プレイリスト
2019.01.22
ONTOMO編集部選 ピアニスト語録&プレイリスト

ピアニストが語る、苦悩から生まれたピアノの名曲たち〜「音楽の友」より3選!

さまざまな名曲に、ピアニストたちはどうアプローチしているのだろうか。「音楽の友」2017年11月号より、ピアニストたちの言葉をピックアップ! ONTOMO編集部員の独断と偏見により、ベートーヴェンの「ピアノソナタ第29番《ハンマークラヴィーア》」、シューベルトの「ピアノソナタ第20番、21番」、メシアンの《幼子イエズスに注ぐ20のまなざし》にフィーチャー。

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東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...

メインビジュアル © Jorgeroyan

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鬱状態にあったベートーヴェンの、勝利への道程?

ベートーヴェン/ピアノソナタ第29番《ハンマークラヴィーア》

ベートーヴェンがこの曲を作曲した頃、すでに耳はまったく聴力を失っており、神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられていました。(中略)自分の社会的立場においても自信がなく、本当にいろんなことを憂えていて、自らの死をも脳裏をよぎるなど、つまりは鬱状態にあったのではないかと思います。

そういう中で書かれたこの作品は、そこから何か人生に対する答えを希求しようとした、ベートーヴェンのもがきの中から生まれた作品なのです。

——マレイ・ペライア「音楽の友」2017年11月号より

ピアノ独奏曲として最大の難曲のひとつに挙げられるベートーヴェンのピアノソナタ第29番《ハンマークラヴィーア》。自身の体調に加え、後見人をしていた甥のカールの自殺未遂など、苦難がつづく中で作曲された。

ペライアは、「最終的には勝利に導かれるのですが、これは高らかに歌い上げるような勝利とはまるで違い、(中略)まだどこかに疑問が残っているのではないかと危惧するような、そして本当の勝利なのだろうかと訝るような、そんな勝利なのです」と語る。

マレイ・ペライア

コンサート・ステージで40年以上ものキャリアを積み重ねてきたアメリカ人ピアニスト、マレイ・ペライアは、現在もっとも聴衆から愛されるピアニストの一人である。あらゆる一流オーケストラと共演し、世界の主要な音楽シーンにその姿があると言っても過言ではない。アカデミー室内管弦楽団(ASMF)の首席客演指揮者を務め、同楽団とともに指揮者兼ピアニストとして欧米、アジアで活発に公演を行なっている。

31歳で死去したシューベルト、最晩年の傑作

シューベルト「ピアノソナタ第20番」「第21番」

かつて私は、シューベルトが最後のソナタ群を死の床で書いたものだと思っていましたが、それは完全なる誤りだったからです。彼は梅毒を患っていたものの、病人だったわけではありません。亡くなる数週間前にアイゼンシュタットへ70キロかけて徒歩で巡礼し、尊敬するハイドンの墓に花を捧げていますが、病人にそんなことは不可能です。

シューベルトの「最後の」ソナタというのは、一人の若い作曲家が実験とユーモアの精神をもって、未来を見据えて書いた作品群なのです。

——クリスティアン・ツィメルマン「音楽の友」2017年11月号より

わずか31歳で亡くなったシューベルトが遺したソナタのうち、20番、21番は最晩年(シューベルトが亡くなった年)の1828年に作曲された。

31年の短い生涯で膨大な楽曲群を書いたシューベルトについて、ツィメルマンは「まったく人間業ではありません! ベッドの横にメモ帳を置き、書いては眠り、ロウソクを灯して夜も書き続けた。今で言うワーカホリックに近い状態だったと思います」と語る。

クリスティアン・ツィメルマン
ツィメルマンの初舞台は1962年の7歳の少年時代まで遡るが、本格的な演奏家としてのキャリアは数々のコンクールに優勝した後の1975年に始まる。
以来、世界中で2000回を越える演奏会に出演し、138名の指揮者と共演してきたほか、リサイタル、室内楽の演奏会を行ってきた。日本では1978年以来200回以上の演奏会を行なっている。
フランスのレジョン・ド・ヌール勲章受賞(2005年)、ポーランドにおける民間人の最高勲章である、星付きコマンドルスキ十字勲章(Polonia Restitua Commandeur Cross with Star)(2013年)など、栄誉ある名誉博士号や勲章を両国から受賞している。

第二次世界大戦中にも信仰を抱きつづけたメシアンの、苦悩と願望

メシアン/幼子イエズスに注ぐ20のまなざし

《幼子イエズスに注ぐ20のまなざし》(1944年)は、ピアノソロとして唯一、宗教をテーマとした巨大なサイクルで、ロリオ(※メシアンの後妻)に献呈されています。彼にとっての信仰とは、敬虔なカトリックの信者ということだけでなく、歴史的に困難な時代を生き抜くために必要な存在であり、また彼の人生の重大なできごと——禁じられた愛——を抑圧し、封じ込める手段でもあったのです。

「まなざし」が官能的であり、また表現、エネルギー、形式、ダイナミック、どれをとっても過度なほど並外れている理由はここにあります。

——ピエール=ロラン・エマール「音楽の友」2017年11月号より

第二次世界大戦中に生きながらもカトリックの信仰を持ち続けたメシアン。「しかし大戦中、彼の絶望は極限に達してもいました。一人目の婦人クレール・デルボスは恐ろしい病に侵され、闘病生活に苦しんでいたのです。彼が選んだのは、現実の痛みを音楽に表現することではなく、宗教を通して現実から逃避することでした」とロラン・エマール。同じ頃、2人目の婦人となるイヴォンヌ・ロリオと出会う。「彼女と初演を行った2台ピアノのための《アーメンの幻影》(1943年)で、彼は人間としての願望を、宗教への願望の裏に包み隠すのです」

ピエール=ロラン・エマール

リヨン生まれ。ピエール=ロラン・エマールは、現代音楽から古典まで、従来の音楽の境界を飛び越えて世界中でクリエイティヴな活動を続けている。12歳からメシアン夫人のイヴォンヌ・ロリオに師事し、1973年にはメシアン国際コンクールに優勝。1977年に10代でブーレーズが主宰するアンサンブル・アンテルコンタンポランの専属ピアニストに抜擢された。現代最高の大家の一人となった今に至るまで、カーター、リゲティ、クルタークらの作曲家と密接な関係を築いている。

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