
ピョートル・アンデルシェフスキのピアノ・レッスン~次世代へ伝える「音楽のメチエ」

現代のもっとも優れたピアニストの一人、ピョートル・アンデルシェフスキがスイス・ローザンヌ高等音楽院でマスタークラスを行ないました。「私は人生において、次世代に何かを伝えるべき時期に差し掛かったと感じています」と語る氏のレッスンとは、いったいどのようなものなのでしょうか。そのレポートとともに、現在の心境を語るインタビューもお届けします。
温かく寄り添い、作品の本質へ導くレッスン
深い思索と共に作品と一体化し、聴き手を独自の地平へと導くピアニスト、ピョートル・アンデルシェフスキ。氏の「教師としての顔」を知る人は、まだ少ないのではないだろうか。昨年12月8、9日、スイス・ローザンヌ高等音楽院にて開催されたマスタークラスは、若いピアニストたちに温かく寄り添いつつ、限られた時間の中にも彼らの感性と音響感覚にインパクトを与える、実に充実した2日間であった。
アンデルシェフスキはただちに受講生のポテンシャルを見抜き、彼らの思考と聴きかたを整理しながら、作品の本質へと導いていく。的確な技術面の助言から、指づかいのアレンジに至るまで、そのサポートは実に細やか。ピアノ特有の打楽器性から解き放たれることはピアニストにとって大きな課題だが、レッスンの過程で10人それぞれの受講生の演奏がふくよかさを増していく様子には感嘆させられた。
ハイドン「ソナタ第62番」変ホ長調 Hob.XVI.52、ベートーヴェン「ソナタ第26番《告別》」 変ホ長調 op.81 a、モーツァルト「ソナタ第3番」変ロ長調 K281、「協奏曲第12番」イ長調 K414(協奏曲のレッスンでは、アンデルシェフスキ自身が第2ピアノに向かうという贅沢さ!)、ショパンのバラード、エテュードなどの作品を通して、アンデルシェフスキは二次元の景色を三次元に立ち上げ、直線をつややかな楕円に変容させ、歌を引き出していく。またふんだんに聴かせてくれる演奏の、なんと情感に溢れ、生き生きとのびやかなこと。

一緒に弾くアプローチで緻密な音楽像をシェア
東京藝術大学ピアノ科を経て、現在同音楽院で研鑽を積む清水陽介さんは、モーツァルト「ソナタ第14番」 ハ短調 K457を、ドラマティックかつ表情豊かに演奏。レッスンが進むに従って、音楽の構築美がさらにクリアになっていった。
「哲学的な内容のレッスンを想像していたのですが、とても具体的な指導でした。終始穏やかに彼の考えを提案するスタイルで、しかも明晰に詳細に説明され、ご自身の中に緻密に確立された音楽像をシェアしてくださっていると感じました。独特だったのは、『息長く大きなフレーズ』という説明にとどまらず、フレーズを内側から造形する曲線(流れや方向性)を明らかにし、複数のジェスチャーのまとまりとして感じるように導いてくださったことです。弾き手の奏法と心理、両方に影響を与える説明だと思いました」(清水さん)
全員のレッスンでほぼ共通して行なわれたのは、受講生に旋律だけを弾かせ、アンデルシェフスキが伴奏部を一緒に弾く(またはその逆の)アプローチ。単純な方法のようだが、受講生の響きのバランスや静寂の聴きかた、引き締まって柔軟な拍子の感じかたに瞬時に影響を与えたのは見事だった。清水さんのレッスンでも「オペラ」「語り」「登場人物」というワードが強調され、別々の声部を分担して一緒に弾く場面があった。
「楽曲の形式が目に見えて流れ始めるように感じられ、音色に対するイメージが一変しました。さまざまな声域と楽器が次々と現れるオペラを、もっと意識しなければと思いました。間の取りかたも絶妙で、彼の音楽に脈打つもの、空気感を体感できたのは貴重な経験です」(清水さん)
アンデルシェフスキの繊巧なピアニズムと自然で生命力溢れる音楽の境地、その至芸に触れたことは、若い受講生たちにとって記憶に刻まれる体験となったに違いない。
マスタークラスを終えたアンデルシェフスキに、後進の育成に託す思いを詳しく聞くことができた。
次世代育成への思い

若いピアニストに必要な2つの要素
――マスタークラスという限られた時間内に、アンデルシェフスキさんが若いピアニストの音響感覚を変容させていく様子が圧巻でした。あなたの音楽観と造型観を、細やかに受講生に伝えていらっしゃいましたね。
アンデルシェフスキ(以下A) 演奏における私のメチエ(特別な手腕を要する職業・芸術的な表現技法)は建築に通じる部分があります。作品の構築や音色の造型は、私にとって根本であり基盤です。しかし、私は分析は好きではありませんから、そのプロセスは必ずしも頭脳的なものではありません。
私は直感を大切にしています。指導において画一的な処方箋はありません。私が年月と経験を経て身につけたことを提案する。演奏する。そこから引き起こされる反応に向き合っていく。私にできるのはそれだけですが、繊細な感性の持ち主なら、何かを受け取ってくださるのではと思います。
若いピアニストの方々は、それぞれ個性もポテンシャルもさまざまですが、彼らに不足する要素には共通するものがあるように感じます。
一つは音楽における「語り」や「会話」です。とくに17〜18世紀の音楽はレトリック/言葉とつながっています。たとえばハイドンのソナタ、この音楽はどれほど演劇と俳優のディクション(せりふ回し)を思わせることか。人は話すとき、フレーズには句読点や疑問符があり、感情によってフレーズの山場となる箇所がありますね。これを若いピアニストの方々は抽象的にしか受け止めていないのです。
もう一つは左右の手の独立。ショパンの「バラード第4番」を弾かれた方がいましたね。一例ですが、旋律を奏でる右手がルバートで少し遅くなったとしても(後に縦の線が揃い、両手は一緒になりますが)、左手がつられて一緒に遅くなってはならないといったことです。
そして、独立の問題は片手の内にもあります。ショパンの「エテュード」op.10-3のレッスンでも言及したことですが、音楽の内側に歌を見出し、声部を明瞭に弾き分けなければなりません。これは意識の問題であり、練習を積み重ねて思考に刻み込むべきことです。ありふれたことと思われるでしょうが、やはり「ショパンを弾くなら、バッハのフーガを学んでください」と私は助言したいのです。
――受講生と一緒に片手ずつ、あるいは別々の声部を分けて共に弾いたりするアプローチは、皆がアンデルシェフスキさんの息づかいと時間感覚に引き込まれていくようで、素晴らしい効果をあげていました。
A この方法はうまくいくことが多いのですよ。たとえば、モーツァルトの音楽とオペラは密接につながっています。「声」とは登場人物の異なる性格を表すもので、単なる声質や音域の違いではありません。自分が複数になったような状態で弾かなくてはならないのです。
ステージという空間と聴衆の存在は、私の内面から何かを解き放つ
――昨今の国際コンクールをお聴きになることは?
A 前回のショパン・コンクールを少しだけ。オンラインで、それも一部のみでしたが、残念ながらその中に私を感動させた人はほとんどいなかったと言わざるを得ません。
驚いたのは、アジアのピアニストの比率が大半を占めていたことです。ヨーロッパで生まれた音楽が、全世界で普遍的な地位を獲得したのは素晴らしいと思いますが、私たちのヨーロッパは終焉し、「ミュージアム」と化したということなのでしょうか。
もう一つ驚いたことがあります。ショパン・コンクールの前に、何人かのコンテスタントにレッスンをしました。彼らの中には、私にとって「問題外」と感じられたピアニストもいたのですが、そのうちの二人はファイナルに進出、しかも一人はコンチェルトを素晴らしく演奏したのです。
また、その真逆のケースにも遭遇しました。レッスンでは感性も光り、良く反応し、私を感心させた若者が、ステージでは輝きをまったく失っていたのです。置かれたシチュエーションが、人を良い方へも悪い方へも変えてしまうことに驚きました。そこには何の論理性も規則性もないのです。
――私はコンクールで活躍する若者たちの、強靭なメンタリティに圧倒されますが。
A それは疑問視した方がよいのでは(笑)。しかし、一度舞台に立つと、人が変わったように輝く方がいるのは確かですね。私に関して言うならば、ステージという空間と未知の聴衆の存在は、私の内面から何かを解き放つのです。一方、先生の前でレッスンを受けている状況の私は、かなり凡庸でしょうね(笑)。
――ひとつのフレーズにもディテールにこだわり、強い求心力でレッスンをされていました。
A 「ディテール」ですか? 私にとっては当たり前で、またもっとも重要なことですが。レッスンで私の理想を提示したり、助言したりするのは容易です。一人でピアノに対峙するとき、それは孤独ではるかに難しいこととなりますが、しかし音楽家とは何と幸せな仕事でしょうか。
「練習」と「イマジネーション」は、決して一方通行ではありません。練習がイマジネーションを創るのか、イマジネーションを得たから練習するのか……探索の過程においてどちらが先かはわからないけれど、音楽が私たちを解決策へと導いてくれるのです。音楽を自分のエゴの道具とするなら、そこには何も残りません。私たちの使命は、作曲家の天才に力の限り奉仕することではないですか?

今後は継続的な育成にも力を入れていきたい
――ブリュノ・モンサンジョン監督があなたをテーマに制作した映画『Unquiet Traveller』(2009年)は記憶に鮮やかです。手がゆっくりと天に舞いのぼるような終幕の映像もほんとうに美しい。モンサンジョンは、あなたとグレン・グールドによって、ピアニストの手元の撮影語法を発展させたと語っています。
A ブリュノは音楽に大きな、そして誠実な愛を捧げている。彼の人格こそ「パッション」そのものです。視覚的な効果を狙う意図も、商業的意図もなく、彼の作品は純粋な音楽愛に貫かれています。すべては音楽のため。私にとって重要なのは、この一点に尽きるのです。
――現在のご自身をこの作品に見出しますか?
A 部分的には……。あの時期の私は《魔笛》に夢中で、モーツァルトの音楽がこの世に存在し、それに触れられるだけで幸せでした。もちろん今もその気持ちは変わりませんが。
実は今、本を書いているのです。音楽と、音楽家という仕事について。執筆言語はフランス語、コンサートの記録やそれにまつわる思索など、私の真の姿が投影された内容です。母国語でない言葉で自分を語るのは、ほんとうに難しいですが……。「今の私」を知りたいと思われるなら、ぜひ読んでいただきたいですね。本書にすべての答えがあるでしょう。
私は人生において、次世代に何かを伝えるべき時期に差し掛かったと感じています。今まではマスタークラスという形のみの教授活動でしたが、今後は生徒と時間をかけて向き合い、継続的な育成にも力を入れていきたいと思っています。
日本を愛してやまないというアンデルシェフスキ。日本の若いピアニストたちにも、彼の教えに触れる機会が訪れるよう願うばかりだ。
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