読みもの
2021.02.25
飯尾洋一の音楽夜話 耳たぶで冷やせ Vol.24

戦禍で生まれ、コロナ禍にも通じるストラヴィンスキー《兵士の物語》のメッセージ

音楽ジャーナリスト・飯尾洋一さんが、いまホットなトピックを音楽と絡めて綴るコラム。第24回は、2021年に没後50年を迎えるストラヴィンスキーの《兵士の物語》を取り上げます。初演された1918年は第一次世界大戦中なうえ、スペインかぜ流行真っただ中。大戦とパンデミック禍で作られたこの作品に込められたメッセージとは?

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飯尾洋一
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飯尾洋一 音楽ライター・編集者

音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...

1943年にソ連で放映されたロシア民話をもとにしたアニメ『兵士の物語』より

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少人数・低予算で上演できる作品

今年はストラヴィンスキー没後50年。となれば、注目したい作品が《兵士の物語》だ。「読まれ、演じられ、踊られる物語」という副題を持ち、7人編成の小アンサンブルと朗読、ダンサーによって上演される舞台作品である。実際の上演形態はさまざまであり、音楽のみの組曲版もあるが、もともとのコンセプトは「少人数で低予算で上演できること」。

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イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882~1971年)
サンクトペテルブルクで育ち、現在のサンクトペテルブルク大学法学部に在籍しながら、リムスキー=コルサコフに音楽理論を学ぶ。
バレエ・リュス(ロシアバレエ団)創設者のディアギレフから委嘱を受けて作曲した《火の鳥》、《ペトルーシュカ》、《春の祭典》をはじめ、数多くのバレエ音楽の傑作を残した。

初演は1918年。第一次世界大戦によりストラヴィンスキー本人のみならず、多くの芸術家たちが経済的困窮にあったことから、こんな時代でも上演できる機動力のある作品を作ろうと考えられたものなのだ。

加えて当時は、世界的にスペインかぜが大流行していた。《兵士の物語》はローザンヌで無事に初演されたものの、ストラヴィンスキーも家族もエージェントも次々と感染してしまい、作品を各地で巡業しようという当初の狙いは頓挫してしまう。つまり《兵士の物語》は戦禍から生まれ、パンデミックに打ち負かされた作品ともいえる。

物語の3つのテーマ

さて、《兵士の物語》の台本は、ロシア民話にもとづいてシャルル=フェルディナン・ラミュが書いている。元ネタはアレクサンドル・アファナーシエフ編の「ロシア民話集」。『ロシアの民話 1』(アファナーシエフ/金本源之助訳/群像社)に、原作と思しき「脱走兵と悪魔」が収録されている。ただし、ラミュの《兵士の物語》と「脱走兵と悪魔」にはいくつか違いがある。この違いに注目してみよう。

まずは《兵士の物語》のあらすじを簡単にご紹介。2部構成になっている。

あらすじ

第1部

休暇を取って故郷に帰る途中で、兵士はヴァイオリンを弾く。そこに老人の姿で悪魔があらわれる。悪魔は「金のなる本」とヴァイオリンの交換を持ちかける。本には未来の相場が記されていた。悪魔の家に誘われ、3日間、兵士はヴァイオリンの弾き方を悪魔に教えてから、故郷に帰る。だがその3日間で3年の月日が流れていた。兵士は商人になり、悪魔からもらった本のおかげで富を手にするが、心は満たされない。悪魔からヴァイオリンを手渡されるが、もう兵士は楽器を弾くことができない。

 

第2部

兵士は旅に出る。ある王女が謎の病に伏しており、病を治した者は結婚できると知り、王宮に向かう。そこにはヴァイオリンの名手をかたる悪魔の姿があった。兵士は悪魔とカードで勝負する。悪魔が勝ち、兵士はお金をすべて失う。すると、兵士は悪魔の力から自由になり、ふたたびヴァイオリンを弾けるようになる。兵士がヴァイオリンを弾くと、王女は床から起き上がって踊りだし、悪魔は倒れる。悪魔は国を離れればふたりともわがものになると警告して、去る。やがて兵士は望郷の念に駆られ、王女とともに国境を越えたとたん、そこには悪魔が待ち構えていた。

なかなかよくできた話ではないだろうか。簡潔ながらも味わい深い。大きくとらえれば、ここには3つのテーマがある。「故郷の喪失」「物質的な富の空虚さ」「音楽の力の肯定」だ。いくらお金があっても、それだけでは幸せにはなれない。故郷にあった人の縁はお金では買えない。ヴァイオリンがもたらす音楽の力は、ひいては芸術の力であり、悪魔に打ち勝つための人間性のシンボルでもある。

原作のロシア民話との違いは?

一方、アファナーシエフの「脱走兵と悪魔」では、主人公が兵士である点がよりはっきりしている。題名にもあるように、兵士が悪魔と3年を過ごした時点で、彼は脱走兵になってしまうのだ。そして、悪魔がくれた本は、読み書きのできない兵士であってもすらすらと読める本であって、金のなる本という設定はない。

だが、兵士は「兵士よりも商人のほうが暮らしが楽だろう」と考えて、商人になるのである。悪魔は兵士のために都に大きな店を構えてやり、高価な品々を取り揃える。おかげで商売は繁盛する。つまり、読み書きができない兵士にとって、不思議な本とは「教育」であり、悪魔が取り揃えてくれたお店と商品は「資本」と解することができる。

原作と思われる「脱走兵と悪魔」が収められている『ロシアの民話 1』(アファナーシエフ/金本源之助訳/群像社)

そして、兵士が商売を畳むのは、物質的な富を得て心に隙間ができたからではない。あまりに商売繁盛しすぎて、ほかの商人たちの嫉妬を買ったからなのだ。兵士は身の危険を感じて、こっそり夜逃げしたのである。原作には、金持ちになるとヴァイオリンが弾けなくなるという設定もない。

兵士は旅先で病に伏していた王女を治し、結婚する。しかし、悪魔との対決シーンはずいぶん違う。兵士は悪魔をだまし、釘抜きに指を挟んで動けなくしたところで、鞭を打って懲らしめるのだ。悪魔は王宮から30露里(ろり。1露里=約1067m)には近づかないと約束して逃げる。兵士は王位を継いで王になるが、妃から誘われて30露里離れた郊外の美しい庭を訪れる。するとそこは悪魔が待っており、兵士は観念する。

原作にない要素が《兵士の物語》のオリジナリティに

《兵士の物語》と大まかなストーリー展開は同じなのだが、原作には「故郷の喪失」「物質的な富の空虚さ」「音楽の力の肯定」という要素がすべて見当たらない。逆に言えば、これらが《兵士の物語》のオリジナリティでもある。

代わってあるのは、逃亡だ。兵士は軍隊から逃げた。商人からも逃げた。最後は御殿からもつい離れてしまい、これもある種の逃避ともみなせる。一ヶ所に留まれない性分の男の物語とも理解できるだろう。

コンステラ・オペラバレエによる《兵士の物語》(2013年上演)

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飯尾洋一 音楽ライター・編集者

音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...

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