読みもの
2024.01.21
オペラになった歴史のヒロイン#1

エジプト最後の女王クレオパトラ〜シーザーとの世紀の恋を描くヘンデル絶頂期のオペラ

クレオパトラ、メアリー・スチュアート、サロメ、ジャンヌ・ダルク……オペラには、歴史に実在した有名な女性が数多く登場します。彼女たちはオペラを通じて、どのようなヒロインに変貌したのでしょうか? その実像とオペラにおけるキャラクターを比較し、なぜそうなったのかを探っていきます。歴史の激動を生きた魅力的な女性たちの物語を、描かれた絵画や音楽とともにお楽しみください。

加藤浩子
加藤浩子 音楽物書き

東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院博士課程満期退学(音楽史専攻)。音楽物書き。主にバッハを中心とする古楽およびオペラについて執筆、講演活動を行う。オンライン...

ジャン=レオン・ジェローム:絨毯の中からカエサルの前へ現れるクレオパトラ

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クレオパトラ7世(B.C 51-30)

エジプト、プトレマイオス朝最後の女王。父はプトレマイオス12世。父の死後、遺言に従って8歳年下の弟プトレマイオス13世と結婚し、エジプトの共同統治者となるが、13世に追われて亡命。エジプトにやってきたローマ将軍カエサル(ジュリアス・シーザー)と組み、13世を倒して権力を握る。カエサルとの間に子をもうけ、彼に招かれてローマに滞在するもカエサルは暗殺される。エジプトに戻り、カエサル子飼いのローマ将軍アントニウスを味方につけて3人の子供を産み、王朝の延命を図るがカエサルの後継者オクタヴィアヌスの軍に敗れ、アントニウスは自殺。クレオパトラは囚われ、自決した。彼女の死をもって3000 年近く続いた古代エジプトは滅び、エジプトは共和政ローマの属国になった。

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絶世の美女?

 「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっていただろう」

17世紀フランスの哲学者パスカルの有名な言葉だ。要は彼女が美女だったから、世界の歴史が変わってしまったということなのだが。

クレオパトラ(正確にはクレオパトラ7世)が絶世の美女だったのかどうかは、信頼できる画像が残されていないのでわからない。生前の確実な肖像といえば、アントニウスの銀貨とペアで鋳造された銀貨にある横顔だけ。クレオパトラだと伝えられる同時代の頭部像も残っているが、この2つを見ただけでクレオパトラを「絶世の美女」と定義するのは難しい。

クレオパトラ7世の頭部像(紀元前40年頃)

「美女」という評判は、ユリウス・カエサル(英語名ジュリアス・シーザー、イタリア語名ジューリオ・チェーザレ)とマルクス・アントニウスという古代ローマ有数の武将が彼女と恋に落ち、そのために身を滅ぼしたことからきているのだろう。

カエサルは我が子を産んだクレオパトラをローマに呼んで評判を落とし、アントニウスはオクタヴィアヌスの姉にあたる妻を離縁してクレオパトラと結婚。破滅の種をまいた。

クレオパトラ、楊貴妃、小野小町あるいはトロイのヘレネを「世界三大美女」などと呼んだりするが(この人選は日本だけという説も)、小野小町は別にして(彼女が美女だったという証拠はクレオパトラ以上に乏しい)、他の3人は皆国を滅ぼした「傾国の美女」だ。「君子危うきに近寄らず」というけれど、「絶世の美女」は、男性にとっては近づいてみたいが怖い、危険な存在なのだろう。

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