日めくりオントモ語録/カルロス・クライバー
振りたいと思えば振る。そうでない時は振らない
―― カルロス・クライバー 「音楽の友」2018年7月号より
広渡勲氏の連載「マエストロを友とした日々 ――あるプロデューサーの伝記」より、伝説の指揮者カルロス・クライバー、1994年の来日公演《ばらの騎士》出演交渉の場面からひとこと。 普段は契約書にサインさえしない(つまり当日まで指揮台に現れるか解らない)ことで有名だったクライバーの口癖だったそうです。
広渡氏にとっては、クライバーとの交渉のために何度もウィーンとミュンヘンを行き来したり、著作権料で裁判になったりと苦労が絶えない公演だったようですが、最終的にはクライバー自身が終幕を指揮しながら涙ぐむほどの名演に。この日本公演が、カルロス・クライバー生涯最後のオペラ出演になりました。
カルロス・クライバー指揮 バイエルン歌劇場管弦楽団
R.シュトラウス 《ばらの騎士》 ~ 第3幕 三重唱「マリー・テレーズ!」 ~二重唱「夢なのでしょうか」
指揮者。1930年ベルリン生まれ。父親は有名な指揮者エーリッヒ・クライバー。ナチスに反発してアルゼンチンに亡命、そのとき名前をカルロスに改める。大学で化学を学ぶが、指揮者を目指し、無給の劇場指揮者から出発し研鑚を積む。66年エディンバラ音楽祭でベルクの『ヴォツェック』を振り絶賛を博す。精密かつ流麗な指揮により、以降ウィーン国立歌劇場をはじめ一流歌劇場に引っ張りだこになる。キャンセルも多く公演数は極端に少ない。2004年7月13日にスロベニアで病死。享年74。
福岡市出身。早稲田大学卒業後、東宝演劇部を経て㈱ジャパン・アート・スタッフに入社。佐々木忠次代表の下、NBSと東京バレエ団のオペラ・バレエ公演に制作統括責任者として関与し、これらの公演を通してクライバー、メータ、バレンボイム、ベジャール等の信頼を得て交際を深める。2000年にフランス政府から芸術文化勲章を受賞。現在は昭和音楽大学客員教授。
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