レポート
2026.09.17
海外クラシックNEWS~from ロシア

マリインスキー劇場で「変化」を描くムソルグスキーのオペラ上演 その意味する所とは

海外のクラシック界のニュースやコンサート、オペラ公演の様子を、現地在住の筆者がいちはやくお届け。今回は、8月のロシア・サンクトペテルブルクの音楽シーンから、マリインスキー劇場で上演されたムソルグスキーのオペラ《ホヴァンシチナ》をレポートします。

浅松啓介 Keisuke Asamatsu
浅松啓介 Keisuke Asamatsu

ロシア国立サンクト・ペテルブルク音楽院正規学部卒業。2008年からサンクトペテルブルク在住。サンクトペテルブルク、モスクワなど現地での演奏活動や取材を通じ、ロシア音楽...

マリインスキー劇場の《ホヴァンシチナ》から ©Mariinsky Theatre

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変化。ムソルグスキー作曲のオペラ《ホヴァンシチナ》は、まさに変化が訪れたときに、どんなことが起こるのかという世の常を描いている。

時代はサンクトペテルブルクを築いたピョートル1世への代替わりの際の政変のころ。1682年のフョードル3世の死去に伴い、ミロスラフスキー家(イヴァン5世を推す。銃兵隊を掌握し、その大将にホヴァンスキー公が就く)とナルイシキン家(ピョートルを推す)の争いが起きる。強い権力者(フョードル3世)の統制力が急に失われてしまったため、後継者争いを口実に両家が争うことになる。さらに、宗教上の改革もあいまって、変革を受け入れられなかった伝統的な古儀式派との闘争が並行して起こるのでややこしい。王位継承、政治権力、軍事力、宗教的な伝統という4つが同時に拮抗する形だ。

誰もが「これまでの秩序」が崩れていくことを感じながら、新しい秩序がどのようなものになるのかは誰にもわからない。だからこそ、それぞれの人物がみずから信じるものにしがみつき、権力を求め、あるいは過去に戻ろうとする。こうした、「変化」の時を普遍的に描こうとした作品が《ホヴァンシチナ》なのではないだろうか。

だから、このオペラが今シーズン(2025/26)最後のオペラに選ばれた(マリインスキー劇場第2ステージ。8月2日)ことは、現在の社会・政治情勢を意識していると見ることもできる。社会的に「変化」が避けられないものとして迫ってくるとき、人々は何を守ろうとするのか。誰が変化を主導し、誰がそれに抵抗するのか。300年以上前のロシアを描いたオペラ《ホヴァンシチナ》が、現在の世界にも不思議なほど生々しく響いてくるのは、偶然ではないように思われる。

マリインスキー劇場の《ホヴァンシチナ》から©Mariinsky Theatre

複雑に絡み合う「変化」に拮抗する人々の思惑は、今回の演奏の要だった。指揮のヴァレリー・ゲルギエフは、オーケストラをただ鳴らすのではなく、ムソルグスキーの音楽に潜む複数の声を際立たせた。とくに印象的だったのは、冒頭の「前奏曲〈モスクワ河の夜明け〉」。静かに広がる管弦楽は、これから始まる動乱を予告するというより、まだ秩序が保たれていた世界そのもののように響いた。アンサンブルの精緻さというような技術的な側面ではなく、電気が走ったように音が揃う。息が合う、というのともまた違った、ゲルギエフらしい統率によって緩急自在に描かれた音楽がそこにあった。それだけに、ストレリツィ(銃兵隊)の群衆が登場した瞬間の音楽的な対比が鮮烈だった。

《ホヴァンシチナ》では、群衆もまた一つの「登場人物」である。合唱を巨大な塊として処理するのではなく、熱狂、恐怖、酩酊、祈りといった感情の変化を細かく描き分けた。とりわけストレリツィの場面では、民衆のエネルギーがそのまま政治的な暴力へと「変化」していく様子が生々しく伝わってきた。

また、歌手陣では、マルファを歌ったエカテリーナ・セメンチュク(Ms)が圧倒的だった。強靭な声量を誇示するのではなく、低く抑えた声にも深い情念を宿し、アンドレイへの愛、裏切られた悲しみ、そして古儀式派の信仰心といった複雑な心情を描き切った。

ドシフェイのスタニスラフ・トロフィモフ(Bs)も、宗教的指導者でありながら政治的な野心を抱える人物の二面性を重厚に表現した。イワン・ホヴァンスキーのバクリ・カリチャヴァ(Bs)は、権力者としての威圧感と、酒や女に溺れる人間的な部分の両面でよい味を出していた。アレクセイ・マルコフ(Br)のシャクロヴィートゥイは対照的に、冷徹さが際立ち引き締め役となった。

終幕。古儀式派の信徒たちがみずから火に身を投じ、炎に包まれて消えていく。「変化」に抗い、過去の世界とともに滅びることを選んだ人々の姿である。「変化」を受け入れて先へ進むのか、はたまたこの終幕のように過去の伝統を選び滅びるのか。

聴衆がどのように捉えたかはわからない。しかし、このオペラに共感するものがあったことは、終演後の拍手とブラヴォーから明らかだったのではないか。

浅松啓介 Keisuke Asamatsu
浅松啓介 Keisuke Asamatsu

ロシア国立サンクト・ペテルブルク音楽院正規学部卒業。2008年からサンクトペテルブルク在住。サンクトペテルブルク、モスクワなど現地での演奏活動や取材を通じ、ロシア音楽...

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