
ファジル・サイがマッジョーレ湖畔のストレーザ・フェスティヴァルで自作を熱演

海外のクラシック界のニュースやコンサート、オペラ公演の様子を、現地在住の筆者がいちはやくお届け。今回は8月のイタリアにおける、ストレーザ・フェスティヴァルからのレポートをお届けします。

東京生まれ。明治大学文学部を卒業後、1983年からイタリア在住、ピアチェンツァのG・ニコリーニ音楽院声楽科を卒業。30年以上前に『音楽の友』への執筆を始め、現在にいた...

1941年12月創刊。音楽之友社の看板雑誌「音楽の友」を毎月刊行しています。“音楽の深層を知り、音楽家の本音を聞く”がモットー。今月号のコンテンツはこちらバックナンバ...
マッジョーレ湖畔を会場として6月半ばから9月初めまで行われるストレーザ・フェスティヴァルでは、8月以降がクラシック音楽のプログラムとなっている。イヴェントの種類によってさまざまな会場が充てられるが、オーケストラが舞台に上がれるのはストレーザのコングレス・ホールのみで、今回聴いたコンサートもこのホールで行われた。出演はピアニストのファジル・サイとスイスのバーゼル室内管弦楽団、指揮はバル・アヴニ。
コンサートは8月19日に前述のホールで行われ、ほぼ満員の盛況だった。プログラムは2部に分かれ、第1部はハイドン「交響曲第39番」ト短調、続いてファジル・サイの自作自演《動く家》。第2部はモーツァルト「《偽りの女庭師》序曲」、ショスタコーヴィチ「ピアノ協奏曲第2番」ヘ長調作品102。開演前のピアノ調律が長引いたためか、開演時刻を多少過ぎてからオーケストラが入場して開演となった。
ハイドンの交響曲は、第1楽章が若干控えめというか、オーケストラの調子がいま一つという印象だったが、曲が進むにつれてだんだん調子が上がっていき、これが本来の姿であろうと思われた。プログラム上もこの曲が当夜の本命でないことはわかっているので、とくに不満は覚えない。

続いて待望のファジル・サイが登場。《動く家》は彼が2017年に書いた曲で、現代トルコの祖と言われるムスタファ・ケマル・アタテュルクのヴィラからインスピレーションを得たという。大統領であったアタテュルクが1930年、このヴィラの傍らにあったプラタナスの木を切るのを避けるため、ヴィラを数メートル移動させたという逸話に基づいている。
会場で渡されたパンフレットの説明によれば、この曲にはピアノ独奏、ピアノと弦楽四重奏、ピアノと弦楽オーケストラといういくつかのヴァージョンがあり、当夜演奏されたのはこの最後のヴァージョンであった。
サイのピアノは変幻自在というか、目まぐるしく変わるスタイルで聴衆を惹きつけたが、アヴニの率いるオーケストラも見事に共演しており、かなり綿密なリハーサルを行っていたのだろうと感じた。サイにとっては自身の作品だから強い表現力は当たり前だが、オーケストラも彼に劣らず曲にはまり込んでいる様子で、一所懸命弾いているというよりは、むしろ彼らも楽しんでいる、という印象を受けた。
同様のことは第2部のショスタコーヴィチの演奏にもあてはまり、最後まで熱のこもった演奏は、終演後の盛大な拍手を呼び起こした。見たところ平均年齢の比較的若そうなオーケストラのメンバーの晴れやかな表情にも、彼らの満足度が現れていたように思う。
大喝采のあとのアンコールはサイの独奏で、ガーシュウィン《ポーギーとベス》から有名な〈サマータイム〉の主題による変奏曲、というより〈サマータイム〉のテーマによる即興だろう。サイの特徴として《動く家》もこのアンコールもそうだが、あるジャンルから別のジャンルへ自由に行き来できるパフォーマンスは聴いていて心地よい。
アンコールの間、指揮者のアヴニは指揮台の近くの椅子に座って聴き入っていたが、この光景は彼女とオーケストラの関係を端的に表しているようだった。彼女のエネルギッシュな指揮は若い楽員たちをぐいぐい引っ張っていき、そこに生まれる一体感を聴衆と共に楽しむというのが、当夜の会場で得られた成果であった。
なお、このフェスティヴァルのイヴェントを鑑賞しに来て必ずといっていいほど見かけるのが、フェスティヴァルの芸術監督であるマリオ・ブルネロである。彼自身が著名で多忙なチェリストでありながら、時間を割いて、できるだけイヴェントに顔を出すという姿勢は敬意に値する。スタッフと気さくに話す姿を見ると、このフェスティヴァルの性格をよく示していると納得する。





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