4つのマズルカ Op.30―つらい婚約破棄を経験したショパン
ショパンの作品を全曲聴いてみよう! ショパン自身がつけた作品番号順に聴くことで、ショパンの“設計図”が見えてきます。
東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...
4つのマズルカ Op.30
ショパンはこのマズルカを作曲していた1837年に、失恋を経験しました。お相手は、ショパンの父ミコワイの寄宿学校にいたフェリクス・ヴォジンスキの妹マリア。ショパンは彼女にピアノを教えたことがあり、1834年にジュネーヴに移ったヴォジンスキ家から招待されましたが、行くことはできず、Op.18のワルツを彼女に献呈しました。マリアはワルツの楽譜を製本して大切にしたそうです。
翌年の1836年の夏にはすっかり元気になって、マリアに会うためにドイツの保養地のマリエンバードまで行った。そこでショパンはマリアに結婚を申し込んだ。しかし、マリアの母テレサはショパンの健康を危惧して、婚約を公にしないようにと注意した。
——小坂裕子著 作曲家◎人と作品シリーズ『ショパン』(音楽之友社)92ページより
ショパンは前年にパリで吐血して倒れ、そのことがワルシャワにも伝わってしまいました。マリアの母は婚約後、ショパンに手紙で「健康に注意して11時には寝ること、毛糸の靴下を履くこと」などと書いて様子を見ていましたが、1837年2月にショパンが寝込んでしまったことが決定打となり、婚約は破談になってしまいました。
マリアとの別れに、ひどく悲しんでいたショパン。そんな時期に書かれたこのマズルカにも、ショパンの心情が表れているでしょうか。
4つのマズルカ Op.30
作曲年代:1837(ショパン27歳)
出版:1837年
献呈:Princess de Würtemberg
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