読みもの
2023.09.12
鈴木淳史の「なぜかクラシックを聴いている」#2 

ひとつの曲との長い付き合いをリフレッシュする方法~《幻想交響曲》の編曲もの3選

音楽評論家の鈴木淳史さんが、クラシック音楽との気ままなつきあいかたをご提案。膨大な音源の中から何を聴いたら分からない、という方へ。まずは五感をひらいて、音のうつろいにゆったりと身を委ねてみませんか?

鈴木淳史
鈴木淳史

1970年山形県寒河江市生まれ。もともと体育と音楽が大嫌いなガキだったが、11歳のとき初めて買ったレコード(YMOの「テクノデリック」)に妙なハマり方をして以来、音楽...

L'anniversaire.Hommage à Berlioz d'H. Fantin Latour (musée du Luxembourg,Paris)

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聴き方のマンネリ化を打破したい

インパクトが強いものには、おのずと惹きつけられるが、時が経つにつれ、飽きがくる、とまではいわないけれど、次第に胃もたれ気味のように感ぜられてしまうことがある。わたしにとっては、ベルリオーズの《幻想交響曲》がそうかもしれない。最初に聴いたのは高校生ぐらいだったから、かれこれ40年近い付き合いだ。

決して嫌いになったわけではないし、今でも傑作だと思う。面白い新譜があると喜んで聴くし、よい演奏に出会えば幸せな気分にもなる。ただ、何もないときに自ずと食指が伸びる曲とはいいがたい。

それぞれの楽章のキャラが濃すぎるのだ。とりわけ第4楽章の「断頭台への行進」は、何度も耳にしているうちに、音楽そのものが戯画化され、パチンコで大当たりをしたときのような音楽のように聞こえてしまうようになった(パチンコ好きは多幸感で満たされるはずだけれど)。

 

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第3楽章のコーラングレ*とオーボエのやり取りもあざといようにも思われてきて、最終楽章の魑魅魍魎な音楽も、鮮烈だからこそ回を重ねるたびに心に響かなくなってきてしまっている。この曲に対してのこちらの感性が、すっかり摩耗しきってしまっているといっていいだろう。

*コーラングレ(イングリッシュ・ホルン):オーボエ属のダブル・リード楽器。楽器の下端は、オーボエと異なり、球根状のベルがついている

そういうときは、これまでのその曲にもっているイメージを完全に覆すような演奏に出会うのがよい解決策となろう。ルーティンを崩し、思考のマンネリズムを打破するべしなのだ(ちなみに、わたしの場合、この曲のイメージをがらりと変えたのは、スクロヴァチェフスキ指揮ロンドン響の録音だった*)。

*どちらかといえば、ドンチャン騒ぎの曲というイメージが強いが、この演奏のあまりもの冷静さは強烈。始終冷ややかなまま進行、まったく騒がない。指揮者のあまりもの冷徹すぎる解釈が、悲劇はすでに終わったと言いたげな醒めに醒めたダウナー系の美を生み出している。

ベルリオーズ《幻想交響曲》(スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ指揮ロンドン交響楽団)

「編曲」もので聴く視点をズラす

ただ、そういう演奏に巡り逢うのは、実際なかなか難しい。知らないあいだに年をとる。残された時間は長くない。

そんな場合、手っ取り早いのは、いわゆる「編曲」ものに手を出すことである。同じ作品でも、楽器を換えたり、編成をいじくったりすることで、聴き手の視点をズラす。その音楽のポテンシャルを違った角度から引き出すというわけである。

《幻想交響曲》は、オーケストラの威力を存分に発揮した作品だ。ベルリオーズの型破りなオーケストレーションによって、交響曲という器からこぼれ落ちそうな表現力。そして、フランス革命期ならではのテンションの高さ。

こんな曲をアコーディオン四重奏で聴く。《幻想交響曲》とアコーディオン。そのギャップについわくわくしてしまう。ティボー・トロセによる編曲で、エオリーナ四重奏団が演奏している。

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