成度を誇っている。だが、同時代のフランスの作曲家──たとえばアンリ・デュティユー──と比較したとき、どこか物足りない感覚を覚えてしまうことも事実だ。能力も技術も完成度も高いからこそ、同じ土俵に立っているからこそ、容易にそうした比較の対象となってしまう。なんと残酷なジレンマだろう。

このことを、誰よりも強く意識していたのは矢代自身だったはずだ。おそらく彼は、そのなかで必死に出口を探し続けた。結果としてその音楽を満たすことになったのは、フランス的な洗練というよりも、むしろ暗い緊張と屈折が幾重にも折り重なった響きだった。

矢代作品のなかでも再演・録音頻度が高い「交響曲」

たとえば帰国後第1作の《交響曲》(1958)第4楽章は、その典型例である。

この主題の、なんとも言えないぎこちなさといったらどうだろう。旋律線を覆った緊張は、ほとんど解放されない。ここに聴くことができるのは、おそらくヨーロッパ音楽とはどこか本質的に異なる人工的な硬さ、あるいは屈折だろう。

ちなみに、むしろ日本的な感性をある程度は許容した第2楽章には、粗削りながらもより自由な音の動きが感じられるから、もしこちらの方向を突き詰めていたならば、矢代の道程はもう少し軽やかなものになっていたかもしれない。それでも、彼は依然として正面からヨーロッパ音楽に挑み続けた。

交響曲

20世紀日本を代表するピアノ協奏曲

しかしついに、雨垂石を穿つ。《ピアノ協奏曲》(1967)では、硬い音程関係のなかに、はっきりとした「しなやかさ」が生まれているではないか。

冒頭の旋律型が、呪術的ともいえる反復を伴いながら展開されていく部分の静かな衝撃は、ヨーロッパ音楽史においてきわめてオリジナルであるだけでなく、高度に洗練された表現として成立している。ここにおいて作曲家はまちがいなく一筋の光を見いだした。

ピアノ協奏曲

これは、矢代自身の楽器であるピアノが主役であることとも無関係ではないだろう。実際、終楽章に入るとやや構造的な窮屈さが戻ってくるものの、それでも独奏ピアノのパートは終始、水を得た魚のように躍動し、そこには確かな呼吸が感じられるのだ。

この《ピアノ協奏曲》の先には、とてつもない可能性が広がっていたはずである。しかし矢代は、その後10年を待たずして急逝してしまった。まるで太陽に近づこうとしたイカロスの翼が、熱によって溶けてしまったかのように……。

矢代秋雄を聴くことは、日本という場所からヨーロッパという、とてつもなく遠い地点へと渡された、一筋のはかない軌跡を聴くことにほかならない。だからこそ、彼の音楽は今もなお、私たちに多くの刺激と思考、そして深い感慨を与えてやまないのだ。

公演情報
矢代秋雄 没後五十年記念コンサート

けっして色褪せない――矢代の音楽は
いまなお多くの人を虜にする

[日時]
2026年10月18日(日)14:00開演(13:30開場)

[会場]
浜離宮朝日ホール(東京)

[企画・構成]
青柳いづみこ

[出演]
青柳いづみこ・田所光之マルセル (ピアノ)
多久和怜子・占部智美 (フルート)

[曲目]
ピアノのためのソナチネ(1945)
ピアノ連弾のための古典組曲(1951) 
2本のフルートとピアノのためのソナタ(1958)
ノクチュルヌ(夜曲)(1947)

ミニ・レクチャー(お話:青柳いづみこ)
矢代秋雄のソナタとベートーヴェン「ソナタ」Op.109

ピアノ・ソナタ(1961) 

[チケット]
全席指定 4,500円
朝日ホール・チケットセンター(5/1 より発売)
03-3267-9990(日・祝除く 10:00-18:00)
https://www.asahi-hall.jp/hamarikyu/ticket/

[主催]
株式会社 音楽之友社
朝日新聞社/浜離宮朝日ホール

[お問い合わせ]
音楽之友社出版局楽譜部
03-3235-2135

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沼野雄司
沼野雄司

東京藝術大学大学院博士課程修了。博士(音楽学)。現在、桐朋学園大学教授、神奈川芸術文化財団芸術参与。2008年度、2020度にハーバード大学客員研究員。著書に『現代音...

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