《ミサ・ソレムニス ニ長調》より「クレド」——完成を2年も待ち続け、出版交渉が難航…...
生誕250年にあたる2020年、ベートーヴェン研究の第一人者である平野昭さん監修のもと、1日1曲ベートーヴェン作品を作曲年順に紹介する日めくり企画!
仕事終わりや寝る前のひと時に、楽聖ベートーヴェンの成長・進化を感じましょう。
48歳となったベートーヴェン。作品数自体は、これまでのハイペースが嘘のように少なくなります。しかし、そこに並ぶのは各ジャンルの最高峰と呼ばれる作品ばかり。楽聖の「最後の10年」とは、どんなものだったのでしょう。
東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...
完成を2年も待ち続け、出版交渉が難航…...《ミサ・ソレムニス ニ長調》より「クレド」
11月28日にはボンの旧知の出版商ニコラウス・ジムロックに作品出版に関する手紙を書き、《ミサ・ソレムニス》の出版に際して、そこにドイツ語訳のテキストを付けるという考えを述べ、それに関してはフランクフルトのフランツ・ブレンターノとも相談していると言っている(BB 1418)。《ミサ・ソレムニス》のジムロック社からの出版計画は年を追うごとに実務的内容や価格に関しての交渉にまで進展し、実現寸前まで進んだかのように見えるが、その後多くの出版社と交渉するようになり、ジムロックとの関係はこじれることになる。1822年5月13日にジムロックは「4月末までにはミサ曲を完全に完成させた形で私の手元に届けるという確約から、すでに1年を経過しています。1820年10月25日に、すでに私は100ルイドールをフランクフルト(註:ブレンターノの銀行口座と考えてよいだろう)に預けて待っているのです。あなたはいつでもそこから支払ってもらえるようにしてあります」という書き出しの手紙を書いている(BB 1464)。ベートーヴェンは1820年の2月以降、数通のジムロックへの手紙で《ミサ・ソレムニス》の出版交渉をしていたのであるから、22年の5月時点でジムロックはすでに2年間も待たされていたことになる。
——平野昭著 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』(音楽之友社)171ページより
ベートーヴェンは作品の完成を約束してジムロックと交渉し続けていました。しかし、2年経っても完成は見えていなかったようです。無事に出版することができたのか、そしてルドルフ大公への献呈はいつになったのか。それは明日ご紹介します。
《ミサ・ソレムニス ニ長調》Op.123
作曲年代:1819年4月初旬〜23年3月(ベートーヴェン48歳〜52歳)
初演:1823年3月26日
出版:1827年4月
ルドルフ大公に献呈
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