レポート
2026.08.18
海外クラシックNEWS~from アメリカ

フィリップ・グラスの米国独立宣言250周年を記念した新交響曲が、タングルウッドで初演 

海外のクラシック界のニュースやコンサート、オペラ公演の様子を、現地在住の筆者がいちはやくお届け。今回はアメリカの7月の音楽シーンから、ボストンの話題を中心にお届けします。

取材・文
小林伸太郎 Shintaro Kobayashi
取材・文
小林伸太郎 Shintaro Kobayashi 音楽ライター

ニューヨークのクラシック音楽エージェント、エンタテインメント会社勤務を経て、クラシック音楽を中心としたパフォーミング・アーツ全般について執筆、日本の戯曲の英訳も手掛け...

音楽の友 編集部
音楽の友 編集部 月刊誌

1941年12月創刊。音楽之友社の看板雑誌「音楽の友」を毎月刊行しています。“音楽の深層を知り、音楽家の本音を聞く”がモットー。今月号のコンテンツはこちらバックナンバ...

カレン・カメンセク(右)指揮ボストン響は、ザッカリー・ジェイムズ(左)をソリストに、ケネディ・センターでの初演撤回で話題となったグラスの新作「交響曲第15番《リンカーン》」を初演した(7月5日、タングルウッド)©Hilary Scott

この記事をシェアする
Twiter
Facebook

今年の1月、フィリップ・グラスがワシントンD.C.のケネディ・センターで2026年6月に予定されていた自作の「交響曲第15番《リンカーン》」世界初演を撤回した。ナショナル交響楽団が演奏する予定だったが、そのニュースはトランプ政権に対する芸術的な抗議として大きな注目を集めた。「交響曲第15番」は米国第16代大統領エイブラハム・リンカーンのポートレイトであり、トランプ大統領がみずからを会長に据えた今日のケネディ・センターは、曲のメッセージと直接的に対立するというのがその理由であった。

現行のリーダーシップ下におけるケネディ・センターでの初演撤回は「義務」だとグラスは語っているが、同曲は、ケネディ・センターが米国独立宣言250周年を記念して企画した「250 Years of Us(私たちの250年)」プログラムの中心的作品として構想されたものだった。その撤回は同センターにとって打撃であったはずだが、同センターは撤回を政治的動機によるものだと批判しながらも、それ以上深入りすることはなく、トランプ政権のアート全般に対する関心の浅さを印象づけた。いっぽう、ケネディ・センターの混乱に揺れるナショナル交響楽団は、「フィリップ・グラスへの深い敬意」を表明するとともに、グラスの決断は驚きであったと述べた。

こうした状況のなか、ボストン交響楽団は今年3月、グラス「交響曲第15番」の世界初演を同響の夏の音楽祭であるタングルウッドにおいて、7月5日に行うと発表した。ジョン・ウィリアムズ作曲の映画『リンカーン』のための音楽の抜粋(2012年)、コープランド《リンカーンの肖像》(1942年)も演奏されるこのコンサートを実現するため、タングルウッドは7月4日前後に組んでいた独立宣言250周年関連の一連のプログラムの日程を、1日延長したという。

はたして7月5日、タングルウッド最大の会場シェドで行われた演奏会は、グラス作品のヴェテランであるカレン・カメンセクの、グラスの語法を把握した明快な指揮、リンカーンのテキストを歌唱・朗誦したバス、ザッカリー・ジェイムズのまさにアメリカ的と言いたくなるおおらかで威厳のある声に支えられ、観客の大喝采を浴びるものとなった。演奏終了後の舞台に登場したグラスも、89歳にして足腰の衰えが心配ではあるものの、温かな歓声に手応えを感じたに違いない。

リンカーンの演説など、その言葉を全8楽章に引用した本曲。アメリカの民主主義や自由の最大の敵は外国ではなく、国内の法軽視や暴徒化であると警告したライセウム演説からゲティスバーグ演説、そして大統領再選後に行った就任演説における奴隷制、戦争、和解についての省察などの言葉は、2021年から23年の作曲時とは異なる重みをもって響く。

グラスの音楽はそれらのスピーチを音楽劇化するというより、共通したフレームを与えることでエモーショナルかつ哲学的な意味合いを伝えることに心を砕いたように感じられる。それは、グラスを特徴づけるミニマリスト的、反復的で催眠的なサウンドを、あたかも映画音楽のように静かなものとしているかもしれない。テクスチャーに劇的なコントラストを求めないところが、グラスのいわば職人芸ということなのだろう。

休憩後のジョン・ウィリアムズ、アーロン・コープランドの作品(アレック・ボールドウィン朗読)は、リンカーンに託したアメリカのノーブルな精神性を疑いもなく賛美するような色彩が、さらに濃くなった。とりわけ喝采を浴びたトランペット・ソロをはじめとする金管楽器の響きにはイノセンス、そして場合によってはイグノランスを露呈するアメリカの危うさを感じずにはいられなかった。

フィリップ・グラス(中)、ザッカリー・ジェイムズ(左)、カレン・カメンセク(右)© Hilary Scott
舞台に上がったフィリップ・グラス(中)。左はバスのザッカリー・ジェイムズ、右は指揮のカレン・カメンセク(7月5日、タングルウッド)© Hilary Scott

ボストン響の楽団員と理事会・CEOの軋轢が表面化

ボストン交響楽団は、今年3月に音楽監督のアンドリス・ネルソンスの契約を2027年のタングルウッド・シーズンを最後に更新しないと発表して以来、その決定には団員の意向が反映されていないとする楽団員側と、理事会・CEO側との軋轢が表面化している。7月半ばにはボストンの有力紙が、組織内部の対立を詳細に追ったレポートを発表した。

ボストン響は(結果的に市から施設を借り受ける形を取るニューヨーク・フィルハーモニックなどと異なり)シンフォニー・ホールとタングルウッドをみずから所有しており、その維持費が経営を圧迫していること、またロサンゼルスから着任した新CEOが具体的なヴィジョンを描き切れずに進める、ネルソンスをはじめとする人事刷新をふくむ「多様性」などを掲げた「改革」に、楽団員が混乱していることがうかがえる。

給与水準でも全米トップクラスのオーケストラであるボストン響。財政危機が恒久的なものとなり、旧来のビジネスモデルが頭打ちとなる米国オーケストラ界にあって、突破口を開けることになるのか、今後の動きが注目される。

取材・文
小林伸太郎 Shintaro Kobayashi
取材・文
小林伸太郎 Shintaro Kobayashi 音楽ライター

ニューヨークのクラシック音楽エージェント、エンタテインメント会社勤務を経て、クラシック音楽を中心としたパフォーミング・アーツ全般について執筆、日本の戯曲の英訳も手掛け...

音楽の友 編集部
音楽の友 編集部 月刊誌

1941年12月創刊。音楽之友社の看板雑誌「音楽の友」を毎月刊行しています。“音楽の深層を知り、音楽家の本音を聞く”がモットー。今月号のコンテンツはこちらバックナンバ...

ONTOMOの更新情報を1~2週間に1度まとめてお知らせします!

更新情報をSNSでチェック
ページのトップへ