読みもの
2018.05.20
井内美香の「すべての道はオペラに通ず」第2回

得意のご当地オペラ《トスカ》でプッチーニが描く永遠の都「ローマ」

全ての道はローマに通ず。ローマをまだ訪れたことがない人は幸せだ。なぜなら、永遠の都との出会いはきっと忘れられない一生の宝になるはずだから。

井内美香
井内美香 音楽ライター/オペラ・キュレーター

学習院大学哲学科卒業、同大学院人文科学研究科博士前期課程修了。ミラノ国立大学で音楽学を学ぶ。ミラノ在住のフリーランスとして20年以上の間、オペラに関する執筆、通訳、来...

写真上=
テヴェレ川にかかった橋から臨むサンタンジェロ城の正面。城の頂上には剣をかまえた大天使聖ミカエル像がある。
©ACT4 永竹弘幸

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芸術家を魅了しつづける街「ローマ」

北イタリアの整然とした街、ミラノに長年住んだ筆者にとって、ローマは訪れるたびに違う顔を見せてくれる謎に満ちた都である。街角を曲がると何千年も前の歴史が忽然と現れ、まるで自分がその時代に行ってしまったかのような錯覚にとらわれるのだ。まだ若かった頃、ローマに住むハンサムな青年がスクーターの後ろに乗せてローマの街を走ってくれたことがある。あちらにとっては何でもない日常の一コマ。しかし筆者にとってはまさに、映画のヒロインになったかのような、一生に1度だけの得難い経験であった。

「ローマの休日」から「テルマエ・ロマエ」まで、ローマを舞台にした傑作は数多い。「テルマエ・ロマエ」の映画版ではヴェルディ、プッチーニなどイタリア・オペラからの名アリアが効果的に使われていた。では、ローマが舞台となった有名なオペラはあるのだろうか?

主演のオードリー・ヘップバーン演じる王女アンがローマの街で出会った新聞記者ジョーとの24時間の切ない恋をえがいた名画「ローマの休日」
現代日本にタイムスリップした古代ローマの浴場設計技師が巻き起こす騒動をえがいたヤマザキマリのコメディ漫画「テルマエ・ロマエ」(直訳すればローマの浴場)

バロック・オペラの時代には古代ローマを舞台にしたオペラが数多く書かれた。例えばモンテヴェルディの《ポッペアの戴冠》やヘンデルの《アグリッピーナ》などがある。
しかし、近代のローマを舞台にしたオペラの代表作はジャコモ・プッチーニ (1858-1924)作曲の《トスカ》だろう。プッチーニは稀代のヒットメーカーだった。ご当地オペラが得意で、《ラ・ボエーム》ではパリを、《蝶々夫人》では長崎を、《西部の娘》ではカリフォルニアを、そして遺作《トゥーランドット》では北京を舞台にオペラを書いた。当時のオペラは今日における映画のように多くの人々のためのエンターテイメントだったので、新作オペラを作るときには、台本作家、作曲家、音楽出版社がしっかりとタッグを組んで、成功する作品を吟味して世に送り出していたのである。

ご当地オペラのヒットメイカー プッチーニが《トスカ》で描いたローマ

ローマは長いあいだ教皇領であったが、プッチーニが《トスカ》を作曲する約30年前の1871年にイタリア統一国家の首都となった。それまでも様々な劇場でオペラは上演されていたが、首都になったローマにはコスタンツィ劇場という新しい歌劇場が建てられ、1880年に国王臨席のもと開場した。これが今日のローマ歌劇場である。そしてローマを舞台にした《トスカ》が、1900年にこの劇場で初演された。イタリア統一国家の象徴であるローマを舞台にしたオペラを作り、しかもそれをローマで初演するというのは、イタリア全土、そして世界にアピールするというプッチーニたちの作戦でもあったのだ。

《トスカ》は初演のちょうど100年前にあたる1800年のローマが舞台となっている。ナポレオンによって作られたローマ共和国がたった2年で倒れローマ教皇領に戻ったばかりの頃、フランス革命の思想に傾倒した画家カヴァラドッシと恋人の歌姫トスカが、警視総監スカルピアの奸計にはまり命を落とすまでの物語だ。フランスの劇作家サルドゥの戯曲が原作で、当時の名女優サラ・ベルナールが演じる「ラ・トスカ」の芝居をプッチーニが観たことがオペラ化へのきっかけとなった。

上:『トスカ』初演時の主演で「劇場の女帝」「聖なる怪物」と謳われた伝説の名女優、サラ・ベルナール(1844-1923)写真は1887年、トスカの舞台写真。
右:『トスカ』の原作者でフランス第2帝政期を代表する劇作家、ヴィクトリアン・サルドゥ(1831-1908)

《トスカ》の設定は第1幕がサンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会、第2幕は警視総監スカルピアが執務を取るファルネーゼ宮殿、第3幕はカヴァラドッシが捕らえられているサンタンジェロ城という、実際にローマにある場所だ。プッチーニの音楽は、主人公たちが陥った暗い事件をサスペンスに満ちた筆致で描き切っている。イタリア人にとってのローマは、この国において大きな影響力をもっているカトリック教会の象徴でもある。第1幕の最後に演奏されるテ・デウムの響きが圧倒的なのは、民を抑圧する力の誇示でもあるのだ。プッチーニはローマ在住の修道士に問い合わせ、サン・ピエトロ大聖堂の礼拝で使われる鐘のメロディをテ・デウムに取り入れた。背景が精緻に描き込まれていればいるほど、主人公たちの置かれた状況は真実味を増すのである。

サン・ピエトロ大聖堂。カトリックの総本山である。
©ACT4 永竹弘幸
サンタンジェロ城が遠くに見える夜景。今では美しい照明が夜のローマに遺跡を浮かび上がらせている。
©ACT4 永竹弘幸
「テルマエ・ロマエ」にも登場するハドリアヌス帝が建造した古代ローマの神々を祀るパンテオン。その中には圧倒的な美の世界が広がっている。
©ACT4 永竹弘幸

1800年のローマにタイムワープしよう。 新国立劇場制作の《トスカ》

新国立劇場で7月に上演される《トスカ》は2000年に新制作されて以来、この劇場で長年愛されているプロダクションだ。ヴィスコンティ、ゼッフィレッリというイタリア・オペラの歴史に名を残す演出家たちの系譜につながるアントネッロ・マダウ=ディアツの演出で、舞台の美術と衣裳の美しさは特筆ものである。まるでタイムワープして《トスカ》の時代のローマに自分も入り込んでしまったかのような不思議な感覚を与えてくれる。

1幕の終盤、サンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会の聖母マリア像の前でトスカへの欲望を歌うスカルピア。
新国立劇場「トスカ」(2015年公演より) 撮影:寺司正彦
第2幕、ファルネーゼ宮殿に囚われ、拷問されるカヴァラドッシの耳にナポレオン敗退の知らせが届く。
新国立劇場「トスカ」(2015年公演より) 撮影:寺司正彦
カヴァラドッシの命の代償に、一晩の関係を迫るスカルピアにトスカは......。
新国立劇場「トスカ」(2015年公演より) 撮影:寺司正彦
第3幕、サンタンジェロ城の屋上で”偽りの”銃殺刑をうけるカヴァラドッシ。
新国立劇場「トスカ」(2015年公演より) 撮影:寺司正彦

今回の上演はトスカ歌いとして世界的に有名なソプラノ、キャサリン・ネーグルスタッド、前回の新国立劇場公演でカヴァラドッシを歌い質の高い歌唱を聴かせたテノール、ホルヘ・デ・レオン、そしてイタリア人の演技派バリトン、クラウディオ・スグーラがスカルピア役で出演する。

トスカ役のキャサリン・ネーグルスタッド
©Tanja Niemann
カヴァラドッシ役 ホルヘ・デ・レオン
スカルピア役のクラウディオ・スグーラ
©Jeff BusbyWEB

若きロレンツォ・ヴィオッティがタクトを取るのも大注目だ。ヴィオッティ国際コンクールで知られている18世紀のヴァイオリン奏者、作曲家ヴィオッティの子孫でもあるヴィオッティは、指揮をする前には打楽器奏者としてウィーン・フィルでも演奏していた。すでにコンサートで二度の来日を果たしているが、オペラを日本で指揮するのはこれが初めて。まだ28歳の若さながら交響曲とオペラの両方で目覚ましい活躍をしている。ヴィオッティの父親は、イタリア、フランス・オペラの一流の指揮者であったマルチェッロ・ヴィオッティだ。ロレンツォはヴァイオリニストだったフランス人母親との間にスイスで生まれた。父マルチェッロがオペラのリハーサル中に倒れて亡くなったのはロレンツォが14歳だったときである。

指揮 ロレンツォ・ヴィオッティ
©Ugo Ponte

ロレンツォ・ヴィオッティは今後、パリ・オペラ座やメトロポリタン歌劇場、ミラノ・スカラ座などにデビューすることが決定しており、国際的なオペラ・シーンの中心に躍り出る指揮者であることは間違いない。《トスカ》をどのようなアプローチで聴かせるか楽しみである。

新国立劇場オペラ 《トスカ》

指揮: ロレンツォ・ヴィオッティ

演出: アントネッロ・マダウ=ディアツ

出演:

トスカ(ソプラノ): キャサリン・ネーグルスタッド

カヴァラドッシ (テノール): ホルヘ・デ・レオン

スカルピア (バリトン): クラウディオ・スグーラ

合唱:新国立劇場合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル

児童合唱: TOKYO FM少年合唱団

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

公演日:2018年7月1日(日) ~ 2018年7月15日(日)

会場:新国立劇場 オペラパレス

チケット:

S席:27,000円
A席:21,600円
B席:15,120円
C席:8,640円
D席:5,400円
Z席:1,620円(舞台がほとんど見えない席)

びわ湖ホール・新国立劇場提携オペラ公演 《トスカ》

指揮: ロレンツォ・ヴィオッティ

演出: アントネッロ・マダウ=ディアツ

出演:

トスカ(ソプラノ): キャサリン・ネーグルスタッド

カヴァラドッシ (テノール): ホルヘ・デ・レオン

スカルピア (バリトン): クラウディオ・スグーラ

合唱:新国立劇場合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル

児童合唱:大津児童合唱団

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

公演日:2018年7月21日(土) ・22日(日)

会場: 滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール 大ホール

チケット:

S席:18,000(17,000)円 
A席:15,000(14,000)円 
B席:13,000(12,000)円 
C席:10,000(9,000)円 
U30席(30歳以下): 3,000円 
U24席(24歳以下): 2,000円 

井内美香
井内美香 音楽ライター/オペラ・キュレーター

学習院大学哲学科卒業、同大学院人文科学研究科博士前期課程修了。ミラノ国立大学で音楽学を学ぶ。ミラノ在住のフリーランスとして20年以上の間、オペラに関する執筆、通訳、来...

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