一路真輝、ベートーヴェンの「不滅の恋人」アントニー・ブレンターノを演じる
宝塚歌劇ご出身の一路真輝さんが、ベートーヴェンが想いを寄せた「不滅の恋人」役に挑戦!
一路さん演じるアントニー・ブレンターノという女性やアントニーから見たベートーヴェンについて、そしてご自身の音楽体験まで、詳しくお話を伺いました。ベートーヴェンが登場することなくベートーヴェンを表現するこの舞台、どのような世界が繰り広げられるのでしょうか。
1984年生まれ、千葉県佐倉市出身。明治大学文学部卒業後、東進ハイスクールの校舎運営、朝日新聞夕刊の執筆・編集、ステージナタリー記者を経て現職へ。『ぴあ』、『ウートピ...
楽聖ベートーヴェンの死後、秘密の引き出しから見つかった1通のラブレターを軸に、彼と恋人を取り巻く人間模様が繰り広げられる舞台『Op.110 ベートーヴェン「不滅の恋人」への手紙』。脚本を木内宏昌、演出を栗山民也、音楽・演奏を新垣隆が手がける。
本作のタイトルとなっている「ピアノ・ソナタ第31番 Op.110」は、ベートーヴェンの愛する「不滅の恋人」に捧げた楽曲であるといわれている。
ラブレターの宛先である「不滅の恋人」には複数の女性候補がおり、現在の研究でも確定されていない。しかし本作では、ベートーヴェンの友人で経済的な支援者だったドイツの大富豪、フランツ・ブレンターノの妻アントニーと仮定して禁断の恋の行方が描かれる。二人の魂が結びつく様子や真の芸術をめぐる物語はどのように展開されるのか──。
主人公アントニー・ブレンターノを演じる一路真輝の、ベートーヴェンや作品に対する思いに耳を傾けた。
恋愛だけに邁進せず、ベートーヴェンの才能を守ろうとするアントニー
1965年、愛知県名古屋市出身。宝塚歌劇雪組トップスターとして『風と共に去りぬ』、『ベルサイユのばら』といった話題作に主演し、96年に日本初演となる『エリザベート』で退団。同年、東宝ミュージカル『王様と私』で女優としてのスタートを飾り、菊田一夫演劇賞を獲得する。その後、2000年にタイトルロールとして東宝版『エリザベート』に臨み、04年に同役で読売演劇大賞優秀女優賞を受け、06年まで出演した。同年、日本初演の『アンナ・カレーニナ』で悲しい運命のヒロインを鮮やかに演じたあと、結婚・出産を機に芸能活動を休止。10年、同作で舞台復帰を果たし、再々演にしてファイナルとなる公演で新たなアンナ像を打ち出す。その後も『一路真輝メモリアルコンサート』、『エリザベート スペシャル ガラ・コンサート』などで厚みが加わった歌唱力を披露し、現在進行形で観客を魅了している。
──先行するインタビュー記事によれば、一路さんがアントニー役を務めることは原案である小熊(おぐま)節子さんの“ご指名”だそうですね。
一路 ウィーンでオーストリアと日本をつなぐコーディネートのお仕事に携わっていらっしゃる小熊さんとは、私がミュージカル『エリザベート』に出演していた頃から長年の親交があります。その彼女から「アントニーという女性を表現するには、一路さんがぴったりなのでは?」とオファーいただきました。当時の私はアントニー・ブレンターノさんを存じ上げず、「ベートーヴェンの恋人ってたくさんいた気がするなぁ」くらいの受け止め方だったんですが、小熊さんのアントニーへの思い入れが特に強く、私をイメージしてくださって光栄でした。
──小熊さんは、一路さんのどんな点にアントニーを見出したのでしょうか?
一路 『エリザベート』や『アンナ・カレーニナ』などのミュージカルで、貴族の役どころに扮した私の舞台上での姿をご覧になったから、でしょうか。
──腕に覚えがある?
一路 小熊さんは「舞台上で発される一路さんの雰囲気と、文献からイメージしたアントニー像が重なった」とおっしゃってくださいました。実年齢は、私のほうがアントニーよりだいぶ年上なんですけれど(笑)。
ウィーンの貴族の出で、19歳でフランクフルトの裕福な商人、フランツ・ブレンターノに嫁ぐ。ベートーヴェンとは、1809年に父の死を機にウィーンに戻った際に親しくなった。
(ヨーゼフ・カール・シュティーラー作、1808年)
──実年齢を超越するほど、一路さんのお姿からインスピレーションを得られたんでしょうね。小熊さんがご覧になった文献はどんな内容だったんでしょうか?
一路 ノンフィクション作家で評論家の青木やよひさんによる研究をお読みになった小熊さんが「不滅の恋人=アントニー説」にピンときたそうで。そこから奥ゆかしさと強さを持ち合わせた人物像をイメージしたようです……って、自分でハードルを上げてしまっていますね(笑)。
──いえいえ(笑)。一路さんご自身は、アントニーという女性の魅力をどのように感じていらっしゃいますか?
一路 アントニーって、時代に翻弄された人ですよね。フランス革命を経てヨーロッパの貴族社会が崩れるなか、彼女の生家であるウィーンの伯爵家はフランクフルトの実業家と政略結婚させる道を選んだ。嫁ぎ先でも子どもを産む“道具”のような扱いを受け、幸せとはほど遠い境遇に置かれていたと思います。
それで心がすっかり乾いてしまったところに、ベートーヴェンの音楽と再会して、作曲家本人に惹かれていく。アントニーにとって、ベートーヴェンは心に開いた穴を埋めてくれる大きな存在ですが、恋愛だけに突き進むことはしないんです。彼の才能や自分の家族を守ろうとする冷静さも持ち合わせており、大人の女性として素敵だなと感じています。
手紙から透けて見えるベートーヴェン像
──アントニーから見たベートーヴェンって、改めてどんな存在でしょうか?
一路 少しでもイメージを膨らませようと、私の好きな音符のハガキにプリントアウトした肖像画を貼っていつも持ち歩いています。劇中にも、この赤いマフラーをしたベートーヴェンの肖像画が映し出されるはずなんですけど……ある日突然、演出の栗山(民也)さんが「新しいチラシ表面に描かれたイラストのほうがイメージに近い」とおっしゃられて。いま人知れず混乱しています(笑)。
──赤いマフラーのエピソード、劇中に登場しますよね?
一路 とても素敵なエピソードとして描かれていますよね。第1場で伏線のように「肖像画の赤いマフラーが素敵です」とアントニーがベートーヴェンに語りかけるシーンがあって、思い入れたっぷりに演じたら……栗山さんが「そんなに情感込めなくていいよ」って!
──あとで回収される伏線なのに、強調せずサラッとすませるのですか?
一路 試行錯誤された結果なんでしょうけどね。最近はもはや、栗山さんがベートーヴェンのように感じられる瞬間があります(笑)。同じ芸術家ですし、いい意味で自由かつストイック。だけど、一本の筋がしっかり通っていらっしゃって。
──一方で、ベートーヴェンが残した手紙を読むと「自由&ストイック」とは正反対の印象を受けます。
一路 何度も「君に会いたい」って。ベートーヴェン、かわいらしくて純粋な人だなって。史実に照らし合わせると、彼が手紙で愛情を示した相手がアントニーかどうかはわからないですが、これだけの内容の文面を女性がもらったら……グッときますよね。そんなベートーヴェンの魅力を、出演者一同でセリフからお客様に伝えていくのがいちばんの課題だと感じています。
ベートーヴェン役が不在のまま、その人物像を浮かび上がらせる
──今回は、そのベートーヴェンを演じるキャストがいません。彼が登場しない劇作上の“効果”について、どのようにお考えでしょうか?
一路 稽古が進んできたので、方向性が見えてきました。ベートーヴェンの“不在”をプラスの方向へはたらかせていきたいと思っています。というのも、クラシック音楽ファンの方のベートーヴェンに対する想いは千差万別ですし、一人ひとりお持ちのイメージがある。にもかかわらず、特定の役者さんが演じてしまったら「あれはベートーヴェンじゃない」と感じる方もいるかもしれません。
──ベートーヴェンを演じるキャストによって、その印象が偏ってしまうということでしょうか?
一路 はい。だから、この作品では観客の皆さんにそれぞれ“不在”の余白を埋めてもらいたいんです。幕が下りてご自宅へ帰るときに「たしかにベートーヴェンが見えた」と手応えを感じていただけたら、今回の制作意図や小熊さんの想いが報われる気がしています。
──カンパニー全体でどんな試行錯誤をされているのでしょうか?
一路 トライ&エラーを重ねるうちに、栗山さんのなかで「このタイミングで映像が出て、ライトが当たって」といろんなことが見えてきて、役者に対するリクエストも日進月歩で変わってきました。私もその要求に合わせて「そっか、じゃあこうすればもっと伝わるかな」と試行錯誤する毎日です。
──アントニーを演じるにあたって、ベートーヴェンの不在は「気持ちをぶつける肉体がない」のと一緒ですよね。苦労されていらっしゃるのでは?
一路 そうですね。ベートーヴェンに対する語りかけは“一人芝居”ともいえますが、この作品の場合はそればかりに徹するわけにはいきません。アントニーの夫のフランツ(神尾佑)や彼の妹ベッティーナ(万里紗)は実際に登場して、お相手を前にアントニーとしてお芝居するわけですから。不在のベートーヴェンに向き合うときに比べて、声のトーンや空気までも瞬時に切り替えなければいけないことに、難しさとやりがいを感じています。
新垣隆さんがアレンジするベートーヴェンに、クラシックの歌唱で挑む
──新垣隆さんが手がける音楽は、劇中でどのような効果を発揮しそうですか?
一路 新垣さんは今回、舞台の中央に置かれた1台のピアノの前に座って演奏してくださいます。このあいだ、ご本人とお話ししたところ、「ベートーヴェンの原曲をアレンジしたり、彼の作風に近づけたオリジナル楽曲をつくったりして、それらを融合させているんです」とおっしゃっていて。それで初めてこれだけの世界観がつくられているんだと理解できました。新垣さんの音楽がなかったら作品は成立しないでしょうね。
ベートーヴェンの「この曲です!」と明らかにわかる楽曲が始まったとしても、何小節かはちょっと違うメロディが展開されたりして。クラシック音楽のファンの方には、ぜひお聞き届けいただきたいポイントです。
──一路さんのソロ歌唱は2曲あるとお聞きしていますが、アントニーとしてどんな心境で臨まれますか?
一路 2曲とも、そこにいないベートーヴェンに語りかける歌なんですよね。セリフにたまたまメロディがついちゃった、そんな“語り”の感覚で歌うナンバーです。ただ……原曲がベートーヴェンの作品なので難しくて。歌声を“響かせる”ことはあっても、クラシック音楽を“語る”ように歌うのは、私自身もこれまで経験がないので新たな挑戦です。
キーひとつ取っても、栗山さんは「アントニーのセリフから自然に出てくる音で歌い出して欲しい」とおっしゃるので。「今日はこの高さで歌ってみましょう」「次はあっちで」って稽古でも毎日のようにキーが違っていて。私、キーの違う同じ譜面を5枚くらい持っているんですよ(笑)。まだかたまっていない部分ですが……本番では、芝居から自然にひろがっている世界を作れたらと思っています。
音楽からふくらむベートーヴェンの人間性
──作品タイトルの「Op.110」(ピアノ・ソナタ第31番)をお聴きになって、どのような印象をお持ちになりましたか?
一路 「ベートーヴェンってこんな曲も書くのね!」という新鮮さがありました。やっぱり《運命》や「第九」に代表されるように、リズムを強調した迫力あるメロディが特徴だと思っていたので、こうした作品群に比べてひたすら優しい印象を受けたんです。
でも、台本にも書かれている通り、アントニーと出かけたボヘミア旅行で目の当たりにした田園風景から想を得て生まれた曲だというエピソードを読んだら納得しまして。今回は《運命》を聴いて、アントニーの人生が変わっていく様子も描かれます。ベートーヴェンに限りませんが、作品の裏にあるストーリーっておもしろいですよね。
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番
──今回は「第九」の誕生秘話を、田代万里生さん演じるフェルディナンド・リースが説明する場面もありますよね。
一路 そうなんです! ベートーヴェンの後継者でもあるリースは、ストーリーテラーでもあるし、「第九」の歌唱シーンもあって、田代さん大活躍ですよ。彼の素晴らしいテノールをご堪能いただきたいですね。
──一路さんがいちばん好きなベートーヴェン作品を教えていただけますか?
一路 あえて言うなら《月光》でしょうか。ゆったり優しく始まるんだけど、深みのある左手が合わさってくる感じが何とも言えず、たまらなく好きで。映画の『不滅の恋 ベートーヴェン』には、聴力を失ったベートーヴェンが今でいう“骨伝導”みたいな論理を利用して《月光》を作曲するシーンがあるんです。ピアノに耳を当てながら名曲を生み出しているシーンを観たら、涙が止まらなくなってしまったんですよ。
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番《月光》
一路真輝さんにも訪れた「音楽による転機」
──不遇のアントニーがベートーヴェンの音楽に救いを見出したように、一路さんご自身も音楽からインスピレーションを得て人生が変わったご経験はございますか?
一路 私、中学生のときにすごく宝塚歌劇を好きになって。音楽学校を受験してみたいと思ってはいたんですが、名古屋に暮らす普通の中学生だったので、親や先生に申し出る勇気はまったくなかったんです。
でも、合唱部の顧問をされている先生が、音楽のテストで私の独唱を聞いて褒めてくださったんですね。「うちの部でコーラスやらない?」って。それで「私も音楽の世界に入ってみてもいいのかな」って初めて思えた。
──自信につながった?
一路 はい。ただ、当時は別の部活をやっていたので「入部は難しいです、ごめんなさい」とお断りしたら、「コンクールの時期だけでも出てくれないか?」って。
──すごい。それほど歌声に華があったんですね!
一路 見出してくださって、本当にありがたいですよね。いま思えば、合唱部の先生が褒めてくださらなかったら音楽はあくまで夢として脇に置いて、思い出したときに趣味としてたしなむ程度だったかもしれません。そこまでおっしゃってくださったときに、初めて「宝塚を受験してもいいのかな」という気になったので。音楽とこうした出会いを果たせたからこそ、現在の私があるのだと思っています。
「不滅の恋人」をアントニーと信じて
──最後の質問です。稽古を通じてアントニーという役を深められている最中だと思いますが、ずばり「不滅の恋人」への手紙はアントニーに宛てて書かれたものだと思われますか?
一路 いろんな意見がある中で、私はアントニーに宛てて書かれたものと感じています。2人は結局、添い遂げないじゃないですか? ベートーヴェンを取り巻く女性はたくさんいますけど、愛情や友情以外に“母性”まで彼に注いだのはアントニーくらいなのかなって。残っている手紙に、ドロドロした恋愛感情は一切書き綴られていません。ひたすら相手を思いやり、愛情を向ける美しい言葉が連なっています。
──結ばれなかったからこそ、美しい関係のままでいられた?
一路 そう思います。残された手紙の文章はとにかく純粋で美しい。邪念が差し込むことなく読めるということは、魂で永遠に結ばれた存在……つまりアントニーに対して宛てられていたんじゃないかなって。
って、完全にアントニー目線で喋っていますけど(笑)。ただ学説によっては「絶対アントニーじゃない」という決定的な証拠もあるらしいんですね。でもそんなこと聞かされちゃったら、この作品はできませんから。だから私はアントニーに宛てられた手紙だと信じています。
日時: 2020年12月11日(金)~26日(土)
会場: よみうり大手町ホール
原案: 小熊節子
演出: 栗山民也
脚本: 木内宏昌
音楽・演奏: 新垣隆
出演: 一路真輝、田代万里生、神尾佑、前田亜季、安藤瞳、万里紗、春海四方、石田圭祐、久保酎吉
企画・製作: サンライズプロモーション東京、パソナグループ
主催: サンライズプロモーション東京
問い合わせ: サンライズプロモーション東京0570-00-3337(月~金 正午~15時)
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