
キース・ジャレット『ケルン・コンサート』を実現させた若き女性を描いたフィルム

ラジオのように! 心に沁みる音楽、今聴くべき音楽を書き綴る。Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画として、ピーター・バラカンさんの「自分の好きな音楽をみんなにも聴かせたい!」という情熱溢れる連載をアーカイブ掲載します。
●アーティスト名、地名などは筆者の発音通りに表記しています。
●本記事は『Stereo』2026年5月号に掲載されたものです。

ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...
ソロアルバムとしてジャズ史上最高の売り上げを記録した
キース・ジャレットの伝説の『ケルン・コンサート』はいまだにソロ演奏のアルバムとしてジャズ史上最高の売り上げを誇るそうです。発売は1975年11月で、ちょっと前に50周年を迎えたところです。
キース・ジャレット『The Köln Concert』
完全な即興の演奏によるもので、本人としてはあくまで長いキャリアのなかの一晩の記録というものでした。ところが、この演奏のファンから採譜してほしいと頼まれて、最初は断っていたそうですが、1990年に公認の楽譜を発表しました。
日本では、2006年に弦楽器奏者4人によるLonesome Stringsが『Candela』というアルバムのなかで「Part I」を演奏し、またつい最近、ピアニストの山口ちなみさんは『ザ・ケルン・コンサート』でジャレットのアルバムを完全に再演しています。
Lonesome Strings「Part I」
山口ちなみ『ザ・ケルン・コンサート』
コンサートを企画したのは当時18歳の女性
4月10日公開の映画『1975年のケルン・コンサート』を観ると、この歴史的な公演がどのように成り立ったかがわかります。コンサートを企画したのは、ヴェラ・ブランデスという当時18歳の女性でした。映画の冒頭では、彼女の50歳の誕生日を祝うパーティが開催されていて、そこで権威主義的な父親が娘の出来損ないぶりを嘆いて、せっかくのお祝いに水を差します。そこからマラ・エムデが演じる若きヴェラの高校生時代に遡ります。
15歳の彼女はナイトクラブに出かけ、そこでイギリスの老舗のジャズ・クラブの経営者でもあり、サックス奏者としても当時活動していたロニー・スコットに出会います。何の経験もない彼女はハッタリでロニー・スコットのコンサートを開催しようと、電話口で嘘をつきまくりながらなんとかそれを実現します。そこから両親にバレないように、実家に住みつつアパートを借りていることを隠しながら、現役の高校生生活と並行してジャズのコンサート・プロモーターとしての顔を確立していくのです。
ヴェラは、ベルリンのジャズ・フェスティヴァルに出かけたときに初めてキース・ジャレットの演奏に出くわして、衝撃を受けます。どうしてもケルンで彼のコンサートを開催したいと思って、相応しい会場を考えるとオペラ・ハウスがちょうど良いと判断します。最初はジャズのコンサートということで門前払いを食らいますが、キース・ジャレットの演奏が即興でありながらジャズではないと説得します。しかし、オペラ・ハウスのスケジュールはいっぱいで空きはない。
そこで、無理やり1月24日のオペラが終わったあとの深夜の時間に開催することに決めます。普段はありえないこんな遅い時間の公演、しかも宣伝期間はあまりなく、ラジオ局のDJを半分騙すような口調で告知をしてもらいます。仲間と街頭でチラシを配りつつ、本当に人が来るかどうかぎりぎりまでわからない状態です。
こんなはずじゃなかった ピアノに激怒したキース
依頼を受けたキース・ジャレットにはヴェラが航空券を送っているのですが、ヨーロッパでツアー中の彼は費用を節約するためにチケットを払い戻して、所属するECMレコードの経営者・プロデューサーのマンフレッド・アイヒャーが運転する小型のルノーで長距離の旅をします。昔も今もよほどの大スターでないかぎり、ミュージシャンの生活はやはり楽ではありません。節約できるところを節約しないと厳しい。寝不足と腰痛にも悩まされているキースの機嫌は決してよくはないですが、ようやくケルンに到着するとさらに悪化します。
彼が指定した楽器はベーゼンドルファーのインペリアルというフルサイズのグランド・ピアノですが、オペラ・ハウスで用意されていたのはもっと小さい、リハーサル用の楽器。しかも状態が悪く、調律もされておらず、ペダルも壊れています。こんなはずじゃなかった……激怒したジャレットは出演を拒否します。
そこでヴェラは、色々な手を尽くして代わりのピアノを調達しようと必死に動きます。ピアノは見つかるのですが、雨が降る真冬のケルンでそのピアノを急に動かすのは危険すぎるということで断念。会場にあるピアノをなんとか演奏できるように直すしかない状態です。
来てくれた調律師と修理の職人は、上演中のオペラの最中に舞台袖で一生懸命、オペラの邪魔にならないように気をつけながら超特急の仕事を済ませます。
それでもこんな二級のピアノで妥協するのが不本意なキース・ジャレットは、頑として演奏しないと一点張り。開演直前になって会場が満席になったことを知ったヴェラはほっとしますが、キースがもしドタキャンするとさらに大変なことになります。なんとか彼を説得するのは彼女の情熱、そしてECMのほうですでに録音することが決定していて、エンジニアが機材を設置して構えているため、仕方なく舞台に出るジャレット。

コンサートが始まる瞬間に映画は終わります。ちょっとしたオチがあるのは観ての楽しみとして、本当に面白い作品です。キース・ジャレットの映画というよりヴェラ・ブランデスの物語で、マラ・エムデの演技は最高です。
実際に起きたことを映画化するにあたって、当然細かいところでは事実と違う部分もあると思いますし、それをわかった上で観るべきです。とにかく、歴史的な名盤として世界中でいまだに親しまれているアルバムがいかに難産だったか、その舞台裏のことを知ると、劣悪な楽器をなんとかうまく鳴らすのにさまざまな工夫を凝らしたキース・ジャレットの演奏に対して、ますます喝采を送りたくなります。
ヴェラは出来損ない? とんでもないです。






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