読みもの
2020.08.07
高坂はる香の「思いつき☆こばなし」第21話

奈良公園の鹿、太った鯉——プロコフィエフが書いた日本滞在日記

高坂はる香
高坂はる香 音楽ライター

大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...

メイン写真:宮島の鹿
撮影:高坂はる香

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誰かのあるものに対する言動が妙に印象に残り、それを見るたび、その人物を思い出してしまう、ということがありませんか。

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最近、観光客が減って、奈良公園の鹿が街中に出没するようになったという情報をよく見かけます。さらに、彼らは鹿せんべいがもらえないことで、草をよく食べ、むしろ健康になっているというニュースも見ました。このところ、奈良公園の鹿情報を目にする機会が増えたように思うのは、気のせいでしょうか。

そして、私はそんな鹿情報を目にするたび、どうしてもプロコフィエフを思い出してしまうのです……。

プロコフィエフのトップトラック

ロシアの作曲家、セルゲイ・プロコフィエフ(1891-1953)。

プロコフィエフは、1918年に日本を訪れています。ロシア革命による混乱を避けてアメリカに向かう道中、ウラジオストックから日本にわたり、アメリカ行きの船が出るまでの約2ヵ月を過ごしました。その際、関西も観光し、奈良では公園の中にある奈良ホテルに滞在したといいます。

プロコフィエフの日記には、琵琶湖疏水を舟で巡ったことや、京都で芸者遊びをしたことなどが書かれていますが、その中にこんな記述があります。

「公園には聖なる鹿が歩き回っている。よくなついていて、パンをやり始めると周りを取り囲まれてしまう」

これを読んで、プロコフィエフが鹿に囲まれ、パンをせがまれる光景を、勝手にはっきりと心に思い描き、以来、もう私は奈良公園の鹿といわれると、プロコフィエフを思い出すようになってしまいました。

それにしても、100年はおろか、それよりずっと前から代々、人にエサをもらい続けてきた奈良公園の鹿さんたち。生活が一変し、さぞ驚いていることでしょう。そして、自ら草をむしって食すことを覚えた今、人間が戻ってせんべいを差し出したら、彼らはせんべいと草、どちらをとるのでしょうか。そんな、非常にどうでもいいことを思う今日このごろです。

ちなみに、プロコフィエフの日記のこのくだりでは、鹿のあとに鯉についても記述があります。

「池には体長70センチほどの金色の魚がいて、太っていていやらしいが、やはり聖なるものだ」

以来、私が、まるまると太った高そうな鯉を見るたび、やはりプロコフィエフを思い出し、「いやらしい」と思ってしまうことは、いうまでもありません。

高坂はる香
高坂はる香 音楽ライター

大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...

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