読みもの
2020.08.21
8月の特集「吹奏楽!」

吹奏楽の神さま、アルフレッド・リード——芸術性と親しみやすさを備えた名曲の数々

吹奏楽の世界では知らない者はない、アメリカが生んだ作曲家アルフレッド・リード。「吹奏楽作曲家」としての意外なデビュー秘話や、本国アメリカと日本での受容の歴史をアメリカ音楽の専門家である谷口昭弘さんが紹介してくれました。胸が熱くなる名曲の数々をどうぞ!

谷口昭弘
谷口昭弘 フェリス女学院大学音楽学部教授

富山県出身。東京学芸大学大学院にて修士号(教育)を取得後、2003年フロリダ州立大学にて博士号(音楽学) を取得。専門はアメリカのクラシック音楽で、博士論文のテーマは...

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吹奏楽の神さま! アルフレッド・リードの誕生

アルフレッド・リード (1921-2005)は吹奏楽の分野で(マーチング・バンドの作品まで含めると)250曲近くの作品を残したアメリカの作曲家です。また1985年以降は毎年来日し、プロ・アマ吹奏楽団の客演指揮やクリニックでの指導、CDの録音もしたりと、日本との縁も深い人でした。彼の人柄の良さは有名で、初来日の際に行なわれた高校生とのインタビューでは、時間に追われて質問に困っている生徒たちにリード自身から質問を投げかけたり、地方の演奏会では、会場が閉まっても最後の一人までサインに応じていたというエピソードが残っています。

そんなリードといえば、まるで吹奏楽曲を書くために生まれて来たようなイメージもあります。ところが彼は、最初から吹奏楽一筋ではありませんでした。個人でトランペットやコルネットを10歳から習い始め、中学ではオーケストラ、高校ではスクール・バンドに所属していたものの、時はジャズ黄金時代。学校の外では気の合う仲間と4〜5人の「ジャズ・バンド」を組んでいました。その実力は、夏休みにリゾート・ホテルの演奏でギャラをもらう、いっぱしのプロだったのです。

リードが本格的に吹奏楽と関わるようになったのは、第二次世界大戦中に陸軍航空隊バンドに入ってから。17歳から一応作曲の手ほどきは受けており、1940年に放送オーケストラで自作が発表された経験はあったとはいえ、吹奏楽のノウハウは現場での叩き上げだったリードですが、1944年の12月、23歳の彼に、軍楽隊のための15分あまりの作品を書く機会が突然やってきます。しかも演奏会までは15日あまり。そんなリードが不安を振りきって、11日間で書き上げたのが初期の代表作《ロシアのクリスマス音楽》でした。

この曲は戦後高く評価され、出版の話もあったのですが、当初は難しくて長すぎるとされて実現しませんでした。吹奏楽はまだオーケストラの代替物のように見られたり、行進曲を演奏する媒体だと蔑まれることもあり、スクール・バンドといえば編成も一定ではなく、そこに芸術的な作品をねじ込むのは難しかったのかもしれません。

ロマン派の伝統を継ぎ、吹奏楽に親しみやすさと芸術性を与えた作曲家

しかし、戦後は学校教育、特に大学の中で吹奏楽の芸術性が認知され、独自の演奏媒体としても注目されていきます。ウィリアム・シューマン (1910-1992)やヴィンセント・パーシケッティ (1915-1987)といった作曲家たち、あるいはフレデリック・フェネル (1914-2004)といった指揮者などが、こういった流れを進め、新しい芸術的な吹奏楽作品が生まれる土壌はできつつありました。

ウィリアム・シューマン: 吹奏楽のための『ジョージ・ワシントン・ブリッジ』(1950)

ヴィンセント・パーシケッティ: 吹奏楽のための『ディヴェルティメント』(1950)

フレデリック・フェネルと、彼が1952年に創設した世界初の吹奏楽団であるイーストマン・ウィンド・アンサンブルによるストラヴィンスキー『管楽器のサンフォニー』

一方のリードといえば、プロの作曲家になることを志してジュリアード音楽院に学んだあと、放送業界で働いたり出版社で編集を勤めたりしています。作曲活動としてはミュージカルや映画音楽、バレエ音楽の仕事をし、吹奏楽に関してはオリジナル作品だけでなくディズニー・ミュージックをアレンジしたこともあります。ただ現在の我々が知るようなリードの傑作群が次々と発表されるようになるのは、1965年にマイアミ大学で教鞭を取るようになってからといえるでしょう。

リードは人気曲を数多く発表していますが、当時マイアミ大学には中学生以下をターゲットにして作曲していた同僚がいたため、リード作品のほとんどは高校・大学のバンドを念頭に書かれました。傑作が多く生み出された背後には、親しみやすさと芸術性を兼ね備えた作品を演奏できる若き演奏者の存在と、彼の作品の方向性がぴったり合った、ということがありそうです。

また、アメリカの吹奏楽の作曲家の中では、例えば(本国では演奏される機会に恵まれる)前述のW・シューマンやパーシケッティがさっぱりとしたモダンな響きをもつのに対し、リードは19世紀ロマン派の伝統を保持しているところにも、彼の作品が日本で親しまれる要因があると思われます。

《アルメニアン・ダンス》だけじゃない! 珠玉の名作の数々

日本におけるリードの人気というのは多くの米国作曲家がうらやむものでしょう。一人の作曲家の4~5枚の組物CDが容易に入手できる20世紀米国吹奏楽作曲家というのは、リード以外に思い当たりません(スーザを20世紀の作曲家とすれば別ですが)。

そんな彼の作品の中では、特に《アルメニアン・ダンス》パート1・パート2(1972、1975) が広く演奏され、聴かれています。委嘱をしたイリノイ大学の指揮者がアルメニア出身で、その演奏は民族色豊かでした。最後の部分も4分音符=138のテンポでしたが、日本では華やかなサウンドを楽しむショーピースになり、吹っ切れるようなフィナーレが印象的です。

本国で発表当時から人気がある曲はコンサート・オープナーとして知られる《音楽祭のプレリュード》(1957)です。しっかりとした構成力をもった作品で、開放的な気持ち良さに溢れています。

スペインの熱い血がたぎる『エル・カミーノ・レアル』(1985)や、ラテンのリズムの香り高い第2組曲『ラティーノ・メキシカーナ』(1979) など、リードの引き出しの広さにも感心させられます。

またリードはワーグナーに影響を受けたためか、彼の音楽には劇的な表現に富んでいます。『”ハムレット”への音楽』(1971) や『オセロ』(1977) には、スケールの大きさとは裏腹に、悲劇的な結末が必然的に用意されており、吹奏楽曲のステレオタイプ的「急-緩-急」の構成を脱した味わい深さがあります。

よりシリアスにリードを捉えるのであれば、出版に漕ぎ着けるまでに時間がかかりつつ、バンド指揮者のあいだでは初演以来、高い評価がなされてきた処女作の《ロシアのクリスマス音楽》(1944; 1946・1968改訂) や、音列技法も取り入れた交響曲第2番(1977) などが聴き応えある作品です。

死の前年、自作『春の猟犬』を日本で指揮するアルフレッド・リード(ミュゼ・ダール吹奏楽団)

谷口昭弘
谷口昭弘 フェリス女学院大学音楽学部教授

富山県出身。東京学芸大学大学院にて修士号(教育)を取得後、2003年フロリダ州立大学にて博士号(音楽学) を取得。専門はアメリカのクラシック音楽で、博士論文のテーマは...

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