
台湾クラシック音楽の現在地 オーケストラ編①

海外までクラシック音楽を聴きに行く、といえば多くの日本の聴き手がまず思い浮かべるのはヨーロッパだろう。ウィーン、ベルリン、パリ、ミラノ……。そこに「本場」の音を聴きに行くことは、日本のクラシック音楽ファンにとって一種の憧れであるだけでなく、その人の音楽経験を保証し権威づける記号にもなり得る。
その視線と意識はしばしば、ヨーロッパと日本という限られた往復運動のなかに閉じている。それゆえ、ヨーロッパ中心の時代がとうに過ぎた21世紀になっても、例えばアメリカの音楽文化ですら軽んじられるような言説がこの界隈では珍しくない。ましてアジアとなれば、聴きに行くという選択肢そのものが視野の外に置かれ、ときにキワモノ趣味のように扱われがちだ。しかし、その発想はもはやどうしようもなく古い。
筆者は2026年3月に2度(3月8~16日、3月27~30日)台湾へ渡り、台湾の主要オーケストラとアーツセンターの公演を集中的に鑑賞した。昨今の台湾のクラシック音楽界では、演奏水準の向上という言葉だけでは捉えきれない、制度と文化をめぐる再編が進んでいる。本稿では筆者が3月に聴いた4団体の公演を起点に、台湾におけるオーケストラの現在地を概観していく(アーツセンターについては別稿「アーツセンター編」で改めて論じる)。

1970年生まれ。札幌市など複数の都市で育つ。早稲田大学政治経済学部、東京大学大学院総合文化研究科で学び、現職は東京理科大学教養教育研究院教授。近年は台湾を中心に、東...
3/8 エバーグリーン交響楽団×ターフェル×ズヴェーデン
今回の台湾行きの大きな目的の一つは、3月8日のブリン・ターフェル(Bs-Br)、翌9日のネイディーン・シエラ(S)というビッグネームが登場する二つの声楽公演を続けて聴くことにあった(会場はともに台北・国家音楽庁)。
そのうちターフェルの公演「諸神與魔鬼(神々と悪魔)」は、国家両庁院(国家音楽庁と国家戯劇院から成るアーツセンター。以下、両庁院と記す)が主催するフェスティヴァル「2026台湾国際芸術節(TIFA)」の開幕公演として組まれていた。
このコンサートで管弦楽を担ったのは、エバーグリーン交響楽団(長栄交響楽団、ESO)である。長栄(エバーグリーン)グループは、海運や航空で世界的に知られる台湾のコングロマリット。ESOはグループ創業者の張栄発(ジャン・ロンファー)が設立した財団法人張栄発基金会によって2002年に発足した民間企業系のオーケストラである。台湾のプロ・オーケストラのなかで最も後発だが、昨年以来「駐団芸術家(アーティスト・イン・レジデンス)」として指揮者ヤープ・ファン・ズヴェーデンを迎えて以降、楽団のありかたそのものが急速に変わりつつある。
前半はワーグナー《ニュルンベルクのマイスタージンガー》と《ワルキューレ》から。16型編成のオーケストラには国内外から集められた客演の首席奏者が配され、強い圧と推進力に満ちたきらびやかで機能的なサウンドを響かせる。以前のESOにあった緩さはかなり後退し、メリハリの効いた音作りや反応の速さにはズヴェーデンのもとで進む変化がはっきりあらわれていた。ターフェルは声だけでなく舞台上の細やかな所作や表情によってハンス・ザックスやヴォータンのキャラクターを造形していく。会場は激しい喝采でこれに応えた。
ボーイト《メフィストーフェレ》、グノー《ファウスト》、プッチーニ《トスカ》などで構成された後半は、いくらか角が取れて落ち着いたサウンドになったぶん、ターフェルの千両役者ぶりがより一層発揮された舞台となった。とりわけムソルグスキー《ボリス・ゴドゥノフ》から〈ボリスの死〉、そしてプログラムの最後に置かれたウェールズ民謡《夜もすがら》は、深々とした陰影に満ちてとても感銘深いものであった。
しかし、ESOの演奏に対しては厳しい評価も少なからず混じっていた。後日SNS(台湾では日本と比べていまでもFacebookが広く使われている)でコンサート評を積極的に発信しているアカウントを眺めると、とくに前半のワーグナーにおける音量過多、硬直したリズム、声部間のバランスの悪さ、等々について辛辣な指摘が並んでいた。
筆者は4階席で台湾人オペラ歌手と一緒に聴いていたが、彼女は終始、ターフェルの声を圧迫するオーケストラの荒々しい響きに不満を言い募っていた。筆者には音量より、ワーグナーらしい「うねり」の足りなさが気になった。アインザッツや音のエッジに表れる変化は明白だが、弦楽器や管楽器の動きが幾重にも重なり大きな波となって押し寄せるような管弦楽の呼吸は、強い統率を加えるだけで一朝一夕に整うというものではないだろう。
ともあれ、それまで他団体の後塵を拝してきた観のあるESOが世界的バスバリトンをソリストに迎え、台湾を代表する国家級ホールの国際芸術祭開幕を初めて担った。その事実だけでも、現在の台湾オーケストラ界に生じている変化の大きさは伝わるだろうか。この間のESOの技術的な向上には目ざましいものがある。それは間違いない。とはいえ、その変化に対する聴衆の反応は、好意的な驚きと、その変化が抱えるいびつさへの批判との間で揺れていた。こうした両義性については、後編②で改めて考えることにする。

3/9 国家交響楽団×シエラ×呉曜宇
翌9日、シエラのコンサートで演奏したのは国家交響楽団(NSO)である。1986年に発足し、国家音楽庁を本拠地とするオーケストラで、両庁院とともに行政法人の国家表演芸術中心(NPAC)の傘下にある。現在台湾で唯一4管編成を自前でそなえ、国際的な活動にも積極的だ。台湾以外では「台湾フィルハーモニック」の通称でも知られる。
当初この日の指揮者として予定されていたフレデリック・シャスランは、エプスタイン問題をめぐって名前がメディアで取り沙汰されたことの余波を受けて直前に降板し、呉曜宇(ウー・ヤオユー)が急遽指揮台に立った。
呉は2013年ブザンソン国際音楽コンクール指揮部門の優勝者。2021/22シーズンと22/23シーズンには若手指揮者の育成を兼ねたNSOの「協同指揮(アソシエート・コンダクター)」として同楽団に関わり、その後もたびたび指揮している。2023年からは高雄市交響楽団(KSO)の「駐団指揮(レジデント・コンダクター)」のポストを得て、台湾のオーケストラ界では実務能力の高い指揮者として存在感を増している。
代役が呉に決まる前には、じつは日本の園田隆一郎にも打診があった。園田は昨年5月、ハビエル・カマレナ(T)を迎えた同種のコンサートでNSOと初共演し高評価を得ていた。候補に挙がるのは自然だったが、ロッシーニ《ランスへの旅》(藤沢市民オペラ)の本番を直前に控えた時期だったために実現しなかった。NSOは一度関係を結んだ外国人演奏家を継続的に起用する傾向があり、いずれ園田にも機会はあるだろう。
シエラは初来台ながら、客席との距離の取りかたが巧みだった。前日のターフェルが長いキャリアを背負った名優の存在感で聴かせたとすれば、シエラはもっと軽やかに聴衆を自分のほうへ引き寄せていくタイプの歌手である。声の伸びやかさに加え、オペラ・アリアを1曲ごとに小さな劇として立ち上げる表情の豊かさがある。本編ではヴェルディ《椿姫》の一連の場面や、ベッリーニ《ノルマ》から〈清らかな女神〉などベルカントの魅力を前面に出す曲を披露し、アンコールは《トスカ》から〈歌に生き、愛に生き〉、グノー《ロメオとジュリエット》から〈毒薬のアリア〉、プッチーニ《ラ・ボエーム》から〈私の名はミミ〉といった有名曲を惜しげもなく持ってきた。
スター歌手のリサイタルらしい華やぎは、歌以外の場面にもあらわれていた。シエラは途中でたびたび衣裳を替え、アンコールでは「ハイヒールを脱ぎたい」と言って実際に靴を脱いで見せ、客席を沸かせた。歌うこと、演じること、聴衆とその場の空気を共有すること。そのすべてを彼女自身が心から楽しんでいるように見えた。終演後、主催の新象‧環境‧芸之美文創はFacebookに「親愛的娜汀,妳什麼時候再回來?(親愛なるネイディーン、またいつ戻ってきてくれるの?)」と記し、この日の観客の熱狂ぶりを伝えた。
この公演はNSOの絶好調ぶりを示すものではなかったかもしれない。呉のレパートリーに合わせて管弦楽曲の一部が急遽差し替えられるなど、文字どおり土壇場での体制変更が現場にもたらした緊張は決して小さくなかった。それでも、こうした直前のトラブルにもかかわらずスター歌手の公演を破綻なく成功に導いたことで、指揮者もオーケストラもその面目を十分に保つことができたはずだ。

3/11 台北市立交響楽団×カプソン×リープライヒ
11日には、台北市立交響楽団(TSO)の新首席指揮者アレクサンダー・リープライヒの就任後最初の定期演奏会を聴いた。TSOは1961年に発足した台北市教師交響楽団にルーツがある。NSOが前述したように行政法人NPAC傘下にあり、「国家級」とはいえ政府から一定の独立性を有する組織であるのに対し、TSOは台北市政府文化局に属する公立の都市オーケストラである。楽団員が市の公務員である点は、後述する国立台湾交響楽団(NTSO)とも共通している。
プログラムは、前半にサン=サーンス《ミューズと詩人》とデュビュニョン《沈黙の詩》というヴァイオリンとチェロを独奏とする協奏的作品を二つ並べ、後半にブラームス「交響曲第4番」を置くものだった。独奏はヴァイオリンがフランチェスカ・デゴ(当初予定されていたリサ・バティアシュヴィリからの変更)、チェロがゴーティエ・カプソン。
《沈黙の詩》はカプソンが委嘱した新作で、この日が世界初演。ドビュッシーの「音楽は音符ではなく、音符の間の沈黙にある」という言葉を手がかりに、古代中国の詩人(チェロ)とミューズ(ヴァイオリン)の「言葉にできない愛」を描いたとされる。五声音階の変形によってフランス文化とアジア的色彩の融合を試みたというが、実際に響いてきたのはいささか素朴なオリエンタリズムにとどまった観がある。なおこの作品は、14日に北京でも国家大劇院管弦楽団によって演奏されたが、そちらの紹介では台北のプログラムで前面に出ていなかった、中国三国時代の詩人・曹植による『洛神賦』との関係が強調されていたようだ。文化政治のデリケートな力学は、案外こうした小さなところに垣間見えるものだ。
演奏では、前半の重心はやはりカプソンにあった。デゴのヴァイオリンは繊細ではあるがこの日の音響のなかでは弱く感じられ、二人の独奏者の対話に十分な緊密さは生まれなかった。後半のブラームスでは、各パートの動きをしなやかに通わせようとするリープライヒの意図は感じられたものの、音色の濁りとアンサンブルの緩さが目立った。
TSOは近年、桂冠指揮者エリアフ・インバルとの協働を通じて、マーラーやブルックナー、ショスタコーヴィチなどの大編成レパートリーで注目を集めてきた。ただし、その成果をそのまま楽団の基礎体力とみなすことには慎重でありたい。大規模作品ではエキストラを加えた拡張編成となることが多く、通常編成に近い場面で見える実力とは必ずしも一致しないからだ。この日の意欲的なプログラム構成にはリープライヒが目指す新たな方向性は感じられたものの、その方向性と実際の演奏との間にはまだ距離がある。
もっとも、これだけで新体制のTSOを評価するのは性急だろう。TSOはシンフォニー・オーケストラであると同時にオペラの分野にも蓄積のある楽団である。のちに総統となる李登輝が市長だった1979年に始まった台北市の芸術祭(台北市音楽季、のち台北市芸術季と改称)では、中核的な団体としてコンサートだけでなく本格的な舞台演出をともなうオペラ制作を長く担った。現在のTSOにもオペラ公演主催の伝統は引き継がれており、2026年9月にはリープライヒの指揮でワーグナー《トリスタンとイゾルデ》(クリスティアン・レート演出)を上演する。会場は台北表演芸術中心。2022年に台北市が開館したアーツセンターである。
シンフォニーの演奏会とオペラのピットでは、オーケストラも指揮者も求められる能力が異なる。リープライヒ体制のもとでのTSOの真価については、《トリスタン》を聴いてから改めて考える必要がありそうだ。

3/14 国立台湾交響楽団×水藍
このあと13日に台中国家歌劇院でズヴェーデン指揮ESOのベートーヴェン「交響曲第9番《合唱付き》」のコンサートを聴いた。当初14日に台北で聴くことになっていた同プログラムのコンサートがさまざまな事情で行けなくなり、急遽予定を大幅に組み替え1日前の台中公演に行くことにしたのだが、これについては後編②で述べる。結果的に14日の朝は台中にいることになったので、それを活かして同じ台中市内の霧峰(ウーフォン)にある国立台湾交響楽団(NTSO)の演奏庁を午後から訪ねることにした。翌15日に台中国家歌劇院で上演されるヴェルディ「レクイエム」を、本番ではなくゲネプロで聴くためである。
NTSOは1945年に台北で創立、台湾で最も長い歴史を持つ交響楽団であり、かつては台湾省立交響楽団として台湾省政府の管轄下に置かれていた。このwebマガジンの読者には少し背景説明が必要かもしれない。戦後の中華民国政府は台湾へ移ったあとも、長きにわたって自らを中国全土の代表政府と定義し続けた。そのため台北には中華民国の中央政府とは別に、その下位の地方行政単位として「台湾省」が存在した。1950年代、台北に集中する中央政府機関から省レヴェルの行政・議会機能を分散させる政策のもと、台湾省政府は南投の中興新村へ、台湾省議会はそこから近い霧峰へと移された。その後の台湾の国際的な地位の変化などを経て、1990年代の民主化と憲政改革のなかで台湾省の行政機能を縮小する「虚省化」が進められ、今世紀に入って台湾省政府は事実上その機能を停止した。
現在もNTSOは、こうした戦後台湾政治史の空間的記憶をとどめる霧峰に拠点を置く。台北の国家音楽庁や高雄の衛武営のような大規模ホールのほか、NTSOは霧峰にある演奏庁でも通常公演を開催している。客席の収容数は552席と小さく、音響面でもいささか物足りなさを感じるホールだが、それでも日常的な練習から公演にいたるまでの活動を自前の施設で継続できるだけの基盤をNTSOは持っている。先述したように中央の文化行政が直轄する組織であるため、公務員身分を有する正規団員として外国人を雇用することができないことなど、台北市の公立組織であるTSOと似た制度的条件のもとにある。この点で、「国家」の名を冠しながら行政法人としての独立性ゆえに国際的な人材登用や民間スポンサーによるバックアップが可能なNSOとは大きく異なる。
この日のゲネプロで聴いた「レクイエム」を指揮した水藍(シュイ・ラン)は、中国・杭州生まれ。シンガポール交響楽団桂冠指揮者、コペンハーゲン・フィルハーモニー管弦楽団名誉指揮者などの称号を持ち、2024年からは中国交響楽団で「芸術指導(アーティスティック・アドバイザー)」のポストに就いている。NTSOとの関係は長く、現在は首席客演指揮者を務める。筆者が在外研究で台湾に滞在していた2017年から2018年にかけて、彼とNTSOの演奏は何度か聴いた。とりわけ印象深かったのは、得意とするマーラーの交響曲。本番前日のゲネプロとはいえ、今回は久しぶりに彼らしいスケール感と、ときに荒々しさもふくむダイナミズムをヴェルディの音楽からも感じられ、とても懐かしい思いに浸ることができた。(後編②につづく)


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