読みもの
2024.03.03
鈴木淳史の「なぜかクラシックを聴いている」#6 

小澤征爾とはどのような音楽家だったのか~広いレパートリーと1枚の象徴的なアルバム

音楽評論家の鈴木淳史さんが、クラシック音楽との気ままなつきあいかたをご提案。膨大な音源の中から何を聴いたら分からない、という方へ。まずは五感をひらいて、音のうつろいにゆったりと身を委ねてみませんか?

鈴木淳史
鈴木淳史

1970年山形県寒河江市生まれ。もともと体育と音楽が大嫌いなガキだったが、11歳のとき初めて買ったレコード(YMOの「テクノデリック」)に妙なハマり方をして以来、音楽...

©Michiharu Okubo

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芸術を通した衝動的な力で人を心の底から動かす

小澤征爾が亡くなった。わたしたちは、偉大な存在を失ってしまった。多くの人たちが「彼が成功したことで、日本人演奏家の海外進出への扉を開いた」「日本の演奏家が認められることに繋がった」と、その功績を讃えている。

でも、それだけではないような気がする。たとえば、もしかしたら彼がいなかったら、昨今の日本の繁栄(最近はそれも揺らいでいるけれど)はなかったのではないかと。

1960年代に渡米した小澤は、北米のオーケストラを指揮して、旋風を巻き起こした。シカゴ響やトロント響を指揮、サンフランシスコ響やタングルウッド音楽祭の音楽監督に。そしてボストン交響楽団の音楽監督にも就いた。

 

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当時のアメリカ人は、どのように日本人という存在を見ていたか。先の戦争のことなどもあり、「小ずるい猿」くらいに思っていた人も少なくないはずだ。当然、学業を積んだ人はそんなことは滅多に口走らぬが、心の奥ではそんなふうな意識が見え隠れした。なにしろ、猿が相手だから、原子爆弾を落としても平気な顔をしていられたわけで。

そこに自分たちのルーツであるヨーロッパの音楽を颯爽と演奏する日本人が現れた。ピアノやヴァイオリンを曲芸的に弾いた、というのではなく、オーケストラを統率する指揮者であったことも大きい。しかも、暗譜で演奏会に臨み、完璧に自分たちのオーケストラをコントロールしたこと。それに驚嘆したのだ。

指揮者は音楽だけができればいいのではない。楽器ではなく人間と関わる仕事だから、コミュニケーションが重要になる。我らが小澤は天性のものとしてそこが優れていた。とにかくオープンで人懐っこい。「心のなかを見せないムッツリ野郎」という従来の日本人へのイメージをも覆した。

エスタブリッシュメントな人たちは、日本人だってやるじゃないか、これからは一緒に商売や仕事をやってもいいかもな、などと目を覚ましたことだろう。同じ人間ということは頭や言葉ではわかっていても、その心の底を動かすのは、やはり芸術を通しての衝動的な力だ。

こういうことは誰もができるわけではない。小澤征爾は、歴代の総理大臣はおろか、トヨタやソニーなどの大企業ができなかったことを一人でやってしまったともいえる。お札になっていないことが不思議なくらいである。

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