
偉大なテナーサックス奏者サニー・ロリンズはまさにジャズ界の巨人

ラジオのように! 心に沁みる音楽、今聴くべき音楽を書き綴る。Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画として、ピーター・バラカンさんの「自分の好きな音楽をみんなにも聴かせたい!」という情熱溢れる連載をアーカイブ掲載します。
●アーティスト名、地名などは筆者の発音通りに表記しています。
●本記事は『Stereo』2026年4月号に掲載されたものです。

ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...
サニーの曲とは知らずに聴いた「St. Thomas」
同世代の日本人と音楽の話をするときは、ぼくとして意外なほど早くジャズに傾倒した人がいます。それはたぶん1つには、1961年にアート・ブレイキーのグループが来日して大きな話題になったことと関係しているようです。
あの時代のイギリスでは、モダン・ジャズはまだ一般的なところまで浸透しておらず、トラッド・ジャズやそれから派生したポップな曲のほうが時々ヒット・チャートを賑わしていました。その代わり、日本やアメリカよりも先にリズム&ブルーズ、ソウル、ブルーズのほうが流行したのは面白いところです。
個人的には、モダン・ジャズとの接点はピンポイントでいくつかありましたが、ちゃんと捉えるようになったのは大人になって、日本に来てからでした。
ロンドンにいた10代の頃、たまたまテレビでセローニアス・マンクが出ている番組を見て、そのユニークなサウンドに魅力を感じたり、同じくテレビのドキュメンタリーで描かれていたオーネット・コールマンに興味を持ったり、マイルズ・デイヴィスのエレクトリック・バンドでの演奏に衝撃を受けたりしましたが、ロック・バンドが取り上げた曲がきっかけになって興味を持ったミュージシャンもいました。
ジェスロー・タルのデビュー・アルバムに入っていた「Serenade To A Cuckoo」のフルートがなんともエクサイティングで、何度も聴いているうちにそのオリジナルを作ったのがローランド・カークだということを知って、しばらくすると彼のアルバムを探しました。
Serenade To A Cuckoo
また、あるときマーキー・クラブで誰かを見に行ったとき、前座で出演していたサーカスというグループがいて、そのなかにもフルート奏者がいました。彼が中心で演奏したとても陽気なメロディの曲にすっかり魅了されて、その後、図書館で彼らのレコードを借りて(財政的な事情で……)聴くと、その曲が「St. Thomas」というタイトルだとわかりました。
カリプソっぽいメロディだし、当時はジャズの曲であることには気づきませんでしたが、かなりあとにそれがサニー・ロリンズの名曲であることがわかって、それが収録されている1956年のアルバム『Saxophone Colossus』も愛聴盤になりました。
St. Thomas
コールマン・ホーキンズのSP盤レコードに衝撃を受けた
現在95歳になっているサニー・ロリンズの評伝『Saxophone Colossus』(エイダン・レヴィ著)が2022年にアメリカで出版され、その日本語訳『ソニー・ロリンズ伝』(亜紀書房)が近々発行されます。非常に長いキャリアを網羅するこの本はやはり大作ですが、大変読みごたえがあります。
サニー・ロリンズは、ミュージシャンとしてまさに巨人のような存在で、際限なく幅広いジャズというジャンルのどんなミュージシャンも敬意を表する人です。1930年、ニューヨークで生まれハーレムで育った彼にとって、ルイ・アームストロングの音楽は同時代のものでした。
また、当時のラジオでよくかかっていたあの時代のミュージカルの音楽も彼のDNAの一部になっていて、後にジャズのスタンダードになるそういった楽曲の生き字引です。彼が小学生だった1939年に、2つの衝撃的な出会いがありました。
1つはデビューしたばかりのルイ・ジョーダン、かっこいい姿でサックスを吹きながらブルーズやゴキゲンにスウィングするダンス・ミュージックを演奏する彼に憧れ、サクソフォーンがほしくなります。
もう1つの出会いは、当時の音楽シーンの大物コールマン・ホーキンズのSP盤レコード「Body And Soul」。ヴォーカル曲として流行っていたこの曲のメロディを数秒だけ吹いて、あとは自分独自の即興で引っ張っていくこの名演を子どもながらにリアル・タイムで体験したサニーには、一生忘れない衝撃を与えます。
Body And Soul
サックスを入手した彼は、ひたすら練習ばかりをするようになります。周りにできるだけ迷惑をかけないように、クロゼットの中に閉じこもって何時間も吹きます。高校の仲間と一緒にやっていた第二次大戦直後はビバップが流行り出したころで、ニューヨークで次々とその立役者たちの演奏に触れ、また本人たちと知り合います。
彼のライヴ活動やレコーディングについて事細かに記されていて、ここまでは知らなくてもいいかなと時々思いつつ、そのときの気分で共演者を変える彼の音楽に対する真剣な姿勢が窺えます。自分の演奏となると誰よりも批判的で、またレコーディングしたあとのミックスはまったく参加せずプロデューサーに任せていました。
サクソフォーンを演奏することを一種の修業と捉えた
『Saxophone Colossus』のような誰もが認める名盤のことも、彼にとってあくまで一日の演奏の記録以上のものではないと言うのです。
Saxophone Colossus
まだまだ自分の目指すレヴェルには達していないと悩んでいた50年代終盤に突然活動を休止し、しばらくの間、毎日、マンハッタンのロワー・イースト・サイドとブルックリンを結ぶウィリアムズバーグ・ブリッジに立って、長いときは16時間練習していたという有名なエピソード、また、1968年の日本ツアーのときに禅寺を訪れたあと、自分の精神面を磨きたい気持ちで、急にインドのアシュラムに入ってヨガの基本を学ぶ話など、サクソフォーンを演奏することを一種の修業として捉えていることが伝わってきます。
いくつもの曲を引用しながら延々とソロを吹き続ける彼の即興、メロディを忘れないとんでもなく豊かな創造性を、ライヴで一度だけ体験しました。サニーはすでに80代でしたが、ステージ上で直角に曲がった体から発せられるエネルギーに圧倒されました。
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