インタビュー
2026.05.26
愛弟子が振り返る、魔法のレッスン

シーモア・バーンスタイン、伝説のピアノ教師が残した言葉~ピアノの練習は人生の練習

4月30日、シーモア・バーンスタインが99歳で逝去されました。50歳でコンサート活動を退き、以後ピアノを通じて「いかにして豊かな人生を生きるか」を伝え続けた「NYで最も人気のあるピアノ教師」。その哲学は、俳優イーサン・ホークが監督したドキュメンタリー映画『シーモアさんと、大人のための人生入門』にも結実し、世界中に届きました。生徒としてシーモアさんと交流を続け、著作の翻訳も手がけた和田真司さんに、師の人柄と言葉を振り返っていただきました。

お話を伺った人
和田真司
お話を伺った人
和田真司

小学生の頃、楽譜の読み方を自ら解明しながら、自己流でピアノを始める。レッスンを受け始めたのは13歳の頃。慶應義塾大学・経済学部に進学し、アマチュアのピアノ弾きとして海...

ONTOMO編集部
ONTOMO編集部

東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...

シーモアさんのレッスンスタジオにて。和田さんが手に持っているのはイーサン・ホークによるドキュメンタリー映画のDVDで、シーモアさんからプレゼントされたもの

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シーモア・バーンスタイン19272026、日本では、セイモア・バーンスタインという表記でも親しまれているは、アメリカのピアニスト・教育者・作曲家・作家。15歳でピアノを教え始め、17歳でグリフィス・アーティスト賞を受賞。アレクサンダー・ブライロフスキー、クリフォード・カーゾン、ナディア・ブーランジェやジョルジュ・エネスクといった著名な音楽家に師事し、ピアニストとしての名声を築きました。日本では1955年に、近衛秀麿の指揮でガーシュウィン《ラプソディー・イン・ブルー》を初演しています。

しかし舞台恐怖症のため50歳でコンサート活動に終止符を打ち、以降の人生を「教えること」に捧げて、「NYで最も人気のあるピアノ教師」として国内外から高く評価されるようになりました。またニューヨーク大学の音楽科と音楽教育科で准教授を務め、定期的に多くの国際コンクールの審査員も務めています。その人柄と独自の哲学は各界の多くの人々を魅了し、米俳優イーサン・ホーク監督のドキュメンタリー映画『シーモアさんと、大人のための人生入門』(2014年)で世界的に知られるようになりました。

シーモアさんは、音楽と人生を切り離さない姿勢を一貫して持ち続けた教師でした。その著作は技術論から人生哲学にまでおよび、ピアノを学ぶ人だけでなく、豊かに生きることを求めるすべての人に向けられています。音楽之友社からは、『心で弾くピアノ~音楽による自己発見』『人生をより美しく~シーモアさんとの対話―音楽、友情、家族、そして創造』『ピアノ奏法20のポイント~振り付けによるレッスン』『ショパンの音楽記号~その意味と解釈』の計4冊が翻訳出版されました。中でも『心で弾くピアノ』は、名著として長年ピアノ学習者に読まれ続けています。

シーモア・バーンスタインの逝去を悼み、生前に生徒として20年以上交流を続けた和田真司さん(『ショパンの音楽記号』の訳者でもある)に、シーモアさんのマジカルなレッスンや忘れられない言葉、そしてピアノのみならず人生の師として仰ぐ理由を伺いました。

「音楽を愛している」ということに誇りを持って

――シーモア・バーンスタインに師事したきっかけは?

2003年に、当時勤めていた会社の仕事の関係でニューヨークに赴任したことがきっかけです。もともとは、ピアニストでコンチェルトの演奏予定があった妻のために紹介していただきました。

最初はもう教える枠がないということだったのですが、何とか妻のレッスンを入れてもらい、それについて行ったり、著書の『心で弾くピアノ』を読んでいるうちに、アマチュアである自分もどうしても弟子入りがしたくなりました。

『心で弾くピアノ~音楽による自己発見』(セイモア[シーモア]・バーンスタイン 著/佐藤覚、大津陽子 訳)

ピアノを練習することが優れた人間形成につながり、豊かな人生を導く! 自らの体験を通して、ピアノを練習するうえで直面する諸問題の克服法を語る

ただし……シーモア先生のお弟子さんはジュリアード音楽院の学生やプロの音楽家など、レベルが段違いに高い方ばかり。中国から飛行機に乗ってレッスンを受けに来る、神童のようなお子さんもいました。後にこれは私の勝手な誤解であり、他にもいろいろなお弟子さんがいることがわかったのですが、最初は、私のようなただのアマチュア・ピアニストがこのように著名な先生のレッスンを受けるなど、おこがましいにも程があると思っていたのです。

ある時、勇気を出してシーモア先生に、恐る恐るダメ元で「私のようなアマチュア・ピアニストでもレッスンを受けることは可能でしょうか」と聞いてみました。その時の答えが、その後の私の人生を変えました。

「どうして自分がレッスンを受ける資格がないと思うのかい? アマチュアの意味を知っているかね? アマチュアという言葉は、ラテン語のamare(愛する)が語源。お金のためではなく、ただただそれを愛するから深く追求する人のこと。これがどれほど尊いことか。音楽家はそういう意味で、皆アマチュアでなければならない。これこそ音楽にとっていちばん大切なこと。音楽を愛しているということに誇りを持てばいい」。

そして、深い愛情で私を受け入れてくださいました。

――シーモア先生には、どれくらいの期間にわたり、師事されましたか?

2003年からなので、20年以上になりますが、2007年には仕事で東京に帰任したり、再渡米しても西海岸だったりして、ニューヨークへはたまに仕事でいくというような状況になってしまいました。

ですがシーモア先生は、単なるピアノ教師を越えた存在でした。彼の著書の一つである『ショパンの音楽記号』を私が翻訳したこともあり、常に連絡をとっていました。

『ショパンの音楽記号~その意味と解釈』(セイモア[シーモア]・バーンスタイン 著/和田真司 訳)

ショパンのピアノ曲におけるペダル記号と強弱記号を再検証した研究書。演奏者、研究者、指導者、愛好家にとって、ショパン演奏の際の読譜の大きな手がかりとなる。譜例をふんだんに盛り込み、学術的な裏付けに基づいた内容は説得力があり、読み応えのある1冊

ニューヨークに仕事やプライベートで訪れるたびに、レッスンを受けに行きました。ピアノのレッスンという意味では、残念ながらコロナ禍前の2017年に、ショパンの「幻想曲」をみてもらったのが最後になりました。

シーモア先生の最後のレッスン
よくレッスン中にジョークを言っていたシーモア

ピアノのレッスンを完全に再定義してしまった人

――シーモア先生の、ピアノ教師としてのすごさは、どのような点にあると思われますか?

ピアノのレッスンを完全に再定義してしまったところにあると思います。これについて、シーモアの弟子のピアニスト、サンドロ・ルッソが非常にうまく表現していました。「彼は『レッスン』の本質を再定義し、それを精神的な出会い(魂の交感)とも言えるものへと昇華させた。それによって、今や失われつつあるピアノ演奏の伝統――つまり、様式的な洞察から、それまで気づかなかった音楽の深みや美しさを『聴き取る能力(感性)』を授けてくれた」。

私は、シーモアとベートーヴェンの後期3大ソナタを勉強する機会に恵まれましたが、第30番、第31番、第32番のレッスンは、まさに「魂の交感」とも言えるものでした。そして彼の深い洞察と、どうしてそのように解釈するに至ったのかという話がほんとうに面白くて、完全に引き込まれてしまいました。

たとえば、「ピアノ・ソナタ第32番」の第2楽章(アリエッタ)について、「ベートーヴェン自身の人生の物語そのもの。それをもっとも基本的なC major(ハ長調)で表現している。宇宙で星がキラキラ輝く様子を表しているような箇所もあれば、118小節目で5オクターヴも右手と左手が離れる部分は、十字架にかけられたキリストを表しているようだ。そこに書いてあるクレッシェンドにどうしても納得できず、ベートーヴェンの自筆譜を引っ張り出して見たところ、なんとそのクレッシェンド記号が彼自身によって荒々しく上から消されていることを発見し、稲妻に打たれたような衝撃を受けた」といったような話、等々。

ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第32番」第2楽章第113小節~。第118小節の2音目で、右手と左手が5オクターヴも離れる

こういう話をしてふと気がつくと、もう3時間もレッスンしてもらっていたことに気づく……というようなことが多かったです。映画でも見ているように感じる世界から、レッスン後に地上に戻るような感覚を毎回味わいました。そしてその3時間も続くようなレッスンの後で、当時すでに高齢だった師は、「レッスンの前よりも元気だ」とよく笑って言っていました。

シーモアのスタジオには多くの美術品があり、中でもこの、シューマン夫妻が実際に使っていたという「ティー・ケトル」は歴史的な価値を持つものです。シーモアの前は、クララ・シューマンの孫弟子にあたるピアニストで大学教授のヘレン・トーマスが所有していたものを、友人であったシーモアが受け継いだとのこと。なお、シーモアが左手に持っているのはショパンの手のレプリカ

「もっと知りたい、もっと考えたい」という気持ちが沸き上がる、マジカルなレッスン

――シーモア先生のレッスンを受ける中で、これまで抱えていた音楽上、テクニック上の、どのような問題が解決されましたか?

生徒ごとに合わせたレッスンをしてくれるので、私のように割と自己流でやってきて、テクニックを本格的に習ってこなかった生徒に対しては、ハンドポジション、手首の使い方、オクターヴの弾き方などをずいぶん直してくれました。また、ペダルの繊細な使い方や、創造的な指づかいなども一緒になって考えてくれました。

余談ですが、シーモアの師の一人である伝説的ピアニスト、アレクサンダー・ブライロフスキーがシーモアの演奏するリスト《ハンガリー狂詩曲》を聴いて、「その指づかいを後で私に教えてくれないか」と言ったほど、指づかいについてはいろいろと工夫をしていたようです。シーモアは、指づかいについての本を書く、と生前言っていたのですが、実現しなかったことを残念に思います。

彼は、「もっとそこを歌って」というような教え方ではなく、そこをそう歌うためにはこのように具体的に弾くとよい、というところまで落とし込んで教えてくれます。そして、音の一つひとつ、楽譜に書かれている記号なども含めて、これまで何十年も考え抜いてきた歴史があり、その研究成果を惜しげもなく共有してくれました

教本を多く出版しているような方ですから、かなり実践的なこともたくさん学びました。たとえば、ショパンの「ピアノ・ソナタ第2番」第2楽章(スケルツォ)で右手と左手がそれぞれ左右に跳躍していくところがあるのですが、ほんの一瞬左右のタイミングをずらすだけで、格段に弾きやすくなることなど、今まで考えたこともありませんでした。

ショパン「ピアノ・ソナタ第2番」第2楽章で右手と左手が左右に跳躍していく箇所

私のようなアマチュアの弱点は、「音楽が好き」という気持ちだけで動いていることが多いので、ゆっくり練習しなかったり、すぐにテンポを上げて何度も弾いてしまったりしがちなことです。しかしシーモアと一緒になって考えたおかげで、一人のときでも、ここはこういう指づかいで弾いた方がいいかな、ペダルはどうするべきだろう、シーモアなら何て言うだろうか、などと考えるクセがついたことがいちばん大きな成果でした。

さらに、彼がこれまで研究してきたことや、どの本にも書いていないような逸話にたくさん接しているうちに、自分の内側から「もっと知りたい、もっと考えたい」という気持ちが湧き上がってきて、楽譜の見方が立体的になったことも大きいと思います。

彼は、とあるインタビューの中で「人生は90歳になってから始まる」という名言を残していますが、実際彼の90代はとても充実したものだったと思います。イーサン・ホークが監督した映画『シーモアさんと、大人のための人生入門』に出演してから、さらに世に知られるようになり、彼のレッスンやインタビューの動画がYouTube上にも増えました。多くの方に彼の知恵や経験が共有されたことは、ほんとうに素晴らしいことだと思います。

ですが、レッスンでのマジカルな体験を再現することは当然不可能なので、ネット上で共有されているものは、そのごくごく一部にすぎません。

音楽の商業的な側面を嫌い、行動に移した人

――シーモアさんの印象に残っているエピソードを、いくつか教えてください。

彼は、無類の動物愛好家でした。レッスンのあと、彼のスタジオ近くにあった、ごく普通のレストランでよく一緒に食事をしたのですが、そこに向かう途中で犬に出会ってしまうと、自分も犬のようになってたわむれてしまうので、なかなかお店に辿り着けないことがありましたね。

お弟子さんの犬をよく預かっていたシーモア。私の左に写っているのは、弟子でピアニストのエリザベス・ウルフ

また彼は、とにかく音楽の商業的な側面を嫌い、偉そうにして権威主義的なレッスンをするピアニストも嫌っていました。

かなり昔に、『Monster and Angel』という本を執筆していますが、モンスター教師に対しては毅然とした態度をとっています。

シーモアは、地元の音楽大学のピアノ科の学生もプライベートなピアノ教師として教えていたようですが、そのうちの一人が、大学のピアノ教授から「才能がない」「そんなに下手くそでは音楽をやる資格がない」といったひどいことを言われて、シーモアのところに駆け込んできたことがありました。その生徒はレッスンを録音していて、シーモアに共有したようです。生徒を傷つける言葉を吐いた教授や、そもそもそのようなことが起きている現状に対して、シーモアは大学の学長に直接電話をしたり会いに行ったりして、問題を正すように抗議していました。

ピアノの練習は、幸せな人生をおくるための練習でもある

――シーモア・バーンスタインは、ピアノを練習する、音楽を学ぶことが人生に作用し、自己実現の道へつながるということを、『心で弾くピアノ』の序文で述べています。

また、氏のドキュメンタリー映画『シーモアさんと、大人のための人生入門』を監督した俳優のイーサン・ホークは、「シーモアのピアノ・レッスンは、人はいかに生きるべきかという奥深い教えに満ちている。彼のシンプルな生き方から学べることは、あまりに多い」と語っています。

シーモアのピアノ・レッスンを受けたことは、あなたの人生にどのような影響を及ぼしましたか?

シーモアのピアノ・レッスンを受けたこと、というよりも、シーモア・バーンスタインという一人の人間に出会ったことが、私の人生に大きな影響を及ぼしました。私はシーモアを、ピアノ教師以上の存在としてみていますし、おそらく彼に学んだ生徒の多く、彼の友人の多くが同じことを感じていると思います。実際、彼の弟子の皆さんも口を揃えて、「自分のメンターであり、家族であり、教師であり、友人であり、ヒーローであるシーモア」と表現します。

彼の生き方、哲学、音楽や人に向き合う姿勢、何歳になっても新しいことを学び続けるという姿勢に、人間として大きな感銘を受けました。こういうと、何か宗教のように感じられるかもしれませんが、人としてお手本になるような方と出会えたことを、私はとても幸運に思っています。なお、彼自身は厳格なユダヤ教徒である父のもとに生まれ、いろいろな考え方を強制されることに子供ながら違和感を感じ、一切の宗教的なものから距離をおいていました。

そもそも彼はピアノの練習を、幸せな人生をおくるための練習でもあると広く捉えています。『心で弾くピアノ』にも書かれている通り、音楽の演奏を練習するという行為は、「感情」「理性」「身体の動き」を統合する練習であり、これができるようになったら人生もうまくいく、という持論を持っていました。

考えてみれば、確かに人生においても、これらの3つを統合することがすべてといっても過言ではありません。人は「理屈」で理解はするが、「感情」が伴って初めて納得まで結びつきますし、さらには最終的に「行動」しなければ意味がありません。そのことを私は、ビジネスの世界ではもちろん、幅広く人生の指針として常に意識しています。

そして、もうひとつ。インターネットが世の中に普及した頃には、彼はすでに70代後半だったと思いますが、すでにメールを使いこなし、PCで作曲したり、YouTubeのアカウントを作ったりと、新しいことを次々とマスターしていきました。ある時、なんでそんなにITに強いのかと聞いたら、「音楽を勉強するのと同じように興味を持って勉強しただけ」と言います。「音楽であんなに複雑なことを理解して学んでいけるのに、なぜその他のことは勉強できないと思うのか?」と。これには「確かに」と思わざるを得ませんでした。この好奇心と、学び続ける姿勢にも、私は今でもたいへん影響を受けており、人生を豊かにしてくれていると感じます。

多くの人から「信頼と愛」という財産を得た 世界レベルでリッチな人生

シーモアの著書『人生をより美しく』の中に、「相手を理解するためには、目の前の人になること」というような記述があります。シーモアと知り合ってから何年も後に出版された本ですが、この表現を見つけて、「そういうことだったのか」と納得したのを覚えています。彼はほんとうにそれを実践している。私は本業では人事の仕事をしているので、なんでも人事関連の話と関連づけて考えてしまうのですが、こういうことを真の意味で実践できているリーダーは、いったいどれくらいいるでしょうか。

『人生をより美しく~シーモアさんとの対話―音楽、友情、家族、そして創造』(シーモア・バーンスタイン、アンドリュー・ハーヴェイ 著/小野山弘子 訳)

シーモアが語る音楽はいつも悦びにあふれている。真摯に音楽と向き合い、音楽を通じて「人として生きる」ことの通訳者となったシーモア・バーンスタインと出会う本。【坂本龍一(帯文より)】
各界で絶賛され、異例の大ヒットとなった米俳優イーサン・ホーク監督のドキュメンタリー映画『シーモアさんと、大人のための人生入門』に出演。「NYで最も人気のあるピアノ教師」バーンスタインと、同映画制作のきっかけを作った詩人ハーヴェイとの対話。バーンスタインが発する言葉は繊細で温かく、会った人、読んだ人、観た人、すべての人を魅了する。いかに生きるべきか――芸術に関心ある人の胸に刺さる1冊

彼はピアノ教師としてではなく、まず一人の人間として、私たち生徒のすべてを、それも生徒としてではなく一人の人間として受け入れてくれました。目の前の人に愛情と関心を持って接し、見返りを一切求めない、駆け引きも一切ない。自分ができる限りのすべてを与える。

ニューヨークという土地柄もあるのかもしれませんが、これまで彼が指導してきた若いピアノの生徒たちの中には、その後プロの音楽家になった人にとどまらず、世界的に活躍する建築家や医師、企業経営者など、各界で名を成した人材が何人もいます。彼らがどれだけ社会で影響力を持つようになっても、シーモアを人生の師と仰ぎ、彼の晩年はあらゆる場面で弟子ネットワークに助けられ、人生もさらに面白く豊かなものになったのではないかと思います。俳優のイーサン・ホークと出会ったのも、彼を顧客とする著名な医者がシーモアの弟子だったからです。そのイーサン・ホークも、シーモアと出会った夜に完全に魅了されてしまい、ドキュメンタリー映画を作る決断をしたくらいですから、シーモアの魅力がどれほど絶大なものであるかがわかります。

彼はとても質素な暮らしをしており、金銭的には決して豊かと呼べる方ではありませんでした。しかし、彼ほど「真の意味で」豊かな人は他にみたことがありません。周りからの信頼や愛情という資産という意味では、世界的なレベルでリッチな方でした。しかも、その「資産」は性別や国籍、世代を問わず豊かなので、簡単には真似ができないのですが、私の人生観に大きく影響しています。

シーモアの80歳の時のバースデー・パーティにて(ニューヨークのスタインウェイ・ホール)
お話を伺った人
和田真司
お話を伺った人
和田真司

小学生の頃、楽譜の読み方を自ら解明しながら、自己流でピアノを始める。レッスンを受け始めたのは13歳の頃。慶應義塾大学・経済学部に進学し、アマチュアのピアノ弾きとして海...

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