読みもの
2022.09.06

川口成彦の「古楽というタイムマシンに乗って」#4~「演奏家」という開拓者

第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールで第2位に入賞された川口成彦さんが綴る、「古楽」をめぐるエッセイ。同コンクール第2回が開催される来年10月まで続く、古楽や古楽器に親しみがわいてくる連載です。

川口成彦
川口成彦 ピアノ・フォルテピアノ・チェンバロ奏者

1989 年に岩手県盛岡市で生まれ、横浜で育つ。第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位、ブルージュ国際古楽コンクール最高位。フィレンツェ五月音楽祭や「ショパン...

藝大時代に開いたフォルテピアノ・リサイタル「ゴヤの生きたスペインより」でのインタビュー時の写真。楽器を復元した深町研太さんと

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世界は自分が知らないことで溢れている

「音楽で何でもいいから仕事がしたい!」と将来について少し焦っていた21歳頃から数年間、都内にある韓国系の教会の礼拝のピアニストの仕事をやっていた時期がありました。朝7時前から行なわれる礼拝だったので、朝が苦手な僕にとっては毎週日曜日は大変でしたが、それでも「音楽関係の仕事をしている」ということにどこか小さな自信を持ちながら続けていました。

韓国人が集うその教会では神様(アボジ)のために涙を流すことを想定して、信者の皆さまが座る席にはティッシュ箱がたくさん置かれていました。とにかく感情表現が激しいその教会の礼拝は僕にとっては異文化体験で、その光景を見ながら「世界は自分が知らないことで溢れかえっているんだろうな」とつくづく思いました。

この仕事では、礼拝の後に信者さんたちが作ってきてくれた韓国料理を食べられることが毎週の楽しみでした。「マシッソヨ!(おいしい!)」と言いたくなる食事だらけで、韓国料理がますます好きになりました。そしてある日、韓国料理レストランでメニューを見ながら「韓国料理ってこんなに色んな種類あるんだから、ビビンバとチヂミとトッポギだけで韓国料理を語っちゃ駄目だよな」とふと考えました。そして「だったら、同じようにハイドンとモーツァルトとベートーヴェンだけで古典派の音楽を語れるもんじゃないな」と思いました。

音楽の楽しみをひろげる古楽的思考

1770年頃のヴィオラ・ダモーレ

作品が生まれた当時のサウンドを追究して、当時のスタイルの楽器で演奏に取り組む「古楽」というものは、19世紀後半から注目されるようになったと言われています。そして数々の偉大な音楽家が名演奏や名録音を今日まで繰り広げ、古楽が音楽という再現芸術において非常に意味深いものだということが広く認識されるようになりました。

また近代における音楽の新古典主義の背景にも、古楽的思考からの影響は少なからずあったでしょう。バロック時代に広く親しまれていたヴィオラ・ダモーレのためにヒンデミットが作品を書いているように、昔の楽器のために新しく作品を書いた作曲家も多く見られます。

古楽は演奏に対するアプローチに留まらず、様々な演奏家によって「埋もれていた音楽作品の発掘」も積極的に行なわれてきました。昔の音楽を「ヒストリカルに」見つめ直すことは、当時の音楽文化についても深慮することであり、その中で今日では忘れ去られてしまった作曲家や作品に対して光を当てる必要性が生じることは自然なことです。

中にはモダン楽器で演奏するとなんだかつまらないけど、当時の楽器で演奏すると驚くほど面白い作品も多々あります。ほとんど演奏されないような作品の楽譜を手に入れた時には、「今現在、この芸術作品をもしかして世界で僕しか知らないのではないだろうか……」という、なんとも贅沢な妄想に身を置くこともしばしば。すると「この作品を世の中に向けて紹介したい!」という一演奏家としての責任感のようなものが生じることもあります。

古典派はハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンだけでは語れない

J. S. バッハの息子たち:左からW.F.バッハ、C.P.E.バッハ、J.C.バッハ、J.C.F. バッハ

古楽の世界に足を踏み入れたことで、自分にとって身近になった作曲家は数多くいます。W.F.バッハ、C.P.E.バッハ、J.C.バッハ、J.C.F. バッハといったJ.S.バッハの息子たち、クレメンティやドゥシーク、フィールドなど古典派からロマン派の移り変わりの時期におけるドイツ語圏外の重要な作曲家たち、ヘラー、タールベルク、アルカン、クララ・シューマン、ファニー・メンデルスゾーンなどショパン、ロベルト・シューマン、リストの時代に華を添えた天才たちなどなど、ここでは列挙しきれません。

そして彼らとの出会いは、僕の中の音楽世界をさらに広げてくれました。そういった作曲家を知ることで、今日一般的に「主要」とされる作曲家に対する見方も変わり、「主要」作曲家への理解や興味が自分の中で以前よりも深まるようになりました。

それは、 Aという事象を知るにあたり、Aだけを見つめていては知り得ないこともあるということです。Bという別のものを知ることで、新しく浮き彫りになるAの側面というものは必ずあると思います。

ハイドンとモーツァルトとベートーヴェンだけで描かれる古典派というのは、結局ドイツ語圏の古典派音楽であり、それだけで「西洋」芸術音楽における古典派を総括してしまうのは、「アジア=日本」と言い切ってしまうのと同じだと僕は思います。

確かにこのウィーン古典派の作曲家たちは偉大過ぎる存在です。しかしながら、僕は自分自身が義務教育での音楽の教科書で触れたような「ドイツ語圏外の音楽は、19世紀にいわゆる『国民楽派』が芽生えることで発展する」というようなドイツ中心的な音楽史の理解は、真実とはかけ離れていると思っています(今日の教科書がどうなっているかは知りませんが)。

僕は高校生の時にイサーク・アルベニスの《イベリア》を知ってから、スペイン音楽の熱狂的なファンです。一般的に享受されているスペイン音楽はD.スカルラッティやソレール以降に空白の100年を経て、アルベニスやグラナドス、ファリャなどの近代作曲家へと飛躍します。

しかし僕はスペイン音楽が大好きなあまり、この「空白の100年」を知りたくて仕方がなくなり、学生時代に「空白の100年」の作曲家の楽譜やCDの収集を積極的に行なっていました。

そして好奇心に駆り立てられて新しく知ることができたスペインの古典派やロマン派の作品は、スペイン固有のオリジナリティに溢れるものだらけで、「やはり古典派をハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンだけで語ってはいけない」ということを、西洋芸術音楽に専門的に関わっている身として強く感じました。

スペイン音楽でフォルテピアノ奏者として日本デビュー!

「ゴヤの生きたスペインより」のチラシ(2014年のゴヤの誕生日の公演)

僕の未知なるスペイン音楽への興味は、藝大時代に「ゴヤの生きたスペインより」というフォルテピアノのリサイタルで一つの実を結びました。アルベロ、アングレス、ソレール、ブラスコ・デ・ネブラ、ロペス、マテオ・アルベニス、フェレール、アリアーガの作品を、今は無き JT アートホール アフィニスにて演奏しました。

楽器は1800年頃のブロードウッドの、深町研太さんによる復元楽器を使いました。フォルテピアノ奏者としての日本デビュー公演!というつもりで自主企画した演奏会で、準備から本番まで無我夢中でした。特に解説を書き過ぎた分厚いプログラムを約200部製本するために、公演数日前の夜にホッチキスで独りパチンパチンとしたことが今でも記憶に焼きついています。

そのホッチキスのせいで手を痛めたのですが(笑)、演奏会はなんとか無事に終わり、大切な思い出となりました。この演奏会は、秋葉原通り魔事件の被害者となられた藝大生の故・武藤舞さんのご遺族の方が設立した基金の助成を受けて開催することができました。関係者の皆様には、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

この演奏会で今でも嬉しく覚えていることは、終演後、普段クラシックをあまり聴かないような友人から素直に「めっちゃ楽しかった!」と言ってもらえたことです。その言葉がお世辞だったか本当だったかについての考察はさておき、クラシックをよく知る人に「マニアック」と認識されそうな公演も、それがマニアックか否かの判断基準さえない人にとっては、案外シンプルに楽しめるものなのかもしれないと考えるきっかけとなりました。

「マニアック」という勝手な認識で作曲家や作品を遠ざけているのは、結局は今日のクラシックに精通した人たち自身であり、結果的に“忘れ去られた”作品や作曲家の中には実は面白いものがたくさん眠っているものです。そういったものを知ると、世界は自分が知らないことで溢れ返っているのだと思い知らされます。

古楽コンクールでも求められる開拓者精神

ショパンの師ユゼフ・エルスネル(1769-1854)

ところで、古楽のパイオニアの人たちから今日の古楽器奏者にも受け継がれているレパートリーの「フロンティア(開拓者)精神」は、古楽のコンクールにおいても若い奏者に求められているものです。

長い歴史を持ち、さまざまな演奏家を輩出してきたブルージュ国際古楽コンクールでも、埋もれた作品への興味関心や音楽文化への歴史的興味が問われることがあります。僕が賞をいただいた2016年のセミファイナルでも、「誰も知らないような作品」をプログラムに組み込むことが求められ、僕はスペインのテイシドールのソナタを弾きました。審査員の誰もが知らなかった作品で、僕がファイナルに進めた一つの要因になったのではと思っています。

2018年から始まった「ショパン国際ピリオド楽器コンクール」でも、一次予選でクルピンスキ、オギンスキ、エルスネル、シマノフスカといったショパンより前に生まれたポーランド作曲家の作品の演奏が求められています。2023年に開催される第2回においても同様で、ショパンの祖国の音楽文化への広い興味が参加者に求められているように思います。

新しいレパートリーという宝物を共有したい

スペインの作曲家マルシアル・デル・アダリッド(1826-1881)

新しいレパートリーの開拓は、モダン楽器の演奏家によってももちろん積極的に行なわれています。近年では、ピアニストの福間洸太朗さんが「レア・ピアノミュージック」というプロジェクトを遂行され、あらゆるピアニストがこのプロジェクトの下で一般的には広く知られていない作品を演奏して、知られざるレパートリーの面白さを発信しています。

僕自身も9月25日に「スペインの愛と神秘」をテーマにグエルベンツ、マラッツ、ウサンディサーガ、オコン、アダリッドの演奏を配信させていただきます! 今からとても楽しみです。

音楽文化は今後も未来に向かって絶えず変わっていくものです。その中で演奏家は、レパートリーを開拓する重要な役割を担っています。そして秘密の宝物を自分だけのものにせず、多くの人と共有できる喜びは、多くの演奏家にとって幸せの一つではないかと思います。

ずっと日の目を見ないでいた作品が遂に人々の鼓膜に触れるというのは、なんと奇跡的な瞬間でしょうか。世界中でそんな瞬間がますます増えていきますように!

川口成彦
川口成彦 ピアノ・フォルテピアノ・チェンバロ奏者

1989 年に岩手県盛岡市で生まれ、横浜で育つ。第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位、ブルージュ国際古楽コンクール最高位。フィレンツェ五月音楽祭や「ショパン...

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