読みもの
2022.10.10

川口成彦の「古楽というタイムマシンに乗って」#5~左手は音楽を育む豊かな大地

第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールで第2位に入賞された川口成彦さんが綴る、「古楽」をめぐるエッセイ。同コンクール第2回が開催される来年10月まで続く、古楽や古楽器に親しみがわいてくる連載です。

川口成彦
川口成彦

1989 年に岩手県盛岡市で生まれ、横浜で育つ。第 1 回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位、ブルージュ国際古楽コンクール最高位。フィレンツェ五月音楽祭や「ショ...

大学時代からの友人である鈴木舞さんとの「モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会シリーズ」(渋谷美竹サロン)より

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アンサンブルは心の対話

ピアニストはひとりでも音楽ができてしまうし、膨大なレパートリーを生涯かけて探求できて、本当に幸せな存在だと思います。けれど音楽の楽しみは、ピアノ独奏曲を弾くような「一人芝居」の世界だけではなく、自分とは違う人間との「アンサンブル」にもあり、アンサンブルを通して複数の人間が一つの作品を作り上げることには、人間という生き物の美しい部分が凝縮されているようにも感じます。

初めてベートーヴェンの「交響曲第9番」をコンサートホールで聴いた時は、鳥肌が立ちました。合唱と管弦楽の皆さん、声楽のソリスト、指揮者、彼らが一丸となって作り上げる喜びに溢れた賛歌に触れた時、人間というものの素晴らしさに感動を抑え切れませんでした。そんな感動で胸がいっぱいになった時は、人間の美しい心だけが満ち溢れた世界になればいいのになぁ……と少し切なくもなりますが。

東京藝術大学の楽理科時代、僕は声楽の伴奏をはじめとして弦楽器、管楽器、さらには打楽器まで色々なアンサンブルの機会を友人たちからいただきました。「ピアノ科が忙しそうだから」ということで、ピアノが弾ける楽理科の学生にはレッスンの伴奏の依頼が舞い込みやすく、僕もその恩恵をかなり受けて、アンサンブルの貴重な経験をたくさんさせてもらいました。

アンサンブルは音を通じた人間同士の心の対話だと思いますが、練習の時には自分たちが取り組んでいる作品についてディスカッションするだけでなく、音楽以外のプライベートなことを語りあったりもしました。ひとり黙々とピアノを練習しているのとはまるで違う、人間同士のコミュニケーションがアンサンブルの現場にはあり、その一つひとつが素敵な思い出となっています。

アドルフ・フォン・メンツェル作画「無憂宮におけるフルート演奏」:フルートを演奏するフリードリヒ大王と、その伴奏をするC.P.E.バッハを描いている

「通奏低音」を知ってアンサンブルの世界が広がった

さて、鍵盤楽器奏者にとってアンサンブルの形態は色々ありますが、「通奏低音(Basso Continuo)」というものを知ってからは、自分の中でアンサンブルの世界が広がっただけでなく、音楽の重要な核の一つについて深く考えられるようになりました。

通奏低音というのは、バロック音楽や古典派の時代に見られた伴奏形の一つで、端的に言えば、音楽作品の土台となるバス声部の旋律線のことです。その役割を担うのは鍵盤楽器、リュート(※)やギターなどの撥弦楽器(※)、チェロやヴィオローネ(※)、ファゴットなどの低音楽器です。

※リュート:ヨーロッパで中世から18世紀にかけて用いられた撥弦楽器。アラビアの楽器ウードを祖先とし、中世にイベリア半島を経由してヨーロッパに伝播したと考えられている(下の図左の3)

※撥弦楽器:指またはピックなどで弦をはじいて鳴らす楽器

※ヴィオローネ:コントラバスの直接の祖先であるコントラバス・ガンバのこと(下の図右の4)

16~17世紀の演奏習慣や楽器についての、古楽器奏者にとって重要な文献のひとつ、プレトリウス『音楽大全』より。リュート属を中心に紹介したページ

通奏低音の楽譜には、そのバスの旋律線の上に和音の構成音を示す数字が書かれていることがあり、それは「数字付き低音」と呼ばれます。低音楽器は記譜された音だけを弾きますが、鍵盤楽器やリュートやギターのように一人で和音を奏でられる楽器の奏者は、通奏低音譜を見ながら即興的に和音付けをしていきます。そのとき、和音の構成音すべてをバスと同時に弾くだけではなく、和音の一部の音を弾く場合もあるし、和音を分散させて弾くこともあります。

特にチェンバロのように、音量を指のタッチでは基本的に変えることができない楽器では、音数を調整しながら和声進行の色合いの変化を出したり、和声のキャラクターに応じて分散させて弾く速度を変えたりします。また和音の構成音を弾く順番を自在に変化させて、和音の響きの微妙なニュアンスを出したりすることもあります。その他にも様々な表現のしかたがあり、強弱が自由につけられるピアノで通奏低音を弾く時にも、チェンバロの表現方法はとても有効です。

和声は大地であり、旋律は花や草木のようなもの

鍵盤楽器や撥弦楽器で本当に上手い通奏低音奏者の演奏は、もうその人だけで作品が十分に完結してしまうほどです。極論を言えば、本当に上手い通奏低音奏者は、和声を鳴らさなくてもバス声部のみで、作品のすべての情報を内包できてしまうと思います。

通奏低音を弾くようになってから、音楽の土台となるバス声部がいかに重要かをさらに強く感じるようになりました。バスの重要性は、通奏低音の時代であるバロックや古典派に限らず、あらゆる西洋芸術音楽に当てはまります。主旋律やそれに準じる旋律は、バス声部とそこに内包される和声の移ろいをベースにした副次的なものだと言ってもいいくらいです。

少なくとも調性音楽において、和声進行がなければ音楽は成立しません。旋律楽器による無伴奏作品でさえ、演奏者は実際に和音を奏でられなくても、自分が奏でる旋律の背景に和声の移ろいを感じなければなりません。さもないと演奏が無表情になってしまいます。

一部の現代音楽や一部の民族音楽を除いて、あるいは「あえて和声感をぼやけさせて無表情にする」という特殊な演奏アプローチを除いて、基本的にいかなる旋律も和声からは逃れられないでしょう。和声は大地であり、旋律はその大地に根を下ろす花や草や木のようなものです。

ベルギーの古楽器演奏家、シギスヴァルト・クイケンによるアンサンブルの特別レッスンの様子。アムステルダム音楽院にて

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