カミュやグノーも愛した南仏プロヴァンス~人生が変わるようなヴァカンスを味わう
カミュやゴッホ、サド侯爵、そして作曲家ではグノー……数多くの芸術家が愛した美しい村々が、フランス南部のプロヴァンスにあります。2016年にラ・ロック・ダンテロン国際ピアノ音楽祭の取材でこの地を訪れた林田直樹さんが、「ラ・フォル・ジュルネ」プロデューサーのルネ・マルタンとのエピソードも交えて紹介!
コロナ禍ではなかなか実現が難しいので、写真と文章で「こんなヴァカンス過ごしてみたい」を楽しんでみてください。
1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...
自然に囲まれた野外ステージで開催されるラ・ロック・ダンテロン国際ピアノ音楽祭
「私の人生と仕事について知っていただくなら……ぜひとも夏のラ・ロック・ダンテロン国際ピアノ音楽祭に来ていただかなければなりません。2、3日では駄目です。1週間でも短すぎます。最低でも10日間はプロヴァンスに滞在していただかないと」
忘れもしない。2016年5月、東京での「ラ・フォル・ジュルネ」が終わった翌朝のミーティングで、「あなたについての本を1冊書きたい」というこちらからの申し出に対して、アーティスティック・ディレクターのルネ・マルタンはそう言った。
プロヴァンスはイタリアと地中海に接するフランス南東部にある地域
こうして、2ヶ月後のプロヴァンス行きが突然決まった。しかもいきなり10日間とは……前後のスケジュールのやりくりが大変ではないか!
7月末、慌ただしく東京を出発して、マルセイユ空港に着き、レンタカーを10日間借り、取材仲間を乗せて私はハンドルを握り、プロヴァンスの山岳地帯、風光明媚なリュベロン地方の麓にあるラ・ロック・ダンテロン村へと車を走らせた。
ルネ・マルタンが1981年に創設した、南仏最大級の夏の音楽祭。2021年夏の第41回ラ・ロック・ダンテロン国際ピアノ音楽祭は、7月23日から8月18日まで開催される予定。幻のピアニスト、グリゴリー・ソコロフをはじめとする豪華な出演陣に加え、作曲家トリスタン・ミュライユやジルベール・アミの特集が組まれるなど、相変わらず攻めのプログラミングはルネ健在を思わせる。日本からは福間洸太朗、広瀬悦子が参加するが、これは東京の「ラ・フォル・ジュルネ」復活への前哨戦となるのだろうか?
音楽祭のメイン会場は、プラタナスとメタセコイアの森林に囲まれた池の上に作られた野外ステージだった。舞台下の水面を広がるピアノの響きが、音響反射板を伝って、階段状にしつらえた客席へと、自然に届いてくる。
すぐ横には牧場が広がり、放し飼いされたニワトリたちが歩き回り、農業用のトラクターが倉庫からピアノを運んでくる。緑の大聖堂、とルネ・マルタンは言った。自然の息吹きを感じながら、大空の下、鳥やセミたちの声とともに、ベートーヴェンやショパンの音楽を楽しめるのは、何とのどかで贅沢なことだろう。
カミュ、グノー、ゴッホ……芸術家が愛した美しい村々
ありあまるような時間と静寂が、そこにはあった。
数日たつうちに、東京での仕事モードは完全に消え去り、1日がゆったりと長く感じられるようになっていった。気持ちがどんどんほどけていく。ここでは道行く人々は、どんなに見知らぬ人でも、まるで友人どうしのような雰囲気で挨拶を交わす。穏やかな笑みと親愛の情をこめてお互いを見る。人間同士の距離が違うのだ。
音楽祭のボランティアの女性が言う。「私、パリって嫌いだわ。だって挨拶すると、みんな頭のおかしい人でも見るような目で、私を見るんですもの」
午前中の取材を済ませ、夜のコンサートまでの午後の時間は、毎日のようにプロヴァンス一帯をドライブした。どこまでも続く葡萄畑やオリーブ畑、白くて乾いた大地、ギラギラと照り付ける南仏の太陽、ハーブの香りのする風。そこに点在する歴史ある町や村をかたっぱしから探訪していった。
『異邦人』で知られる文豪カミュが執筆していた家が今も残るルールマランをはじめ、ボニュー、ゴルド、ルシヨン、アンスイといった愛らしく個性的な村々。
『悪徳の栄え』で知られるサド侯爵の城がそびえる荒涼としたラコスト。画家ゴッホの暮らした精神病院、占星術師ノストラダムスの生家、作曲家グノーが滞在したホテルのある小さな町サン=レミ=ド=プロヴァンス。それらすべてが、はるかな過去からの息吹きを感じさせた。
人生を変えるほどの力をもつゆったりとした時間
ある気さくな感じのレストランに入ると、店の人がメニューを見せながら笑顔でこう言った。
「うちの店では、フライドポテトにトマトケチャップのようなものはありません。プロヴァンスで採れた土地のものしかお出ししていないのです」
プロヴァンスでは、ロゼワインが好まれている。スーパーの棚でもロゼが一番多い。日本ではロゼはやや軟弱なイメージがあるかもしれないが、ここでは爽やかなロゼと雪のように白くて野性味あるシェーヴル・チーズ(山羊のチーズ)の組み合わせが抜群で、すっかり気に入ってしまった。
音楽祭の合間をぬって、ルネも自らハンドルを握り、愛車に私たちを乗せて“特別な場所”にいくつか連れて行ってくれた。
中世の雰囲気を色濃く残した秘境のような小さな聖堂。プロヴァンス全域が一望できる高台の上の見張り塔。最高のシェーヴル・チーズを作れる特別な山羊を飼っている岩山近くの酪農家。第2次世界大戦中にレジスタンスの戦士たちが立てこもりナチス軍に皆殺しにされた山奥の修道院の廃墟。
それらは、ルネが時折ひとり訪れて瞑想し、内面のエネルギーをたくわえるために必要としている場所でもあった。
プロヴァンスはまさにそういう場所の宝庫だった。
そこに流れていたゆったりとした時間には、人生を変えるほどの力があった。
ルネはラ・フォル・ジュルネを好きになった日本人を、できるだけたくさんプロヴァンスに連れていくべきだと考えていた。滞在できそうな日本人好みの瀟洒なホテルも探してあり、そこも見せていただいた。私たちが旅行で訪れても、何もかもが歓迎できる状態にあった。
あれから5年がたつ。いまでも、昨日のことのように、プロヴァンスの10日間を思い出すことができる。もしチャンスがあるならば、ぜひいつかプロヴァンスのリュベロン地方にヴァカンスを過ごしに出かけ、できることなら長期の滞在でのんびりと過ごし、美しい村々を回ることをお勧めしたい。多くの芸術家たちがそうしていたように。
2017年発行。プロヴァンス滞在取材をもとに書かれた。ラ・フォル・ジュルネのアーティスティック・ディレクター、ルネ・マルタンがなぜ音楽ビジネスを成功させたか、その背景と精神性を知ることができる1冊。詳しくはこちら。
(林田直樹著、アルテスパブリッシング)
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