読みもの
2024.01.19
ONTOMO MOOK「ヨハネス・ブラームス 生涯、作品とその真髄」より

ブラームスを知るための25のキーワード〜その9:引越し魔

毎週金曜更新! 25のキーワードからブラームスについて深く知る連載。
ONTOMO MOOK『ヨハネス・ブラームス 生涯、作品とその真髄』から、平野昭、樋口隆一両氏による「ブラームスミニ事典」をお届けします。どんなキーワードが出てくるのか、お楽しみに。

平野昭
平野昭 音楽学者

1949年、横浜生まれ。武蔵野音楽大学大学院音楽学専攻終了。元慶應義塾大学文学部教授、静岡文化芸術大学名誉教授、沖縄県立芸術大学客員教授、桐朋学園大学特任教授。古典派...

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19世紀の大音楽家らしく、知的ボヘミアンとしての生涯を送ったブラームスは、1872年にウィーン第4区カールスガッセ4番地に気に入った住まいを見つけ、1897年に世を去るまでそこに留まることになるが、それまでの39年間は、まさに引越しの連続であった。

1862年にウィーンに来てからを見ても、翌63年まではノヴァラガッセ55番地とツェルニンガッセ7番地に、そして1863年秋~65年初めにはジンガシュトラーセ7番地の「ドイツ館」に住んだが、1865~67年は南ドイツとスイスに滞在し、1867年に再びウィーンに帰って来てからも、69年まではポストガッセ6番地と「ホテル・ツム・クロンプリンツ」に、さらに1869~71年はウンガーガッセ2番地の「ツア・ゴルトシュピンネリン」に滞在するという、いわば仮住まいの連続であった。

独身のブラームスとしては無理からぬこととも思えるが、他方、これはまたブラームス家の“伝統”と言えなくもない。

ハンブルクでの少年時代に目を向けても、引越しの多さにはおどろかされる。1833年に生まれたシュペックスガンク257番地(現シュペックシュトラーセ60番地)の「シュリュッタース・ホーフ」に住んでいたのもわずか2年、1835~36年はウルリクスシュトラーセ37番地、1836~38年はザンクト・パウリのエルステ・エリヒシュトラーセ、1839~41年はウルリクスシュトラーセ38番地、1842~50年はダムトルヴァル29番地、1851~52年はクルツェミューレン13番地、1853~58年はリリエン・シュトラーセ7番地というぐあいである。ブラームスの両親の経済状態のきびしさが想像されよう。

ブラームス自身は、1855年にはシューマン一家の住むデュッセルドルフに移り、1857年にはデトモルトの宮廷に勤務するがあまり腰が落ち着かず、1858年夏にはゲッティンゲンで生活したり、ハンブルクで女声合唱団の指揮をしたりという調子で、1861年にはまたハンブルク近郊のハムに住んだりもしている。そして翌年にウィーンに進出し、前述の通りの引越しを繰り返すのであった。

1872年から死ぬまでの25年間も、たしかにカールスガッセに居は構えていたものの、演奏旅行、避暑が多く、そこには我われ日本人が持っている“定住の思想”とは、まったく無縁な生活が営まれていた。

ブラームスが亡くなったカールスガッセの家
第1章 演奏家が語るブラームス作品の魅力
第2章 ブラームスの生涯
第3章 ブラームスの演奏法&ディスク

今回紹介した「ブラームスミニ事典」筆者・平野昭と樋口隆一による「1853年の交友にみるブラームスの人間性」、「ブラームスの交友録」、「ブラームスを育んだ作曲家たち」、「ブラームスの書簡集」をはじめ、多岐にわたる内容を収録!
平野昭
平野昭 音楽学者

1949年、横浜生まれ。武蔵野音楽大学大学院音楽学専攻終了。元慶應義塾大学文学部教授、静岡文化芸術大学名誉教授、沖縄県立芸術大学客員教授、桐朋学園大学特任教授。古典派...

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